沖縄修学旅行

4月26日

管理人の中学校生活最後の沖縄修学旅行をレポートするページです。  数年前まで、私が通う中学校では3年生の修学旅行で京都へ行っていたそうだが、最近は沖縄へ行き先を変更したらしい。私は今年(2005年)、中学3年になったのだが、やはり沖縄への修学旅行となった。日程は4月26日(火)〜4月28日(木)まで。なぜこんなに早いのか、というと5月に入れば沖縄が梅雨入りするからである。集合時間は8:30、学校の体育館下集合。

 待ちに待った、沖縄修学旅行の日。私はいつも通り午前7時に起床した。朝食を摂り、忘れ物をしていないか何度も確認し、重たい荷物を持って、8時5分頃、自宅を出た。学校までは徒歩約10分。8時15分頃学校へ着いた。すでに何十人かの人が到着していた。中には保護者に送ってもらった人もいる。8時30分になった。ほとんど集合しているのだが、「ちゃんと来いよ」と釘を刺しても、やはり遅刻してくる者は必ずいるもので、出発式が5分程度遅れた。教頭先生の挨拶や、出発式担当の実行委員によるあいさつ、添乗員の紹介などのあと、バスまで移動し、荷物をバスのトランクへ入れた後、バスへ乗り込む。バスは、例年通り福岡県の久留米から来た「西鉄観光バス」だった。前から4列目ぐらいの席の窓側に座った。隣にはH君が座った。バスは定刻の9時を数分遅れで出発。

 道の狭い佐賀市中心部を避けるようにしてバイパスを使い、長崎自動車道の佐賀大和インターチェンジより高速へ入る。バスの車内ではあちらこちらで騒いでおり、「マイクが欲しい」「お前、歌えよ」「嫌だ、歌いたくない」「せんせー、○○君がお菓子食ってます!」などと言ったり、担任の先生の秘密を大声で聞き出したりする人もいた。福岡空港までは1時間15分程で到着した。福岡空港の玄関前ではさまざまな観光バスが停まっていて、同じ修学旅行生がぞろぞろ降りていた。

 空港ロビーで一時待機し、搭乗の際の注意と説明があった。その際、搭乗券も配られた。私の指定は、ANA485便・沖縄行き・33D。

 どこから聞こえてきたのか、プロ野球選手(ヤクルト?)が福岡空港に来るという噂が立ち、野球部を中心に騒いでいた。残念ながら入れ違いになるとのことだ。1組から順に荷物を預け入れ、預けた者からエスカレーターを上がり、手荷物検査へ向かう。これまた面倒くさいもので、鋭利な金属(はさみやコンパスなど)や、ペットボトルは絶対にダメ、水筒も一応通した方がいいとのことで、トレーに置いて、荷物は荷物専用、人間は人間専用のゲートをくぐった。私は見事クリアした。そのあと、待合室へ行き、再び注意と説明があったあと、やはり1組から順番に5番搭乗口へ向かい、私がいる4組は最後だった。実を言うと、私は飛行機に乗るのが初めてだ。

 この便には同じ佐賀県内の修学旅行生も乗るらしい。私の指定は33D。座席の配列から嫌な予感はしていたが、案の定、真ん中の3列の左側になってしまった。しかも目の前に特大モニターがある。これでは空の旅が楽しめない。さらに電波を出さない電子機器の使用も離着陸時は制限される。仕方ないが、離陸の状況や、CMが放送される目の前の特大モニターで我慢することにした。

 ANA485便は、福岡空港の滑走路混雑のため、離陸が遅れた。所定の滑走路までゆっくり移動し、定位置まで来ると一気に加速。すごい振動と凄まじい轟音と共に離陸した。その瞬間、機内各所から歓声があがった。私と同じく、飛行機は今回が初めてという人も多いのだろう。飛行機はどんどん高度をあげていく。モニターには、豆粒ほどの自動車や街並みが見える。地図を見るのが好きという、変わった性格なので、この辺りの地形はだいたい分かるのだが、どこを飛んでいるのかさっぱり分からない。分からないまま、モニターはCMへ切り替わった。

 何もすることが無いので、音楽を聞くことにした。曲目を見ると、ケツメイシの「さくら」がある。それ以外は知らない歌ばかりだった。「さくら」の歌が終わると、NHKラジオに切り替えた。ラジオは、数日前に発生した福知山線脱線事故を伝えている。ベルト着用サインが消えて、トイレに行く人や、立ち回る人もいた。ドリンクサービスも周ってきた。しかし、その数十分後、客室乗務員から「天候不良のため、機体が大きく揺れますので、ベルトを着用ください」と放送があり、ベルト着用サインが点灯した。すると、それまで水平飛行だった飛行機が少し高度を下げたのが分かり、揺れもひどくなっていった。

 乱気流を抜けると、ベルト着用サインは消えた。その数十分後に今度は着陸するためのベルト着用サインが点灯した。飛行機は厚い雲を切り裂きながら高度を下げていく。モニターに下の様子が映し出された。雲らしき白い粒が見える。画面がかなり暗く、雨も降っているようだ。やがて前方の風景が映し出され、遠くに那覇空港が見えた。そしてズシン!という音を立てて着陸。翼から羽が開き、減速を始める。すごい轟音とともにある程度減速すると、自走を始め、所定の位置に停止すると搭乗口と接続され、前の席に座っているお客さんから降り始めた。定刻より少し遅れて到着した。降りる際、感謝の意を込めて、客室乗務員から「・・・中学校様、佐賀市立○○中学校様、これからの旅が楽しいものになりますよう、客室乗務員一同、心より祈っております。」と放送があった。

 ロビーを通り、預けた荷物を受け取り、駐車場のバスへ向かう。バスは「中部観光バス」で、ヤンバルクイナがトレードマークとなっている。バスのトランクに荷物を入れ、乗り込む。バスは那覇市内を通り、沖縄自動車道へ入った。那覇市を通っているときに、ゆいレールとも並行して走った。また、新旧問わず、半数程度の家にはシーサーがいた。シーサーの顔が怖ければ怖いほど、魔よけに効くそうだ。バスガイドさんの解説も始まった。バスガイドさんはとても美人で、歌もまた上手だった。高速道路沿いには沖縄の代表的なお墓、「亀甲墓」が見えた。太平洋側にある石川インターチェンジで高速を降り、沖縄本島を横切って、東シナ海側の恩納村へ。

 本日の宿泊するホテルは、恩納村の「リザンシーパークホテル 谷茶(たんちゃ)ベイ」。16時ごろに到着した。見るからに高級リゾートホテルで、私の班は4067号室。室内に入ると、その内装に「超高級」が付いた。

 今日は私を含めて5人が同じ部屋に宿泊するので、ベッドも5台あった。このあとすぐ、ホテルの前の海で海水浴をすることになっている。水着に着替え、海へ出る。

 サンゴ礁の海だが、空はどんより曇っているため、海はそれほどきれいには感じなかった。足にはビーチサンダルを履く。サンゴ礁で足を怪我しないようにするためだ。少しずつ海へ入る。4月の沖縄の海は、泳ぎこそできるが、かなり冷たい。しかも、他の人から水をかけられて、こっちも応戦。着ていたTシャツもびしょ濡れになった。底の方へ目を向けると、黒い楕円形の物体があちこちに転がっている。ナマコだった。そして、ナマコの投げ合いが始まった。投げられる側はワイワイ、キャーキャー言いながら逃げ惑う。女子の中でもナマコを投げている人や持ち歩いている人がいた。こういうのを「お転婆娘」というのだろう。30分ぐらい泳いだあと、寒くなったのでいったん海から上がる。砂浜では、砂で埋められている人もいた。その近くでは、体育科の先生と生徒が相撲を取っていて、女子を中心に、キャーキャー言っていた。結果は先生の全勝。体格がいい方の私にも、近くにいた女子から「やってみれば」と言われたが、さすがにやる気はない。そのあと、全員が集合し、部屋に戻りたい人は戻ってよし、となり、私の班は全員部屋へ戻った。そのあとシャワーを浴びて、19時から宴会場で夕食会が始まった。バイキング形式で、子供が喜ぶ料理ばかり並んでいた。冷めないよう、置いてある料理の皿の下にお湯を入れてあるのが嬉しい。ゴーヤ(ニガウリ)は出なかったが、沖縄そばは出た。

 20時からは、先ほどのビーチで、添乗員さんを含めて花火大会が催された。夜の海は真っ暗だった。(写真はホテルの部屋から。奥が海。)

手持ち花火からロケット花火まで、どんどん火をつけた。最後の一発のロケット花火となった。そしてハプニングが発生。添乗員さんが火を付けて離れた瞬間、花火が倒れて人のいる方向へ。私もよけた。まさに危機一髪だった。幸い、大怪我をした人はいなかった。その後、各自部屋へ戻り、就寝までの時間を過ごした。多くの人はテレビを見ていて、私はニュースとプ○ジェクトXを見た。

 さて、第一日目の夜はみんなわくわくして、なかなか眠れない。時々、他の部屋から内線で電話がかかってきたり、ドアをノックして逃げると言う、悪質な(?)イタズラもあったりした。

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