沖縄修学旅行

2005年4月27日

管理人の中学校生活最後の沖縄修学旅行をレポートするページです。  翌朝は6時に起床。天候は曇りだった。

 7時から朝食。昨晩と同じバイキング形式で、朝食の定番メニューが並んでいた。

 朝食の後、各自部屋へ戻り、出発の準備をしたあと、8時30分には、ホテルを出発。

 今日の午前中は、沖縄コース別体験学習となっていて、「マングローブ&カーカヤック体験」「沖縄そば作り」「やちむん(焼き物)作り」「魚釣り」の4コースに分かれた。私は「沖縄そば作り」を選択していたので、2号車に乗る。行くとき、道端にモアイ像らしき石像が建っていて、気になったのでデジカメで撮影。

 バスで数分のところに体験学習する場所があった。「ニライカナイ」という団体が運営していた。このコースは女子が3分の2を占めている。男女混合6、7人程度の班を作り、計6班で体験学習をすることになった。

 体験学習の講師として、数人のおばちゃんが付く。沖縄らしい名前の方もいれば、何故か関西弁なまりの方もいた。沖縄そばを作る前に、沖縄の伝統的調味料「コーレーグース」を作った。お酒の泡盛を薄めた液体と、島唐辛子をそのまま入れて完成。その後、沖縄そば作りに入った。沖縄そばは、ラーメンとうどんの中間みたいな麺で、やはり中国の影響を受けている。そば粉は一切使わないので、そば粉アレルギーの方も大丈夫だ。

 この沖縄そば、一時期、「そば粉を使用していないので、そばとは言えない」と認められていなかった。そのため地元の方が何度も交渉して「そば」と認めてもらったそうだ。

 原料は強力粉とかんすいを混ぜて粘土みたいに捏ねて、1人ずつに分割し、さらにお土産用と試食用に分ける。まず試食用から作る。さっきの強力粉をさらにやわらかくなるまで練りこみ、ある程度やわらかくなったら、麺棒で薄く延ばす。そして平たくなったら、卵焼きみたいに重ね合わせて、包丁で細長く切ったら、大部分は完成。作っている途中、どこから来たのか、修学旅行に同行している校長先生もやってきた。お土産用も同じような作業をした。その後、試食用のそばは、沸騰した熱湯でゆで、あっさりとしたスープや豚の角煮、薬味などを入れて完成。

 実際に食べてみる。素人が作ったので、麺が太かったり細かったり・・・。でも自分で作ったからおいしい。麺はたしかにうどんとラーメンの間のようで、見方次第では名古屋の「きしめん」のようだ。全員が食べた後、片付けをして、建物の前で記念撮影をした。外はいつのまにか晴れ渡り、まさに沖縄!という強い日差しだった。ここの周辺はのどかな風景が広がり、遠くに東シナ海が見えた。

 11時40分頃、体験学習場所を後にした。この後、沖縄自動車道を一気に南下し、平和祈念資料館へ向かう。途中、日本最南端のパーキングエリア・中城PAでトイレ休憩。

 ここで弁当の配布が行われた。これといって特別な食材ではなかったが、揺れる車内でおいしく頂いた。途中、対向車線を米軍車両らしきジープが数台が通っていった。沖縄はまだ戦後が終わっていないことを実感させる。沖縄は日本でありながら、多くの土地が米軍により好き勝手されているのを見ると、日本政府が情けなくなってくる。高速道路を降りて、国道を通り、さらに南下する。市街地を抜けると、一面サトウキビ畑やパイナップル畑が見えた。ところどころに伝統的な造りの民家もあった。60年前、ここでも多くの血が流されたのだろう。未だに多くの場所で、骨が埋まっているそうだ。二度とこのような悲劇が繰り返されないようにしたい。

   13時ごろ、平和祈念資料館へ到着した。資料館の建物は沖縄らしく赤瓦の屋根だった。

 クラス集合写真を撮った後、各自15時まで自由行動となった。展示室内へ入る。第二次世界大戦のきっかけとなった世界恐慌から展示の解説は始まり、進むにしたがって、太平洋戦争、沖縄戦へと話が発展していく。沖縄戦で犠牲になった人の写真やボロボロになった衣服、体験した人の話をまとめた冊子や、当時のガマ(自然にできた壕。防空壕・避難所として使用されていた。)の中を再現した場所もあった。戦後のコーナーに入ると、米軍の統治下にあった沖縄の街の様子が実物大で置いてあった。主な展示はここまでで、私と行動していた男子数名と、近くを歩いていた女子数名は、展望室から景色を撮ったり、記念写真を撮ってあげたりした後、エレベーターで展望室へ上がった。そこからは果てしなく続く、海、空、初夏の緑が映え、まさに絶景だった。近くには風力発電や白い塔、戦没者の名簿を刻んだ、「平和の礎」もあった。

   さらに上にも展望室があるようなので、行ってみたが、さほど景色は変わらないようなので、すぐに下りた。屋外へ出て、戦没者の名前が刻まれている「平和の礎」へ向かった。

 やがて時間となり駐車場のバスへ戻る。次の目的は、実際に大勢の人が亡くなったガマへ行く。ガマは、沖縄戦の時、住民の避難場所となっていたが、那覇のほうから敗走してきた日本軍兵士に乗っ取られたり、住民が拒めばその場で銃殺されたりした。元々沖縄の島々というのは、サンゴ礁が持ち上がってできた島で、ガマもサンゴ礁の跡に、自然とできた空洞で、要するに鍾乳洞だ。私のいる4組は、「マヤーガマ」という沖縄戦当時のまま残るガマということだ。

 バスを降りた後、近くの小高い丘で平和ガイドさんの話を聞いた。このガイドさんも、生後8ヶ月の時に、沖縄戦を体験されて、母親と一緒に逃げ回ったそうだ。

 そのガイドさんの解説の後、実際にガマへ入る。軍手をはめ、昼間でも真っ暗なガマへ入るので、左手に懐中電灯を持ち、右手でしっかりロープを握ってゆっくり下りていく。途中、上から水滴が落ちてきている場所もあり、足が滑りそうになった。全員がガマの中の比較的広い空間に入ると、ガイドのおじさんが、「懐中電灯を消してください」と言った。多くの人は従って懐中電灯を消したが、ふざけて数人の男子が懐中電灯をわざと付け、皆から「はよ消せさ(早く消しなさい)」と責め立てられて、ようやく消した。途端に、真っ暗になり、隣に誰がいるかも分からない。ガイドのおじさんが「黙祷」と言っても、あまりの恐怖のため女子を中心に、「嫌だ、早く出たい」と叫んだり、泣いたりしていた。黙祷が終わると懐中電灯を付けて、ガイドさんの詳しい解説が始まった。このガマでどんなことがあったのか、住民の話、日本軍の話など事細かに語られた。後で個人的に聞いたところ、このガマはまだ先に続いていて、まだ調査中とのことだ。

 話が全て終わると、女子から先に地上へ上がっていく。上るときもかなり苦労をした。親切な男子は、下から上ってくる人の足元を照らしていた。その後、近くの休憩場で、汚れた靴や手を簡単に洗った。ガイドさんからのまとめの話の後、バスへ戻り、那覇市の方へ戻る。バスガイドさんが、沖縄戦の解説をする。バスがちょうどサトウキビ畑の中を走っているとき、バスガイドさんが森山良子の歌で有名な「さとうきび畑の唄」を歌ってくれた。解説が全て終わると、バスの中で、沖縄出身のオレンジレンジに関する曲が流された。疲れて寝ている人もいたが、中には熱唱している人もいた。

 次第に住宅地が増えてきて、那覇市内へ入った。

 そして「ゆいレール」の奥武山(おうのやま)公園駅前交差点で右折し、モノレール並行する。そして17時10分頃、那覇市牧志にある、「南西観光ホテル」へ到着した。指定された308号室の部屋へ入るが、昨日の谷茶ベイに比べると、かなり狭い。しかも体格の大きい人たちばかり3人がこの中で過ごすのだからますます狭い。

 さらに電気が付かない。いろいろ調べてみると、スイッチの上に何やら怪しげな穴があって、キーといっしょに付いていた、平たいへらのような赤い板を差し込んだら、やっと付いた。不親切なホテルだ、と思った。夕食まで時間があるため、廊下の窓から牧志駅と「ゆいレール」を撮影した。

 18時から夕食となっているが、会場がなんと11階。しかもエレベーターは使用してはならないことになっているため、階段を上る生徒たちは口々にブツブツと文句を言っていた。夕食はご馳走が並んでいたが、昨日のように、温かいものではなく、並べられて少し時間が経っていたのか、かなり冷めていた。お世辞にも昨日の谷茶ベイほどの料理とは言いがたいが、おいしく頂いた。

 19時から、ホテルの前の国際通りで自由行動だ。ホテルの部屋ごとの班で行動する。この通りは「奇跡の1マイル」とも呼ばれ、もともとは沼地だった場所が戦後、めざましい発展を遂げたため、このように呼ばれている。

 まず、近くの土産店へ入る。お酒を中心にいろいろとあったが、家の場合、「お酒はいらない」と言われていたのと、「お酒は必ず空輸すること」と学校側が決めていたので買わなかった。ただ、せっかく入ったので、シーサーとやしの木が付いた置き物(420円)を購入した。続いて、自由行動範囲内では一番遠い、牧志公設市場へ向かった。ただ、ここは主に生鮮品しか売っていないようなので、併設されているアーケード内の店にて、沖縄の代表的なお菓子「ちんすこう」(800円×2)と絵葉書(120円×2)を購入した。アーケードの出口に、怪しげな男が2人立っていた。よく見ると・・・先生だった!ここまでが自由行動の範囲ということで、立っていたのだろう。

 そこからもと来た道を戻りながら、土産店をあさって行き、門限の20時30分より20分程度早い20時10分頃ホテルに到着。ホテルの建物と併設されているコンビニエンスストアのローソンに行ってもよいとのことなので、お茶を買いに入った。他の人は、お菓子を買ったり、清涼飲料水を買ったりしていた。その後、部屋へ戻って、室長のH君からお風呂へ入ることになった。風呂の順番は、室長会議に出なければならない室長が優先となっている。お風呂に入った後、毎週楽しみにしているフジテレビ系の「トリビアの泉」や「水10」を見た。

 就寝前に、昨日相撲を取って全勝した体育科の先生が入ってきて、点呼を行ったあと、「歯ブラシ持って来い。」と言ったので、何をするのかと思っていたら、先ほどのスイッチ上の穴に差し込んだ。なるほど、これで電気が消えることは無い。そして、私は23時15分頃に眠りに就いた。

4月28日へ

旅行記&特集へ

トップへ