青春18きっぷで行く、さよなら餘部鉄橋惜別旅行
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青春18きっぷで行く、さよなら餘部鉄橋惜別旅行

明治の奇蹟、餘部鉄橋。2007年(平成19年)春から老朽化や列車のさらなる定時運行を目指すために架け替え工事が始まり、着工から1世紀近くに及ぶ歴史に幕を下ろします。私は、2006年(平成18年)春に続き、最後の訪問として、冬の餘部鉄橋に向かいました。

プロローグ

  彼らは一体、どうやってこの橋を架けたのだろうか―――。

 1909年(明治42年)12月に着工し、1912年(明治45年)3月1日に開通した餘部鉄橋。山陰本線餘部―鎧間に架かる赤い橋は、長さ309.42m、高さ41.5mを誇り、11基の橋脚、23連の鉄桁を持つトレッスル橋である。山陰鉄道唱歌にも歌われ、90年以上に渡って重たい列車を橋脚で支え続けてきた。先の大戦では破壊されることなく生き残り、毎年冬になると連日のように吹く猛吹雪にも耐えてきた。その歴史には、通過中の列車が、強風に煽られてすぐ下のカニ工場に転落し、死傷者が出るなど痛ましい事故もあった。

 明治の先人たちは、まさか100年近くも鉄橋が残るとは思わなかったのかもしれないが、現代のように強力な機械がなかった時代にこれほどに頑丈な建造物を造り上げたことは、「明治の奇蹟」という言葉以外に見当たらない。

 しかしながら、やはり老朽化は避けきれず、冬場の暴風もあり、しばしば列車の運行に支障が出ていた。そのため、2007年(平成19年)から架け替え工事が始まることになり、餘部鉄橋は1世紀近くに及ぶ歴史に幕を閉じることになった。私は、2006年(平成18年)の4月にも、一度この地を訪れていたが、時間がなく、列車とともにまともに撮影できた写真は1枚しかなかった。

「今年の冬しか、もう一度撮影できるチャンスがない。」

 そう思った私は、冬季休業中の課題が多く出されるだろうということを知りながら、餘部鉄橋惜別旅行を計画した。今回が泣いても笑っても最後だという覚悟で――――――。

本編

@旅の始まりは踏んだり蹴ったり

A雪の山陽路

Bおばさんとみかん

C山陰本線全線制覇完了!

D代行バスで餘部へ

Eさよなら餘部鉄橋

F山陰から山陽、そして神戸へ

G目覚めれば・・・

H被爆電車に会う

I出会いと別れと

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