青春18きっぷで行く、さよなら餘部鉄橋惜別旅行F

明治の奇蹟、餘部鉄橋。2007年(平成19年)春から老朽化や列車のさらなる定時運行を目指すために架け替え工事が始まり、着工から1世紀近くに及ぶ歴史に幕を下ろします。私は、2006年(平成18年)春に続き、最後の訪問として、冬の餘部鉄橋に向かいました。

 列車は、約20分ほど遅れて城崎温泉駅に到着した。

 冷えた体には、温泉が一番!幸い、城崎温泉駅のすぐ隣に、「駅前温泉さぎの湯」という温泉を発見していたので、計画案に盛り込んでいた。計画より約40分早く着いたので、ゆっくり入ることができそうだ。温泉に行く前に、まず駅舎を撮影。駅前には、駅とホテルを結ぶマイクロバスが出入りしていて、いかにも温泉地らしいところだった。

 私の撮影ポジションはそのままで、左に60°ほど回転したところに、「駅前温泉さぎの湯」があった。

 私が撮影している間も、駅周辺には、浴衣を着て(寒くないのか?)、下駄をカランコロンと鳴らしながら歩くお客さんの姿が見られた。やはり、温泉地はこうでなくては。温泉地なのに、すぐ近くを大型トラックがびゅんびゅん走っているところは、いくら交通機関を整備したからといって、温泉客が増えるはずがない。しかし、残念なことに佐賀県T市は、そんなことに全く気づかず、新幹線があれば何とかなる、と新幹線建設推進に躍起になっている。歩いて楽しくない温泉地が、いくらがんばっても、楽しい温泉地にはなれない。T市の市長や幹部は、城崎温泉駅前に積もっている雪で、頭を冷やすのが良かろう。

 さて、早速温泉の建物に入った。結構繁盛しているらしく、私が靴を脱ごうとしているときも、浴衣を着た何人かが建物から出ていった。靴箱のカギを受付に預け、入浴セット券(入浴料、貸し出しバスタオル、持ち帰り用手ぬぐいを含めて1100円)を買った後、受付で今度はロッカーキーやバスタオル、手ぬぐいと引き換え、2階にある男湯へ。更衣室にいたのは、中高年世代の方々ばかりであったが、浴室内には、私と変わらない高校生くらいの2人組もおり、意外とお客さんの年齢層が幅広いことに驚いた。

 まず最初に入ったのは、体を洗う区画に最も近いジェットバス。湯の温度は熱かったが、大分県の別府温泉ほどではなく、慣れてくるとちょうど良いくらいであった。しかし、10分くらい経つと、やはり体が熱くなってきて、汗がだらだらと出てきた。他の入浴客も、すぐ入っては10分程度で更衣室に戻ってゆく人が多かった。私は、せっかく城崎温泉に来たんだし、入浴料800円も払ったんだから・・・という不純な理由で、普通の浴槽に入った時間を含め、がんばって20分間入った。更衣室に戻ると、次から次に若いお客さんが入ってきた。全体的には、中高年世代がやはり多いのだが、大都市にそれほど近いと言うわけでもないのに、若い人の利用もあるというのは、温泉が生き残るためには、非常に重要なことだと思う。

 更衣室のそばに掛けられていた温泉に由来によれば、「欽明天皇(629〜641年)の時代に、傷ついたコウノトリが湯浴(ゆあ)みをしていたところから発見され、道智上人によって開かれた」そうである。既に1400年近くの歴史があるのか〜と、改めて感心した。

 私は、1階に下りて、ロッカーキーを返却した。窓口のおばちゃんが「おおきにー!」と、関西弁で言った。いや、もう兵庫県なんだから、関西弁は当たり前か。ローカル線を乗り継いでくると、方言の違いもよりはっきりしてくる。

 その後、私は飲み物を飲んで、体を冷やした。私はソファを利用したが、何畳もある畳敷きの部屋もあり、温泉利用者は誰でも利用できるらしい。なかなか良いサービスである。

 体を休めた後、城崎温泉駅に戻った。19:30発の豊岡行きを逃したので、自宅に電話したり、餘部鉄橋のオレンジカード(1000円)を買ったりして時間を潰した。次の豊岡行きは、20:29発で、少し早かったが、始発駅なので列車は早めに入線するだろう・・・と思い、20:10頃ホームに戻った。駅の放送によれば、次の豊岡行きは特急形車両ということで、2両目と4両目しか乗れないという。

   また雪が降ってきた。風も出てきて、あちこちに掲げられているカニの旗があっちを向いたり、こっちを向いたりしていた。

 ところが、列車は発車時刻になってもやって来なかった。心配になったので、改札口まで戻って、駅員さんに聞いたところ、その豊岡行きに使われる城崎温泉行きの特急が、20分程遅れているそうだ。だが、山陰本線及び和田山駅からの播但線最終列車には、ちゃんと接続するそうなので、私は安心して豊岡行きの発車するホームに戻った。

 駅員さんの言ったとおり、183系特急「きのさき」は20分ほど遅れて到着した。車内清掃が行われる間もなく、すぐに乗車が開始された。その合間を縫って、清掃員のおじさんがゴミ箱を掃除していた。特急形だけに、座席の座り心地は良かった。だが、乗車可能の車両以外は真っ暗であり、それがとても不気味であった。

 列車は、定刻より30分程度遅れて城崎温泉駅を発車した。スピードはかなり出していたが、途中、信号停車を行ったために終点の豊岡駅での遅れの回復は、わずか2、3分だった。豊岡駅では、福知山行き(115系3800番台)に乗り換えた。あの無理やりな中間車改造で誕生し、103系っぽい顔で黄色の板を前面に取り付けている電車である。だが、今の私にとっては、どんな電車だろうと関係なかった。とにかく、乗り継ぎができないと、今夜の宿である「ムーンライト松山」に間に合わないからだ。姫路から「ムーンライト松山」に乗っても良いのだが、2時間も待たされるので、せっかく青春18きっぷを使っているのだから・・・と、神戸から乗ることにしている。なので、姫路から先の接続も上手く行かなければならない。

 深夜帯なので、車内は空いていた。乗り継ぎが終わると、列車は三十数分遅れで豊岡駅を発車した。

 電車は、かなりのスピードで雪の降る山陰本線を駆け抜けた。その結果、和田山駅には定刻より22分ほど遅れて到着した。城崎温泉駅での放送の通り、播但線寺前行き最終列車(キハ41形2連)は待っていてくれた。

 こちらの車内は空いていた・・・のであるが・・・。酔っ払い2人組が乗っていたのである。それがやかましいことこの上なく、卑猥な発言を大声でやっていたものだから、女性客は皆顔をしかめていた。まったく、酔っ払うのもほどほどにして欲しいものだ。

 列車は、定刻の21:27より22分遅れて、和田山駅を発車した。外は大雪だったが、キハ41形はそれに負けじと突き進んだ。例の酔っ払い2人組は、途中の駅で降りたが、降り際も運転士さんにわけの分からないことを言っていた。途中駅での行き違い時間を短縮したためなのか、終点寺前駅に着いた時の遅れは、約15分ほどになっていた。

 寺前駅では、姫路行きの103系2連に乗り換えた。どうやら既に峠を越えたらしく、ホームに雪はまったく積もっていなかった。こちらはロングシートだったが、乗り換え客が多かったために車内は7割が埋まった。姫路行きはワンマン扱いだったが、運転補助員さんが乗務していた。電車は、定刻の21:21よりも16分遅れて発車した。発車してしばらくすると、運転補助員さんが車内改札を始めた。私は一応、姫路からの接続について尋ねてみた。

私:姫路で大阪方面行きに接続していますよね?

運転補助員さん:JR京都線(山陽本線・東海道本線の愛称)でしょ?接続しとりますよ。

私:今の遅れはどのくらいなのでしょうか・・・。

運転補助員さん:えーっとですね、今、15分ほど遅れとりますが、おそらく姫路に着く頃には10分くらいになっておると思いますよ。

 今にも「チッチキチー」と言いそうな声の運転補助員さんは、そういって次の人の車内改札に向かった。電車は、モーターが焼ききれるのではないか・・・とこちらが心配させられるくらいの爆走ぶりを展開した。深夜なので、小さな駅での乗降はほとんどなく、その上半自動ドアだったので、運転補助員さんが降りる客がいないことを確認すると、わずか5〜10秒ほどで発車した駅もあった。そのおかげで、電車は終点の姫路駅に約8分遅れで到着した。

 姫路駅は工事中で、播但線ホームからは山陽本線のホームに行くには、かなりの距離があった。本当は、駅構内を走ってはならないのだが、駅員さんが「お急ぎください」とせかすものだから、他の利用客とともに小走りで急いだ。

 ホームに着いてしばらくすると、姫路始発西明石行きの最終電車である221系が入線した。

 時刻は既に23:15を回っており、私の乗った車両が階段から遠い先頭車だったためか、車内はとても空いていた。

 ここからは、計画通りの時刻に戻った。電車は23:17に姫路駅を発車した。西明石駅までは、30分以上あるのだが、うとうとしているうちに到着した。221系は、その後車庫に回送された。

 もうすぐ日付が変わろうとしているのに、西明石駅のホームには、お勤めや遊びの帰りの人々が大勢いて、次の大阪行き最終電車を待っていた。

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