青春18きっぷで行く、さよなら餘部鉄橋惜別旅行B

明治の奇蹟、餘部鉄橋。2007年(平成19年)春から老朽化や列車のさらなる定時運行を目指すために架け替え工事が始まり、着工から1世紀近くに及ぶ歴史に幕を下ろします。私は、2006年(平成18年)春に続き、最後の訪問として、冬の餘部鉄橋に向かいました。

 その後、私は別のホームに止まっていたキハ187系「スーパーいなば」を撮影し、

 米子行き各駅停車が発車する5番乗り場に向かった。

 そして、115系各駅停車米子行きが、「いい日旅立ち」のメロディーとともに入線した。3両編成かと思っていたが、短編成化された、103系顔の115系2両編成であった。

 ドア横の開閉ボタンを押して車内に入った。まだ5:30だというのに、乗る人は結構いて、それぞれのボックスやドア付近のロングシートに1人か2人程度も必ず乗っているという内容だった。電車はワンマンで、しつこいくらいに(?)自動放送が行われた。

 電車は、5:30に岡山駅を発車した。途中の駅からもさらに乗ってきて、中庄という駅からは、私のボックスにも、簡単なつくりのキャリーバッグを引いたおばさんが座った。どうやら、帰省中らしい。

 電車は、伯備線に入った。終点・米子に着くまでは、あと3時間もある。時刻表を見て時間を潰したり、滅多に見られない雪景色の車窓を見らずに寝たりするのは、もったいない。そこで、私は思いついた。地元の人、つまり、同じボックスに座っているおばさんと話をしてみよう。私は、「どちらまで行かれるのですか。」と尋ねると、そのおばさんは、少しびっくりしてこう答えた。

おばさん:実家のある米子まで行くんよ。朝5時に家を出て、中庄から乗って。直通が一日4・・・5本くらいしかないから、ちょうど良いのがこの電車しかなくて。乗り継ぎでも、米子まで行けるのは、何時間かに一本だから。

 おばさんは、独特のやわらかい口調でそう話した。このやわらかい口調は、この地域の方言やアクセントなのだろうか。

私:特急(381系「やくも」)では行かないのですか?

おばさん:「やくも」は、乗っていると気持ち悪くてね。振り子式がついているから。だから、時間がかかっても普通の方がいいんよ。途中で特急に追い越されるから、余計に時間がかかるんやけれども。

私:なるほど。そうなのですか。私は、九州の佐賀からで、餘部鉄橋に行くところなんです。青春18きっぷを使って。今朝4時過ぎに博多からの快速「ムーンライト九州」で岡山に着きました。・・・

 という話からスタートしたのだが、結構おしゃべり好きの方らしく、私もまたおしゃべり好きなので、話はどんどん発展していった。

 電車は、山の中に次第に入って行く。それとともに、薄明るくなってきた。どこかの駅に着いた。ホームの下にある古い木造駅舎からは、暖かそうな光が漏れていて、待合室に女性が一人だけで座布団に座っていた。よく見ると、駅舎の屋根やホームにうっすらと雪が積もっていた。

私:雪が積もってますね。このあたりは、いつもこうなのですか?

おばさん:あら、ほんと。そうねぇ。今年初めて積もったから、まだまだ積もるよ。去年の今頃は、もうかなり積もっていたけど、今年は暖冬だしね。

 さらに明るくなってきて、山の木々や民家、どこか道路でどこが田んぼなのかという判別もできるようになった。しかし、どれも真っ白な雪をかぶっていて、空はまだ薄暗いのに、車窓は明るく感じられた。

 7:06、雪の積もった新見駅に到着した。おばさんによると、倉敷市や米子市を除くと、新見市は伯備線沿線で最も大きい都市であるそうだ。津山駅では数分間停車するということなので、一旦列車を降りて、駅構内を撮影した。山間部なので、当然ながら平地に比べるとかなり寒かった。

 私はすぐに電車内に戻った。停車中、おばさんが、「これ、横浜のおばさんからもらったものなんやけど・・・」と言って、みかんを3個を取り出し、私の手に載せた。「形は良くないし、味もどうか分からないんやけど、良かったら食べて」とやや謙遜した言い方だったが、私はみかんをいただいたことだけでも、とても嬉しかった。今まで、旅先で見ず知らずの人から物をいただいたことはなかったからである。

 電車は津山駅を発車し、さらに山奥へと分け入ってゆく。どこかの駅で、特急待避を行った。その時、近くにいた若い男性が、「忘れ物がありますよ」と運転士さんに知らせていた。実は、その忘れ物とは、おばさんの引いていたキャリーバッグだった。網棚に載せられないし、ボックス内は狭すぎて置けないから、ボックスのすぐ隣のロングシート前に置いていたのだった。すぐにおばさんが「それ、私のものなんです。ごめんなさいね。こんなとこに置いて。」と謝っていた。このとき、先ほどのみかんをいただいた件を含めて、「ローカル線って良いな。」と改めて感じたのも事実である。乗客同士の心からのふれあいや他の人のことにも目を向けられる優しさ、自分に非があればすぐに謝るという素直さというものが、そこにはあるからだ。飛行機や新幹線のように、長時間密閉され、座席も2人掛けや1人掛けの空間では、このような出来事が非常に少ない。効率化、合理化、高速化の進む日本で失われつつある何かを、私は感じたような気がした。それは、映画やドラマになった「佐賀のがばいばあちゃん」の精神にも通じている。だから、時間や今の日本社会の現状に疲れている人には、ぜひローカル線に乗って欲しいと思う。絶対に心の安らぐ出来事に出会うはずだから。

 外の冷気に対抗するかのように、私とおばさんの会話もヒートアップしてきて、さらには高校未履修問題や2007年(平成19年)の統一地方選などという、政治・社会問題の話題にまで発展した。その中で、私は長崎新幹線の話をし、県民の多くが反対しているのに、古川佐賀県知事を初めとする政治家だけが賛成して、計画が進められている、と佐賀県の現状を話した。おばさんは「その・・・古川知事というのは、人気があるのですか?」と質問をしてきたが、私は「政治に関心を持つ人は、あまり好印象ではないようです。原子力発電所のプルサーマル計画でも、県民不在の強引過ぎる手腕で批判が高まってきています。」と説明した。それを聞いたおばさんは、

おばさん:鳥取県の片山知事は、ものすごい人気よ。何年か前に災害が発生したときの対応が迅速で良かったから、国もそれをお手本にしたくらいだから。片山知事は、多選になると言って、今度の選挙には出ないみたいなんやけど、県民から出てくれ、っていう声も出るやないかなぁ。

 賢いリーダーのいる国や都道府県、市町村は、どのような面においても賢い、と私は思う。逆に、愚かなリーダーのいるところは、やはり愚かなことしかしていない。イラク政策に失敗したのに、さらに増派を決定したブッシュ大統領のアメリカが良い例である。そして、日本で言えば、佐賀県がまさにその通りであろう。アピール不足で発想のない観光政策については、もはや根本的に見直さなくてはならない。

 一方で、この片山鳥取県知事の評判は、しばしばテレビや新聞で聞いてはいたが、実際に県民からも人気があるというのは初耳だった。また、鳥取県は、県を挙げて寝台特急「出雲」の廃止に反対していた経緯がある。「出雲」存続の理由としては、餘部鉄橋を架けなおすことで定時運行が可能になり、それに伴って利用客が増えるということを挙げていたようで、「出雲」が廃止された場合には、鉄橋工事費用を提供しない、と鳥取県議会が表明していた。しかし、「出雲」が廃止された今、鳥取県にとって餘部鉄橋はどうでも良くなったらしく、結局は地元負担分のうち、架け替え費用の2割を負担することで同意したという。

 これについては、大変残念であるが、無理もなかろうと思う。鳥取県が、「出雲」廃止の代替案として、「サンライズ出雲・瀬戸」に接続する「サンライズリレー号(スーパーいなば号)」の運行をJR西日本などの関係機関に働きかけ、それに成功したということだけでも、拍手喝采ものである。個人的には、餘部鉄橋の現状存続も県を挙げて行って欲しかったが、実際には鉄橋が「兵庫県香美町」にあることから、それ自体の観光目的での存続運動を鳥取県が単独で推進していくのは難しかっただろうし、むしろダイヤ上の弊害が大きかった鳥取県に、存続させる理由はなかったと推測される。

   電車は、いつのまにか雪と闘いながら走っていた。おばさんによると、このあたりが伯備線で最も雪の多い中国山地の峠にあたるらしい。上石見駅の駅名表示板は、半分が雪に埋まっていた。それはまるで東北や北海道を連想させるものだった。しかし、電車に乗っているのは地元住民がほとんどなので、雪を話題にしている人はいなかった。  

   途中の生山(しょうやま)駅では、貨物列車と離合した。伯備線に貨物列車が走っていることは、このとき初めて知った。大雪に負けじと走る貨物列車の姿がふと浮かんだ。

   峠を過ぎると、だんだんと積雪の量が少なくなり、山も開けてきた。

   どこの駅だったか忘れたが、おばさんが、「ここの町は、鬼で有名なんよ。」と教えてくれた。

私:鬼ですか?何か伝説があるのでしょうか・・・。

おばさん:さぁ・・・私には分からないのだけれども。町おこしでやってるみたいなんよ。

私:もしかすると、「ゲゲゲの鬼太郎」に対抗したのかもしれませんね。(境港市の)すぐ近くですから。

おばさん:あぁ、そうかもしれないね。境線がそれで有名だから、ゲゲゲの鬼太郎の列車も走っとるんよ。

  電車はさらに下って行き、ほぼ平地と変わらない高さになった。おばさんが「普段やったらここらで大山が見えるはずなんやけど・・・」と教えてくれたが、「雪で何も見えないねぇ」。空気が澄んでいるときの大山は、「伯耆富士」と呼ばれるだけあって、とても美しいのだそうである。

 その「大山」に由来する伯耆大山駅からは、山陰本線に入った。東山公園駅に停車すれば、終点米子駅である。米子出身のおばさんは、「あそこが王子製紙の工場なんよ。煙がすごいやろう。」と、米子のことも少し説明してくれた。米子市内も山ほどではなかったが、雪が積もっていた。

 「少し遅れているだろうなぁ・・・」と思って時計を見ると、何とほぼ定刻ではないか。あれほどの雪が降り積もっていたのに。私は、改めてJRダイヤの正確さに驚いた。

 9:03、電車は定刻に終点・米子駅に到着した。岡山から約3時間30分の旅が終わった。しかし、私にとっては、意外にも短すぎるくらいであった。おばさんとの会話があまりにも楽しくて、時間など忘れてしまっていたからである。別れ際、おばさんが「気をつけてなぁ。」と言ってくれた。私は、「お元気で。ありがとうございました。」と感謝の言葉を述べた。

 お互いに見ず知らずで、名前も詳しい住所も交わさなかったが、旅と言うものはそんなものだと思う。出会いもあれば別れもある。たまたま同じ電車に乗って、同じボックスに座って知り合った間柄なのだから、逆に名前や住所を言ってしまえば、別れ際がものすごく切なくなる。「また、会いたい」という気持ちだけに留めておいた方が、気分がすっきりするだろう。私は、荷物を持って電車を降りた。「偶然」の生んだ、かけがえのない思い出とともに。

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