青春18きっぷで行く、さよなら餘部鉄橋惜別旅行@

明治の奇蹟、餘部鉄橋。2007年(平成19年)春から老朽化や列車のさらなる定時運行を目指すために架け替え工事が始まり、着工から1世紀近くに及ぶ歴史に幕を下ろします。私は、2006年(平成18年)春に続き、最後の訪問として、冬の餘部鉄橋に向かいました。

2006年(平成18年)12月28日(木)

   この日は、前期冬季補習最終日だった。14:45に学校が終了し、しばらく近くのクラスメートと雑談した後、私は自宅に帰った。何もなければ、教室か図書館で冬休みの課題をなるべく終わらせて帰るのだが(自宅に帰るとやる気が出ない)、実は、補習で疲れているにも関わらず、今日の夕方から大旅行に出かけることにしている。目的地は、兵庫県北部にある餘部鉄橋である。帰宅後、未完成だった旅行記を急いで完成させて、17時頃に簡単な夕食を摂り、2階に上がって旅行用バッグに荷物を詰め込んだ。そして、既に暗くなった17:55頃、自宅を出発した。

 佐賀駅まではバスを使う。最寄りのバス停で、次の佐賀駅バスセンター行きのバスを待った。しかし、定刻になってもやって来ない。渋滞に巻き込まれたな、と簡単に推測できたものの、10分待っても来なかった。佐賀駅からの接続には、余裕を持たせていたものの、いよいよ不安になってきた頃、13分遅れでようやくやって来た。ところが、雨が降ったり止んだりの天気だったので、マイカーを使用する人が多かったらしく、市中心部はさらに渋滞していた。鳥栖行きの発車時刻が刻一刻と迫ってくる。

 18:34、バスは20分遅れで佐賀駅バスセンターに到着。しかし、鳥栖行きの発車時刻まで2分しかない。いや、何とか間に合いそうだ。私は急ぎ足でデイトス(佐賀駅構内の商店街)を抜け、今回もお世話になる青春18きっぷを取り出した。改札を通過する頃、鳥栖行きから降りてきた乗客たちがぞろぞろと階段を下りてくるところだった。私の少し前にも、鳥栖行きに乗ろうと女性が一人いた。しかし、私が階段の踊り場でターンした時、「ドアが閉まります」という自動放送が流れ、ドアが閉まった。足はまだ急いでいたが、心では間に合わない・・・と半ば諦めていた。すると、小走りで駆け上っていた女性に運転士が気づいたらしく、ドアが再び開いた。私も何とか間に合った。

 車内は既に満席で、立ち席の乗客もかなりいた。大半が高校生で、中には私と同じ高校の生徒もいる。2両目は人が多かったので、連結部分に移動した。しかし・・・。

「あれ、○○(私の名前)君じゃない?」

「あっ!本当だ!」

という女子生徒の声が。服装は至って普通だったが、なぜか「しまった!」と思った。バスが遅れるわ、電車に乗り遅れそうになるわ、同級生に見つかるわ・・・。まさに踏んだり蹴ったりである。神埼で座席に座れた。

 2駅先の中原駅で特急待避を行っている間に、先ほどの声の主の一人が、私の座席までやって来た。何と同じクラスの女子生徒だったのである。最初の言葉はもちろん、

「何やってるの?」

 私は「これから兵庫県まで行くとこだけど・・・。博多から夜行に乗ってね」と事情を説明した。だが、さすがは電車通学生である。二言三言話した後で、

「電車に慌てて乗ったら危ないんだよ〜。」

と、先ほどのことについて指摘されてしまった。気が動転して、そのようなことは全く思いつかなかったが、巻き戻して見ると、あれは確かに良くない行為である。次回から気をつけなければ。彼女は、別れ際に「気をつけてね」と言って、自分の座っていたところに戻っていった。

 電車は定刻の19:04に鳥栖駅に到着した。3分の接続で、門司港行き快速に乗り換えた。本日最初の途中下車駅は、二日市駅。駅舎の撮影である。今回も降りる駅ごとに途中下車印を押してもらうことにしている。時間が無いので、急いで場所を探して撮影した。

 その後、都府楼南駅と大野城駅、南福岡駅でも途中下車を行った。目的は、二日市駅と同じである。

   博多駅には、予定よりも早く着いたので、新幹線ホームで時間を潰すことにした。発券機が壊れていたらしく、駅員さんがロールをセットし直したりして試行錯誤しながら修理していた。その駅員さんの指示で特別に入場料金を後払いにしてもらい、ホームへ。ホームでは、700系「ひかりレールスター」が発車を待っていた。

   その後、入場料金を払って改札の外に出て、今から乗る快速「ムーンライト九州」車内で食べる食料を買いに博多駅構内をぐるぐると周ったが、スーパーや土産店はまだ開いていたものの、軽食を買える売店は既にしまっていた。なので、駅舎の外に出て、駅前のローソンでおにぎりや飲み物、録画用のビデオテープを買った。

 ホームに着いたのは、もう発車9分前の20:30だった。既に列車は入線していて、多くの乗客が車内で発車を待っていた。本日の快速「ムーンライト九州」牽引機は、ED76形70号機だった。門司駅までの担当である。

   私の指定席は5号車の窓側で、既に通路側には大学生らしい男性が座っていた。男性は、私が窓側の席に座るということが分かったらしく、自ら立ち上がって、窓側に行きやすいように一旦通路側に出てくれた。私は一礼して窓側の座席に落ち着いた。

 この日は、博多駅発車前の時点で大半の座席が埋まっていた。若い女性や60代くらいの男性も乗っていたが、中には外国人や小さな子供を連れた家族連れの姿もあり、さすがにこれには驚いた。

   20:39、列車はゴトリと音を立てて、通勤通学客が長い列を成す博多駅を発車した。発車してすぐにオルゴールが鳴って、車内放送が始まった。ところが・・・。博多駅の1つ小倉寄りの駅である箱崎駅で早くも運転停車し、快速を先行させた。さらに、香椎駅、福間駅などでも運転停車し、同じように“足の速い列車”を先行させた。博多の次の停車駅である折尾駅には、21:44に到着。博多発車からもう1時間以上経過していた。

 臨時列車である上に機関車の牽引する客車列車なので、定期列車の制約を受けることは仕方ないのだが、電車化されたらもう少しスピードアップできるだろうに、と思う。例えば、485系を使うのはどうだろうか。JR九州にもJR西日本にも在籍しているし、JR東日本では、定期列車の快速「ムーンライトえちご」での実績もある。交直両用なので、電化方式の変わる関門間の走行も問題ないし、当然ながら機関車交換の必要もない。そうすれば、高速化できるし、始発駅を遅く発車したり、目的地に早く着くこともできる。発車時や停車時の嫌な衝動もほとんどない。車両の老朽化が問題であるが、車体更新すれば、当分の間は使える。現にこれほどの乗客が乗っているという利用価値が高い列車なのだから、将来にわたり、走らせる価値もあるのである。

 スペースワールドを通り過ぎた頃、列車が駅でもないところに停車した。今回は運転停車のようである。窓の外に目をやった。すると、白い粉のようなものが、ひらひらと舞い降りてくるではないか。雪だった。私は思わず、誰に言うわけでもないのに「あ、雪が降ってる」と言ってしまった。すると、先ほどの隣に座っている男性が、

「うわ〜、やべぇな。明日、大丈夫かなぁ。」

と、困った表情で言った。

私:どちらまで行かれるのですか?

男性:名古屋まで行くんだけど、雪で電車が動かなかったらどうしよう。いや〜、参った。

私:確かに関ヶ原のあたりは雪がすごいですからねぇ・・・。

 男性は、ちょうど私が膝の上に載せていた時刻表を見て、

男性:ちょっと新大阪からの時間を教えてくれませんか。

と言った。頼まれたなら、断るわけにはいかない。私は早速ページをめくった。

私:「ムーンライト九州」からの乗り換えだと、大阪で新快速に乗り換えた方が良さそうですね。明日まで平日ダイヤですから。・・・

と言いながら、名古屋までの乗り継ぎを教えた。その間、男性はひたすらメモを取っていた。その後で、

男性:いや〜、助かりました。ネットで調べただけだったので。

とお礼を言ってくれた。このとき、私は「時刻表を早くめくれる能力って、結構使えるんだな」と実感した。もっとも、それを試すために時刻表検定を受けたのだが。そして、私からも一つ頼みごとをした。

私:私は明日、4時頃に岡山で降りなければならないので、朝から騒がしくなると思いますが、その時はよろしくお願いします。

男性:あ、いえいえ・・・。

 隣の男性が優しい方で良かった・・・と正直に思った。しかしながら、隣人がどのような人であっても、朝の下車が早いときは、予め断っておくのが良さそうである。

 列車は、小倉駅に到着した。小倉では十数分停車するそうなので、一旦車外に出た。自宅に電話をかけた後、ホームの長さの関係で博多駅ではできなかった先頭車両や方向幕、車内その他の撮影を行った。

 

   下の写真は自販機だが、使用されていなかった。

 私は、門司駅で行われる、機関車交代の“儀式”を見るために自分の座席には戻らず、先頭客車のデッキで立つことにした。列車は小倉駅を発車すると、約7分で門司駅に到着した。  

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