青春18きっぷで行く、JR九州全線制覇完了旅行B

JR九州の路線を全線制覇するために実行した旅行です。

 足がぶるぶる震えているのが分かった。何せ、自分が乗りたいと思っていた電車が本当にやって来たからである。嬉しさもあったし、なぜか怖くもあった。でも、ここから南宮崎までの約1時間40分を475系で行けることの方が、100倍嬉しかった。

 車内は空いていて、ボックスを独り占めすることが出来た。急行形とあって横幅が広く、座り心地も良い。

 財部駅では、往路と同じく特急「きりしま」と行き違いの為に停車。この際なので、車両や編成の撮影に外へ出て、全体、横から、後ろからと様々な方向から撮影した。

 都城に着く頃、太陽が雲に切れ間からわずかながら顔を出した。明日もきっと晴れるだろう。

 窓際の小さなテーブルには、栓抜きが残っていた。ビン飲料が主流だった時代の名残である。今は寝台特急やわずかに残った急行形車両でしか見ることが出来なくなった。車内を見て回ると、デッキに鏡があったり、洗面台専用の部屋があったりと、近年登場した電車には無い設備が残っていた。

 19:51、南宮崎駅に到着した。

 南宮崎駅では、食料調達のために途中下車した。霧島神宮駅周辺にコンビニらしき店は無く、ここまで我慢したのだ。改札口の近くに、売店があった。駅弁の「椎茸めし」は売り切れだそうで、普通の弁当と飲み物、それにデジカメ用の単三電池を買い、次の日南線が発車するホームに向かった。既にキハ47形(キハ47−8100)+キハ31形の志布志行きは入線していたが、車内のボックス席は満席で、仕方なく後部車両であるキハ31形のロングシートに座った。

 列車は20:01に南宮崎駅を発車。宮崎市近郊の駅で、ほとんどの乗客は降りるだろうと思っていたが、南宮崎駅発車から30分以上経っても、空いているボックスは一つも無かった。50分程経って、ようやくキハ31形の片隅に3つほどある転換式の座席が空いたので、ようやく弁当を広げることが出来た。

 食べながら車内の方に目をやると、車内の壁に日南線沿線に住む小中学生が書いた習字が飾られていた。

 その中に、気になる1文があった。“みんなで乗って、日南線を残しましょう!”。日南線が廃止になるとは聞いていないが、「残しましょう」ということは、事態は深刻なのかもしれない。確かに、日南線の末端区間は、列車本数が少なく、不便である。かつて志布志駅で接続していた志布志線や大隅線が残っていれば、もう少し乗客は増えたと思うが、「残しましょう」ということは、もはや廃止宣言の一歩手前なのかもしれない。

 21:17、列車は油津駅に到着した。

 ここから徒歩3分程のところに、今夜の宿である旅館「日南子(ひなご)」がある。この旅館は、昭和初期に建てられた木造の建物を今でも使っている老舗旅館で、宿泊料は素泊まり2000円からという激安価格である。なお、一人で部屋を使用する場合は2500円となっている。駅前の通りを進み、

 右に曲がって旅館の建物を見つけたが、そこは裏口で、「表玄関に回ってください」ということだったので、もう一つ向こうの路地に行き直し、ようやく旅館に到着。センサーが反応して、「いらっしゃいませ」という音声が出ると、カウンターの奥から70歳ぐらいのおじいさんが出てきた。どうやら館主さんらしい。

私:「今日の夜に宿泊を予約していました、佐賀の者です。遅くなってすみませんでした。」

館主さん:「あぁ、お待ちしておりました。ここにお名前と住所、年齢をお願いします。」

と言われて、宿帳に住所や名前を記入した。

館主さん:「お泊りの部屋は、『たけ』と言いまして、そこの階段から二階に上がられて、奥から2番目の部屋です。料金前払いなので、2500円をお願いします。」

 私はお金を払って、2階の部屋へ。昔の建物らしく、急な階段を上がり、薄暗い廊下をおくに進んで、『たけ』を見つけた。定員は3人なので、1人だけだと広いくらいである。

   一息ついて、自宅に電話しようと1階に下りたが、公衆電話が見当たらない。館主さんに聞いてみると、外に出て、少し歩いた場所にしか無いという。

「もしよければ、電話を貸しましょうか。」

館主さんが電話を差し出してくれた。お礼を言って、電話をした。ただ、電話代を渡さないまま翌朝出発してしまったことが心残りである。

 その後、お風呂に行こうと部屋を出たところ、館主さんがこちらに歩いて来て、

「これ・・・、落とされたものでしょう。」

と言って、冊子のようなものを差し出した。それは、何と私の計画表だったのだ。カウンターの前に落としていたらしい。館主さんには、色々とお手数をかけてしまった。館主さんの案内でお風呂に入り、上がった頃には午後10時を過ぎていた。疲れていたので、布団に入りながら、ドラマやTBSの「ニュース23」を見た。コマーシャルは、宮崎県に関するローカル版が多く、旅先に来たことを実感できた。その中に、ヒット曲の「心の旅」がバックミュージックのキリンビールのコマーシャルがあった。そのコマーシャルで、ちらっと夕方の街を走るブルートレインの映像が流れた。コマーシャルは度々流されたので、よく見て確認してみると、牽引機はEF66形らしく、客車は10両以上で全てブルーの客車だった。ということは・・・、大好きな寝台特急「はやぶさ・富士」ではないか。「時代は変わっても・・・」というフレーズがあったと思うが、鉄道には関係の無いコマーシャルに寝台特急が登場するのは珍しいことだと思う。嬉しいことだ。

 旅館「日南子」がある場所は、油津の繁華街にあり、向かい側の居酒屋では、飲み会帰りの男性がぞろぞろとタクシーに乗り込んでいた。男性達が帰ってしまうと、繁華街は静かになった。

 その後、「タモリのジャポニカロゴス」を見て、午前1時ごろに就寝。遠くで雷が鳴っているのが聞こえ、雨が降り出した。

2006年(平成18年)8月4日(金)

 午前6時前、雷の音で目が覚めた。よく覚えていないが、近くに落ちたのかもしれない。起きようと思ったが再び寝てしまい、起きたのは午前7時前。大変だっ!あと30分で志布志行きが油津駅に到着するっ!と慌てて準備した。外を見ると、路面はびしょびしょに濡れている。早朝の雷は、夢ではなかったようだ。

   忘れ物が無いか確認してから部屋を出て、階段を下りて、

  カウンターの前まで来た。しかし、館主さんの姿は無かった。呼ぼうかと思っていたら、玄関のところに、「館主は午前1時頃まで夜警をしておりますので、早朝に発たれるお客様のお見送りができず、大変残念です。」という貼り紙があった。館主さんは、本業以外でも結構忙しいようだ。そう思って、靴を履いて、そのまま旅館を出た。私も、館主さんには色々迷惑を掛けたので、何か一言言おうと思ったが、仕方ない。7:15頃、旅館を出発した。

   朝の油津の街は誰も歩いておらず、とても静かだった。

   3分程歩いて、油津駅に到着した。

 油津駅の事務室では、地元の観光協会の方が委託業務を行っていた。昨日は閉まっていたので、途中下車印があれば押してもらおうと思って申し出たら、やしの木が描かれたシャツを着た女性の駅員さんが、

「押してみますか?」

と下車印を差し出してくれたので、自分で押してみることにした。そして、その駅員さんも昨日の霧島神宮駅の駅員さんと“同じこと”で驚かれた。例によって理由を話すと、

「油津駅にもね、こういうきっぷ(常備券タイプ)のきっぷはありますか?っていう問い合わせがあるんだよね。珍しいね。」

と言われた。常備券タイプの青春18きっぷは、大人気のようである。

「気をつけて行ってらっしゃい。」

と見送られて、ホームに向かった。まもなく、黄色いキハ40形単行列車が入線。油津で多くの乗客が降りたので、車内の乗車率は4割程度だった。

 窓を開けて、朝の涼しい空気を満喫。車体を見てみると、あちこちが濡れている。途中で大雨に遭ったのだろう。

 沖には、奇妙な形をした岩がいくつか並んでいた。

 

 列車交換のため、日向大束駅では数分間停車。その時間を利用して途中下車をしようと、運転士さんにきっぷを提示した時、あることに気付いた。今日の日付印を押していなかったのだ。私がそのことを告げると、運転士さんは胸ポケットからボールペンを取り出して、列車番号と運転士さんの名前、それに日付を書き込んで、

「念のため、後で日付印を入れなおしてもらってください。」

ということで、一応、この“事件”は落着した。早速列車を降りて、駅舎を撮影。駅は無人駅だった。

 その後、対向列車がやって来て、出発信号が青になり、発車した。列車は海辺を走ったり、内陸に入ったりしながら、終点志布志駅を目指す。

 志布志駅に近づくにつれて、青い海が広がるようになった。ただ、電柱や電線が邪魔で、日南線の宣伝に車窓を使うのならば、こうした障害物の排除を行うことが必要だと思う。

 8:38、列車は終点の志布志駅に到着した。日南線制覇完了である。

 志布志駅は、日南線の他に、かつては志布志線と大隅線の列車も発着する交通の要衝だった。しかし、既に両線とも廃止されており、その後志布志駅も改築されて、現在の駅舎になった。

 駅からは、まっすぐに道路が延びていた。かつての線路跡かと思われる。食料を買いに、市街地の方に向かったが、コンビニが1軒もない。駅前に「コープ」というスーパーあったが、清掃員の方の話によると、まだ開かないそうだ。もう時間が無いので、駅に戻った。駅舎には、NHK−BSの「列島縦断鉄道乗りつくし」の際に、旅人の関口さんが訪れた際の写真が飾られていた。発車まであと5分なので、列車に戻った。

 車内は発車間際なのに空いていた。列車本数が少ないので、もう少し集中するかと思っていた。海が見える右側の座席に座った。

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