青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行2004

12月27日

去年の北海道に続き、今年も管理人は青春18きっぷを使った旅行を計画した。題して「青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行」! あの旅から1年、北海道へ鈍行列車を乗り継いで長旅をすることに自信がついた私は、再び調子に乗って(?)、2004年の暮れ、再び旅立つ。この旅の計画はこちら。また、今回は、JR西日本のT−1グランプリにも参加するので、普段とはぜんぜん違う経路で行った。

  AM5:30起床。AM6:12出発。例により、乗用車で送ってもらう。去年よりも街を走る車は多く感じた。

そして、今回も佐賀6:36発の813系に乗って出発。この電車に乗るか乗らないかで、行動範囲が大きく変わってくる。実は今回、ストレートに東へ向かわず、新八代までいったん南下する。これは2004年夏、九州新幹線に乗った時、時間が無くて、九州新幹線の先頭車を撮影し損ねたので、計画に盛り込んだのである。鳥栖に到着した頃は、空も幾分明るくなった。しかし、どんより曇っている。鳥栖7:19発の熊本行きが発車する6番乗り場へ向かう。この熊本行きは、415系の更新改造車で運転される。更新改造車なので、もちろんロングシート。それは覚悟の上であった。やがて、博多方面から、列車が入線してきた。ん?なんか違う。こ、これは!!!普段415系のロングシートで運転されるはずなのに、なんと811系が入線してきた。間違えたか、と行き先表示を見ると、『熊本』となっている。ある知り合いの話では、「おそらく415系の運用が都合により間に合わなくなったので、代わりに、同じ4両編成の811系が運用されたのだろう」とのことである。しかし、ラッシュに差し掛かる時間帯で、車内は満席。立っている人も多かった。でも久留米で大半が下車するだろう、と思い、席が空くのを待った。久留米に到着。案の定、席に座れた。やはり、クロスシートはいい。しかし、気づくと、車内はガラガラになっていた。その後、都市の駅に近づくにつれ、乗客は増えたり減ったりしたが、立つ人はあまりいなかった。途中、「大野下」という駅から乗ってきた、ご老人と、その娘とおぼしき親子は、811系が運用されたことに『あら、いつもんと(415系)よりよかやんね。(いつもの電車よりいいじゃない)」と、満足されていた。(写真は途中駅の『田原坂』)

やがて、終点・熊本に到着。2分で815系八代行きに乗り継ぎ。車内は空いていた。そして、定刻に新八代に到着。入場券を買って、新幹線ホームへ入場。9:53発の「つばめ」鹿児島中央行きが発車を待っていた。

発車まであと5分。急いでシャッターを押しまくり、最後に先頭車。やがて、隣の在来線特急が乗り入れるホームに、787系「リレーつばめ」が入線してきた。ドアが開くと、乗客たちは、すたすたと800系「つばめ」に乗り継いでいた。やがて、9:53、定刻に発車。私は、見えなくなるまで見届けると、新八代10:06発の普通・銀水行きに乗るため、急いで、在来線ホームに降りた。やがて、八代方面から815系が入線。車内は満席だったので、運転席後ろを陣取る。発車直後、進行方向右手の留置線に肥薩おれんじ鉄道の気動車が停車していた。一日数本、JRにも乗り入れているのである。熊本に到着すると、乗客の大半が下車し、車内は静かになった。停車時間が長いので、九州新幹線熊本駅の建設が着工する前に取り壊される予定の古いレンガ造りの車庫(写真上)と、留置されている元急行「くまがわ」で運用されていたキハ58(写真下)を撮影。

古いレンガ造りの車庫からは、車両を整備する音が響いていた。この建物を取り壊すことには、市民や、鉄道職員OBから、強い反対運動があったらしいのだが、その効果も無く、あっけなく取り壊されることになったのである。最近、古く、貴重な建物や鉄橋などの鉄道遺産が増えていく中で、こういうことがあるとは、ある意味時代に逆行しているところがあると思う。

発車時刻が近づくにつれ、乗ってくる人が増えてきた。しかし、満席にはならず、発車。時刻表で調べると、植木〜田原坂あたりで、熊本行きの寝台特急「はやぶさ」とすれ違うことが判明。再び運転席後ろですれ違うのを待つ。ちょうどよそ見をしているとき、遠くに赤い機関車が見えた。急いでカメラを構える。シャッターボタンを押す。しかし、シャッターが下りない。スイッチを入れ忘れていたのだ。そのため、機関車が半分欠けた形で、写ってしまった。

用事を終えたので、席に座ろうとすると、なんと、いつの間にか、立つ人がいるほどになっていた。仕方ないので大牟田まで、立つことにした。でも、運転席からの風景は、ぜんぜん飽きないので、ぜんぜん苦にならない。そうこうしているうちに大牟田に到着。折り返し用の待避ホームがないので、次の銀水が終点になっている。大牟田で途中下車。途中下車印を押してもらったり、月見うどんをすすったりして、大牟田12:38発の快速・小倉行きの入線を待った。4両編成で運転されるようだ。快速運用で4両編成というと811系である。ここから終点まで乗りとおすのに2時間半程度かかる。お昼時なので、乗客は少ない。多くの空席を残したまま発車。しかし、博多に近づくにつれ乗客が増えていき、立ち席もちらほら出てきた。だが、博多をピークに再び乗客が少なくなっていき、再び静かになった。やがて、電車は小倉に到着。下関行きの乗り場へ向かう。415系が入線してきた。やってきたのは、セミクロスシートの改造されていない415系。車端部のボックスを確保。

となりの席には、若いヤンキー2人組が座り、一人は、非常識にも座席に靴のまま乗せて座っているのである。年配の車掌が通った。そして「お客様、靴でそのまま座席に足を乗せるのはおやめください。」と注意した。しかし、その男は、車掌が見えなくなると、また靴のまま乗せ、車掌が戻ってくると、普通の状態に戻す、という行為を繰り返した。まったく去年の旅行にも非常識な人間がいたが、旅行1日目で目撃するとは思ってもいなかった。

電車は小倉、門司と停まり、関門トンネルに入る。やはり、車齢が高いからかよく揺れる。そしてトンネルを出て、少し行くと、左手に車両基地が見えた。まもなく引退となる「あさかぜ」の24系客車やヘッドマークを付けたEF66の姿も見える。下関ではある程度時間があるので、途中下車。本当に青春18きっぷは便利である。下関は自動改札になったものの、発車時刻表のLED化が進む中で、今でも回転幕方式を使用している。

やがて、白市行きの普通電車が入線してきた。115系のセミクロスシートであった。入線と同時に乗車したので、何とか席を確保。ぞろぞろ人が乗ってきて、15:48の発車までまだ数分あるのに、乗車率は100%を超えている。ちょっと早い帰省と思われる家族連れの姿もある。太陽はどんどん赤みを増して、西の空の低いところに移り、行く手には、暗闇が迫っている。電車は山陽本線の各駅に停車しながら、東のほうへひた走る。途中、長い貨物列車とすれ違った。いつのまにかめっきり人も少なくなっている。徳山で途中下車し、キヨスクでおにぎりを購入。ここからは、T−1グランプリ参加のため、岩徳線経由となる。まず、電車で櫛ヶ浜駅に先回りして、櫛ヶ浜の駅名表示板といっしょに写る。その5分後に岩国行きの岩徳線経由のキハ47に乗って岩国へ。車内は意外と混雑していた。そして、岩国で同じように駅名板といっしょに顔が写る様に撮影。岩国でも途中下車し、記念に入場券などを購入した。

 そして、さらに可部線乗車のために広島へ。広島ではアイボリーに青帯の可部行き・21:02発の103系が待っていた。

 帰宅している人も多く、車内はまずまずの乗車率。途中、長い鉄橋の上で信号停車。乗客の中には、鉄橋の上に停車していることに驚く姿もあった。2分遅れで運転再開。相変わらず車内は満席だったが、次第に降りていき、たいていの乗客は途中の緑井という駅で下車してしまった。このあたりに大きなベッドタウンがあるのだろう。やがて、103系は4分ほど遅れて可部に到着。4分後に発車する乗る予定の列車には間に合わなかったため、時間に余裕ができた。乗り継ぎには余裕を持っていたので、計画に支障は無い。可部で途中下車し、入場券を買ったり、チラシを数枚もらったりした。そして、さっきの103系に乗って、T−1グランプリ・可部線ポイント駅の横川駅で下車。今夜は、岩国から夜行快速「ムーンライト山陽」の指定を取っていたので、岩国にいったん戻る。

 やがて、115系が入線してきた。しかし、車内は超満員。おそらくほとんどが広島市内に勤めている方々だろう。広島県境を越えれば、たいていの乗客は下車するだろうと思い、ぎゅうぎゅう詰めの車内でこらえていたが、案の定、山口県にはいると空席がちらほら出てきた。そして、なんとかロングシート部分ながら座ることができた。岩国には23:25に定着。実は岩国に戻ってきた理由はもうひとつある。「ムーンライト山陽」が岩国を発車するのは23:40であるが、その7分前の23:33には、まもなく引退となる寝台特急「さくら」と、合理化で「富士」と併結になる「はやぶさ」が発車するのである。早速カメラを構える。フラッシュは使わない。鉄道を撮影するとき、前方の運転士がいるほうの車両を撮る時は、フラッシュが運転士(機関士)の視力に影響するため、使ってはならないらしい。暗くなるが、仕方ない。やがて、ライトをらんらんと光らせたEF66が入線した。私の周りにも数名のファンがいた。今回の旅行も、「さくら」乗車に変更しようと悩んだが、ブルトレで九州から東京へまったく行けなくなるというわけではないので、「さくら」がなくなるのは非常に残念だが、今回は青春18きっぷでの旅を選択した。発車は、古いビデオカメラで撮影。最後尾が見えなくなるまで撮影した。(下は入線しているところ。)

その7分後、EF65に牽引された「ムーンライト山陽」が入線。編成が短く、ホーム中ほどに停車。ホームの端にある連絡通路の階段近くで待っていた人たち(私もその一人)は、列車を追いかけ、自分たちが乗る予定の車両の前に向かった。私は2号車の窓際に指定席がある。すでに私が座る予定の座席の隣には、中年の男性が寝ていた。荷物を棚の上に載せ、「お休みのところ、スミマセン・・・。」とぺこぺこしながら、窓際の席に座る。その瞬間、列車がガクン、とちょっと荒く揺れて発車した。列車は、東に向かって走っていく。しかし、機関士の運転が下手なのか、よく「ガコン」とブレーキがかかる。そして、事件は起こった。機関車がやたら汽笛を鳴らすので不思議に思っていると、ギギギギギーーッガシャーン、キキキギーと何かに衝突したような音を立てて急制動。14系の古い客車が激しく揺れ、きしみ、激しい衝撃とともに停車。座席が大きく揺れ、寝ていた乗客は、座席に頭を打ち付けたり、きょろきょろあたりを見渡したりして、何事か、と動き回る乗客の姿もあった。窓から外を見ると、車両の一部が、踏み切りをふさいでいる。車掌から何の放送も無く5分ぐらい経った頃、再び何事も無かったかのように走り始めた。発車直後、「五日市」を通過。だから緊急停車した場所は、そのすぐ手前だと考えていただきたい。(年が明けたあと、JR西日本へこの事故について調査を依頼ところ、その日の運転士の証言で、五日市駅近くの踏み切りに人影が見えたため、緊急停車したらしい。そのあと、人影は立ち去ったという。しかし、緊急停車したのに車掌が、何らかの放送を行わなかったのは、当方(JR西日本)の責任なので、車掌には指導を行った、とのことである。)

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