青春18きっぷで行く、JR九州全線制覇完了旅行A

JR九州の路線を全線制覇するために実行した旅行です。

 列車はしばらく行くと、再び球磨川を渡った。球磨川を渡るのはこれで3回目である。

 列車は急な勾配を上り、どんどん山の中に入って行く。

 13:19頃、列車は大畑駅に到着した。大畑駅では数分間停車するそうなので、早速途中下車した。大畑駅には古い駅舎やかつての給水塔跡も残っていた。給水塔跡は車内から撮影したものである。

 時間が余ったので、列車も撮影した。

 やがて、発車ベルが鳴り、ドアが閉まった。大畑駅は、急勾配を克服する為のスイッチバックの途中にあるので、列車は後ろ向きに発車した。その後再び折り返して人吉駅を発車した時と同じ方向に動き出し、さらに勾配を上って行く。途中、景色のよく見える場所で一旦停止した。生憎の天気で、遠くはあまり見えなかった。列車はループ線をぐるりと一周して、さきほどの大畑駅が見えるところまで来た。よくここまで登ってきたものである。

 次の停車駅は「矢岳」。駅の隣には「人吉市SL展示館」があった。「SLあそBOY」で使用されていた8620形58654号機もここで静態保存されていた時期があった。今はD51形170号機の一人暮らしである。

しかし、ここでの停車時間は4、5分しかなく、見てすぐに戻らなければならなかった。列車が矢岳駅を発車して数分。視界がパァーッと開けた。日本三大車窓の一つ、「矢岳越え」である。

 ちなみに、他の2箇所は、根室本線旧線の狩勝峠と篠ノ井線の姨捨駅ということだが、根室本線は「旧線」とあるように今は列車が走っていない。見えているのはえびの高原とのことである。ということは、後で乗る予定の吉都(きっと)線もこの中に“きっと”あるはず・・・と思い、客室乗務員さんに、

「えびの高原と言うことは、吉都線もこの中に見えるということですよね?」

と、質問してみたら、

客室乗務員さん:「はい、確かに通っております。」

と答えられた。運転士さんが話に入ってきて、位置も教えてくれた。

運転士さん:「吉都線は端っこの方だね。ここからじゃちょっと見えないね。」

客室乗務員さん:「今日は生憎天気が悪くて景色もよく見えませんね。」

私:「本当に残念です。」

 客室乗務員さんの放送によると、空気が澄んでいる季節で条件が揃うと、ここから桜島も見えるそうである。

 列車は真幸駅手前のスイッチバックで一旦折り返して真幸駅に入線した。

 到着すると、一番乗りで名物の「幸せの鐘」を鳴らした。急いで駅舎の外に出て、駅舎を撮影。

 時間が無いので急いで列車に戻った。列車はまもなく発車。左にカーブして、坂を下ってゆく。

 列車は、56名が死亡するという悲劇があった山神第二トンネルの手前で停車した。戦争が終わり、それぞれの故郷に帰ろうと、多くの復員兵士を乗せた機関車が、急勾配を上れなくなった為に、このトンネル内で立ち往生。そのため、車内に煙が充満し、耐えられなくなった復員兵たちは、トンネル出口へと歩き始めた。その時、いきなり蒸気機関車がバックし始め、故郷へ帰るのを心待ちにしていた復員兵士56人の尊い命が奪われた。以後、このトンネル内では、話し声や笑い声が聞こえる心霊現象が起こるといわれ、北海道の常紋トンネルと並んで、心霊スポットとしては余りにも有名である。

 次第に平地が広がるようになってくると、まもなく鹿児島県の吉松駅に到着。隣のホームには、キハ28・58形が停車していたので、早速撮影した。

 次の吉都線まで時間があるので、肥薩線の栗野駅まで往復することにしている。4分の接続で、隼人行きのキハ40形に乗車。

 14:36、栗野駅に到着。途中下車して駅舎を撮影した。

 再びホームに行き、吉松行きの列車を待つ。かつてはここから旧国鉄山野線が分岐していて、今でもそのホームが残っている。また、先ほどの真幸駅と同じく、ホームには発車を知らせる鐘もあった。

 やがて、吉松行きのキハ40形が入線。

 吉松行き列車は、対向列車である特急「はやとの風」の入線を待って、15:04に発車した。約10分間の乗車で終点の吉松に到着。吉松では、駅舎や静態保存されている蒸気機関車の撮影のために途中下車した。

 駅舎と蒸気機関車の間には、鉄道資料館があったので、早速見学した。無料で入ることができ、エアコンも付いていたので快適だった。展示品は、鉄道模型の他、実際に当時使われていたものや蒸気機関車のナンバープレートなどだった。

 再び駅に戻った。吉都線制覇のために、都城行きのキハ40形に乗車する。

 ちなみに、この都城行きは、先ほどの吉松行きと同じ車両である。時刻表では別列車扱いだが、続けて乗車することも可能だ。

 列車は15:36に吉松駅を発車した。

 しばらくすると、列車は田園地帯を走るようになった。北海道のような牧草地帯が広がるような高原ではないが、風になでられながら広がるえびの高原もとても美しい。山々は雲の帽子をかぶって、暑さをしのいでいるようにも見えた。

 途中の駅では、キハ28・58形と離合した。

 九州北部では、なかなか見ることが出来ないキハ28・58形だが、南九州の地でこうしてがんばっている姿を見ると、嬉しくなる。しかし、新型気動車の投入や、それに伴う車両の移動でこれらの旧型気動車の存在が危うくなっていることもまた事実である。

 17:01、列車は都城駅に到着した。吉都線制覇完了である。

 都城駅で途中下車し、駅舎を撮影し、急いでホームに戻って鹿児島中央行きの817系に乗った。

 車内は空いていたので、車端部の4人掛け座席に座った。もっとも、この4人掛け座席のうち、片方は転換可能なので、2人掛けにすることもできる。

 電車は17:05に都城駅を発車した。途中の財部(たからべ)駅では、特急との行き違いを行うため、5分ほど停車。その間、途中下車して財部駅舎を撮影した。

 ついでに特急を撮影しようとしたが、すぐに発車してしまうかもしれないので、電車のすぐそばで待っていると、817系の運転士さんが、

「ホームの先まで行ってもいいよ。待ってるから。」

と言ってくれたので、お言葉に甘えてホームの先まで行って、485系5連の「きりしま」を撮影した。やはり3両よりも5両の方が迫力がある。

 17:41、電車は霧島神宮駅に到着した。霧島神宮駅は、今から3年前に行われていた南九州スタンプラリーの際に訪れたことがあり、霧島神宮―鹿児島間の日豊本線は制覇済みだったので、乗車はここまである。

 霧島神宮駅の駅員さんに、青春18きっぷを見せて、途中下車印を押して欲しいと申し出たら、

「北海道から来たの!?」

と驚かれた。それもそのはず。この青春18きっぷは、豊之國男様に頼んで、北海道の稚内駅に郵送で取り寄せてもらったものだからだ。当然ながら、発行駅は「稚内駅」で、券面の模様も北海道タイプである。

私:「いえ、これは郵送で稚内駅から取り寄せたものです。」

駅員さん:「そうだったの。今はこのタイプのきっぷ(常備券)がないからねぇ。みんなPOS端末で出てくるし。面積が小さいから、途中下車印も押せないもんね。」

私:「そうですね。それが困るところです。」

 その後、私は駅舎を撮影しに、駅前の橋の上に立った。周囲は本当に静かで、セミの泣き声や水が流れる音、それに時折自動車の音が混ざった。駅舎は神社をイメージした外観だった。

 待合室で、飲み物を飲んだり、チラシをもらったりして時間を潰し、宮崎行きの電車が入る10分前に駅に入場した。駅に入場する際も、先ほどの駅員さんが声を掛けてきた。

駅員さん:「今日はどこに泊まるの?」

私:「日南線沿いの油津というところです。」

駅員さん:「日南線も無人駅が増えたからねぇ。今、駅員がいるのは飫肥(おび)ぐらいだし。油津や日南、串間は委託駅になったから、途中下車印も押せないかもね。志布志なんて無人駅だし。」

私:「油津や日南って、結構大きな駅ですよね?」

駅員さん:「確かに大きいけど、どんどん有人駅が減らされてるんだよ。」

私:「そうなのですか。ありがとうございました。」

駅員さん:「気をつけて。行ってらっしゃい。」

 ローカル線の現状がよりはっきりと浮かび上がった。日南駅や油津駅、串間駅は、どれも市街地の中に駅があり、とても委託駅にされるようなことは考えられないのだが、実際は厳しい現状なのだろう。

 駅の時刻表によると、次の宮崎行きはワンマン運転では無いらしい。ということは・・・、457・475系の来る可能性が高い!南九州に来たからには、ぜひとも乗りたい形式だった。元グリーン車付きか国鉄色だといいなぁ〜と、欲の張ったことを思っていると、何と本当に475系国鉄色がやってきた!

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