青春18きっぷで行く北海道旅行2003@

12月26日

ここの管理人(当時中学1年)が青春18きっぷを使い一人旅で北海道へ行ったときの旅行記です。 北海道には一度も行ったことがなかった。そのため、かなり北海道という所が魅力的に感じられ、この旅を初めて計画をしたのが2003年9月。どうせ行くなら鈍行列車でということで、佐賀〜札幌までの計画を何度も練り直して、2003年の暮れ、私の1人旅が始まった・・・。(これから、鈍行旅行をしようと思っている方は参考までに読んでください。)

  AM5:30起床。AM6:00出発。バスがまだ運行していないので、乗用車で送ってもらう。途中のコンビニSで乾電池を購入。旅先での録音と、情報入手のためのラジカセ用である。

AM6:25佐賀駅着。ようやく東の空が、白みだした頃、813系快速・福間行きが佐賀駅に6:36、定着で4番ホームに入線した。早朝とあって、乗客はちらほら乗っている状態である。813系は、独特のモーター音と、乾いた金属音を、まだ明けていない佐賀の街に響かせて発車した。この電車は鳥栖まで各駅停車で、鳥栖から博多までが快速となる。鳥栖からどっと通勤通学の人々が乗ってきて、停車駅ごとに、乗客が増えていく。7:31、博多着。この電車は、土休日であれば、小倉まで行くので、そのまま乗っていればいいが、平日は福間止まり。そのため、快速・博多7:43発門司港行きの快速電車に乗り換えなければならない。勤務先や学校へ急ぐ人々に混じって、急いで乗り換え、座席を確保。車両は813系。発車時刻数分前から、通勤通学の客が乗ってきた。しかし、始業時間に近いとあって、たいていの乗客は、長くて20分程度で、降りてしまった。門司には8:57に到着する。ここでは3分の乗り換えで下関行きに乗り換えなければならない。

「おはようございます。門司、門司です。下関行きは・・・」

門司駅に到着すると駅独特の案内放送が流れてきた。すでに下関行きの415系電車(改造更新車)は、入線していた。この電車は、813系門司港行きの乗客のために、わざわざ門司に11分も停車しているのである。発車してすぐ、プツッと電気と暖房が消えた。交直転換のデッドセクションがあるからだ。関門トンネルを抜けると、本州最南端・下関。車窓左手には、機関車の車両基地が見えている。そして、下関9:07に定着。岡山行きの快速「山陽シティーライナー」は、9:30発なので、少し時間がある。家に電話したり、駅前をちょっと歩いてみたり。もうそろそろ入線しているだろうと思い、ホームに上がると、すでに、115系快速「シティーライナー」岡山行きが発車を待っていた。うれしいことにリニューアルされた車両だったので、座席は223系新快速とだいたい同じもの。九州に劣らない座り心地である。

快速「山陽シティーライナー」の車内。全車転換クロスシートである。

やがて、発車メロディーが流れ、定刻の9:30発車。

「ご乗車ありがとうございます。この電車は、快速「山陽シティーライナー」岡山行きでございます。途中の停車駅は・・・」

発車してすぐ、車内放送が流れてきて、途中停車駅や、車内の説明が行われた。この車掌さんは、徳山までの約1時間50分乗務する。 新山口(旧:小郡)を発車してすぐ、左手に見慣れない車両が車庫から顔を出していた。おそらく、電気検測車のクモヤ193かキヤ191あたりではないかと思う。

電車は、岩国を過ぎ、広島県内に入った。右手に瀬戸内海の海が見える。西広島で途中下車。広島市内を路面電車で通り抜けるためである。広島は、路面電車の博物館といわれるほど、頻繁に電車がやってくる。広電西広島の、立派に造られた電停のとなりに連接車の2000形が休んでいた。やがて、広電一長い5両連接車の5000形「グリーンムーバー」が宮島方面から入線してきた。車内では立つことになったが、驚くほどの超低床車で床がこすれそうなくらい低い。せっかく広島に来たので原爆ドーム前で途中下車。原爆ドームの周りを歩いたり、路面電車の撮影を行ったりするためである。原爆ドームの周りでは、外国人の姿もちらほら見られ、悲惨な姿の原爆ドームを見て、号泣している白人女性もいれば、「ストリートカー(路面電車)」がどうのこうのと興奮気味に言っているサングラスをかけた英語国の人もいた。もし、あの国の愚かな大統領がこの広島を訪れ、あの号泣していた外国人の女性のように原爆ドームを見たら、戦争の悲惨さを少しは考えることができるのだろうか?と、歩きながら思った。

予定の時間になったので、原爆ドームをあとにした。もちろん、広島駅までは路面電車である。広島駅からは、別の塗装の113系快速「山陽シティーライナー」を利用した。こちらはまだ改造されておらず、古めかしい感じがしたが、「ブーン」という国鉄電車の特徴的な音が、よく聞こえてきた。尾道あたりでは、太陽の光に輝く瀬戸内海がきれいだった。尾道というと、大林宣彦監督の新尾道三部作の1つ、「あの夏の日〜とんでろじいちゃん〜」を思い出した。この映画には、湘南色の113系3連や、今はなきグランドひかりがいたるところに登場。不思議な物語で、尾道の街の上を電車と同じ速度で飛ぶ「おじいちゃん」が出てくるなど、非常に面白い映画である。

話を戻そう。やがて、快速「山陽シティーライナー」は夕暮れの岡山駅に17:04に到着。ここでも少し時間をとって岡山電軌の路面電車に乗る。片道100円で乗車できる岡山駅前と郵便局前を往復。電車が妙に左右に揺れるのが気になった。ある本で読んだことがあるが、この岡山電軌のパンタグラフは「石津式」とよばれる重りを使って、上げ下ろし仕組みをとっているらしく、それと何か関係があるのかもしれない。駅に戻って、駅弁を買い、113系湘南色姫路行きに乗車。車内はセミクロスシートだったので、ゆっくり弁当を広げることができた。終点姫路の手前、相生で223系新快速・米原行きに乗り換え。車内は、かなり空いていて、余裕で座ることができた。しかし、姫路から様子が一変。どっと人が乗ってきて、座席がほぼ埋まってしまった。そして停車駅ごとに乗客が増えていき、神戸あたりではぎゅうぎゅう詰めになった。おまけに、駆け込み乗車をする不届き者もおり、車掌がけたたましく笛を吹いても乗ってくる奴もいた。京都を過ぎると、乗客もだんだん降りていき、草津から補助席の開放も行われた。しかし、周りにいる乗客は通勤客ではないようだ。大きな荷物に、中には時刻表をめくっている人もいる。何かいやな予感。自分の計算では、大垣発の「ムーンライトながら」に接続する1本前までに行けば、十分にゆっくりできるだろう、なんて思っていたが・・・。

米原に到着するというので、降りる準備を始めようとしたとき、乗客たちが、ドア付近に殺到した。そしてドアが開くと、動物の大群のごとく、一目散に隣の新快速・豊橋行きに突進。何がなんだか初体験の私には分からなかったのだが、あとで調べると、この猛突進を大垣では「大垣ダッシュ」、米原では「米原ダッシュ」とも呼ばれているらしく、目的は接続列車の席の確保。結局、立ったままとなった。ちなみに写真に写っているほとんどの人は、大垣からの快速「ムーンライトながら」か、臨時の快速「ムーンライト92号」の乗客たちだ。(私もその一人だが・・・。)その豊橋行きの様子が下の写真。

また、米原と、大垣の間には、かの有名な天下分け目の合戦、「関ヶ原の戦い」の舞台となった関ヶ原がある。現在のJR関ヶ原駅には、徳川家康の陣があったといわれている。

やがて、大垣に到着。「ながら」号入線まで時間もあるし、寒いので大半の乗客はいったん改札を出て、どこかへ行ってしまった。入線20分ぐらい前に再び改札を入り、ホームへ。ホームへ出た瞬間、いきなり耳をつんざく貨物列車の汽笛が。ホームにいた人の中には、びっくりして何事かときょろきょろする人もいた。

隣のホームには、帰宅列車として使用されている683系が停車していた。やがて、先発の183・189系快速「ムーンライトながら92号が」入線してきた。でも私が乗る、373系の定期「ムーンライトながら」の大垣発車は「ながら92号」より遅いが、東京着は、定期「ながら」の方が早い。定期も臨時も「ながら」号は全車指定席である。そのため、多客期はプラチナチケットと呼ばれるほどの値打ちになる。(下が指定席券。)

この指定券の取り方は、私の場合上りの「ながら」は、発売日の前日に、駅に予約票を持っていって、翌日の10時に、駅のほうで操作をしてもらった。このような方法も使えるが、駅によっては行っていないところもあるので注意。

座席の指定は、禁煙3号車。次々に乗客が乗ってくる。やがて、定期「ながら」は23:19、定刻に発車。座席はほぼ満席である。途中の岐阜や名古屋で数人が乗ってきたが、それ以降の駅ではあまり乗ってくる人はいなかった。豊橋到着前に「おやすみ放送」があった。

 座席はゆったりしていたが、興奮のあまり眠れず、静岡県内通過中に浅く眠っただけで、東京までほとんど寝なかった。

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