沖縄修学旅行

2005年4月28日

管理人の中学校生活最後の沖縄修学旅行をレポートするページです。 翌朝も6時起床。旅行最終日となった。ちょうど6時にモーニングコールがかかってきた。それで目覚めたのだが、再び寝てしまい、起きたのは6時30分!幸い朝食会場のスペースの関係で、1、2組は6時30分から、3、4組は6時50分からだったので、朝食には間に合った。朝食はバイキング形式だった。窓からは遠くへ延びる「ゆいレール」の軌道が見えた。

 本日のホテル出発は8時。ホテル前の牧志公園の脇に路上駐車しているバスへ乗り込む。今日最初の目的地は、沖縄観光定番の首里城。首里城へはバスで数十分かかって到着。地下駐車場にバスを止め、列を作って、首里城正殿へ続く道を登る。途中、2000円札で有名な守礼門をくぐった。「守礼」には「琉球は礼儀を重んじる国ですよ」という意味があるという。

 途中には、世界遺産に指定されている建物の他、数々の門があった。急な石段を登りきったところに、広いスペースがあって、ここで首里城正殿の開城を待った。正殿は琉球の王がかつて住んでいた所だ。

 開城5分前(8時55分頃)に、中から3人の男が現れた。

 そして開城時刻の9時になると、彼らは鐘を鳴らす儀式を始め、最後に「けぇぇぇじょぉぉぉぉ(開城)」と言うと、後ろの扉がゆっくりと開き、観客からは盛大な拍手が送られた。

 首里城正殿前の広場で記念撮影をしたあとは自由行動となった。この首里城全体の建物は、ほとんど復元された建物ばかりだ。これは、沖縄戦の際、旧日本軍が首里城のすぐ下に要塞を造っていたため、アメリカ軍の艦砲射撃にあい、粉々に壊されてしまったそうだ。首里城の正殿には33もの竜が棲んでいるとされ、また首里城と中国の紫禁城だけしかできない特別な装飾もあるという。

 正殿を含め、ぐるりと取り囲む建物は資料館になっていたが、あまりの人の多さにゆっくりと見ることはできず、15分程度で外へ出なくてはならなかった。そしてレストランなどの店が入っている建物で休憩。すでに首里城内を見終わった人たちや、飽きた人たちが集合していた。 

 私の意見としても、思ったほど「わぁ!」という感じはなかった。むしろ物足りない気持ちの方が強かった。そして先生たちも「早めに次の場所へ行きましょう」ということになって予定より20分程度早く首里城を出発し、昼食と最後のお土産を買う「那覇ショッピングセンター」へ向かった。バスの車内で、バスガイドさんが、「島唄」を歌ってくれた。島唄には「沖縄戦の悲惨さを、風に乗せて伝えて欲しい」という意味があるそうだ。途中、道端にハイビスカスの花が咲いていた。さすがは沖縄である。

 那覇市中心部の「那覇ショッピングセンター」の6階にてちょっと早い昼食となった。昼食は沖縄そばや紅芋の天ぷらだった。私は初日の谷茶ベイの夕食で出た沖縄そばを食べてから、この沖縄そばが大好きになったようで、周りの具合が悪い人からも少し頂くなど、通常の食いしん坊ぶりを発揮してたくさん食べた。

 食べた後は1、2階のお土産店で買い物をした。ここには国際通りに劣らず、たくさんの商品が並んでいて、親戚の分を含めて、黒糖や「ちんすこう」と並んで、沖縄の代表的なお菓子である「さーたーあんだぎー」などを購入。ゴーヤー茶やさとうきび、ミミガー(豚の耳)もあったので、見つけ次第即購入した。そして12時20分に那覇ショッピングセンターを後にし、那覇空港へ向かう。

 バスガイドさんが最後の解説をしている。バスガイドさんは別れが辛くて、泣いていた。(本当です)そして、那覇空港へ到着すると、男子を中心にメルアドを聞いたり、記念撮影をするなど、それはそれは芸能人並みの人気であった。

 那覇空港の建物に入り、全員集合し、搭乗券の配布が行われた。

 帰りの座席指定は32K。噂では最も窓側らしい。ラッキー!ちなみに飛行機は福岡行きANA488便。行くとき乗ったANA485便の折り返し運用らしい。

 その後、行きと同じく荷物を預けた後、35番搭乗口へ。ここで数十分待機。待っている間、さまざまな飛行機が出入りし、全体は見えなかったが、ポケモンジェットも到着した。

 13時50分頃、搭乗が開始された。定刻では13時40分だったが、飛行機が予定より遅れたらしい。座席を見つけた。噂通り、一番窓側の座席だった。行きは中央の座席で苦しんだので、帰りは窓側で本当によかった。

 しかし、飛行機は定刻の14時05分になっても搭乗口を離れない。どうやら離陸や着陸の順番待ちで遅れているらしい。14時20分頃動き出した。滑走路をゆっくりと進むが、再び停止。また離陸の順番待ちのようだ。さらに一つ前の順番の飛行機が自衛隊。那覇空港は軍事的施設でもあるのだろう。

 自衛隊機が離陸した後、私が乗っているANA488便も離陸態勢に入り、ぐんぐん加速し、そして離陸した。

 那覇空港がどんどん小さくなっていく。サンゴ礁の海は、太陽に照らされてキラキラと光っている。飛行機はどんどん高度をあげ、やがて旋回して福岡へ向かう。

 ひときわ大きい島が眼下に見えた。どうやら沖縄本島のようだ。その周辺には小さな離島が点在している。沖縄本島が見えなくなった頃、ベルト着用サインが消えて、デジカメなどの電波を出さない電子機器が可能になったので早速撮影する。機内は、疲れ果てて寝ている人が多く、静かだった。

 途中、機長から放送があり、「現在徳之島付近を飛行中で、もうすぐ右下に徳之島が見えてきます。現在の速度は870km/hです。」という放送があった。放送によれば、おそらくこの島が徳之島かと思われる。

 その後は順調に飛行を続け、前方に大きな島が見えた。飛行機は島に沿って進むが、それにしては大きすぎる。九州だった。ついに九州まで帰ってきたのだ。おそらく熊本か鹿児島のあたりかと思われる。

 やがて島が多くなってきた。先ほどの位置からして「熊本の天草じゃない?」と前の座席の人と話していたとき、機内放送で「当機は天草の上空を飛行しております。」と流れた。下の写真が天草の島々。

 そしてさらに進むと、再び陸地が見えて、そこの山には赤茶けた部分があった。これはほぼ間違いなく長崎県の島原半島にある雲仙普賢岳と推測した。そして機内放送ではやはり赤茶けた山は雲仙普賢岳とのこと。

 さらに進むと、諫早湾が見えた。干拓工事差し止めでドラマにも登場した諫早湾である。これも無駄な公共事業の一つだろう。

 その後、ベルト着用サインがつき、デジカメは使えなくなった。飛行機は長崎と佐賀の県境付近を通った後玄界灘へ抜け、ぐるりと旋回したあと、福岡空港への着陸態勢に入った。飛行機のすぐ下に海ノ中道が見える。

 博多港近くの貨物線や鹿児島本線を横切った。眼下に豆粒ほどの貨物列車や787系が走っていた。

 そして、ズシンという振動と共に着陸。定刻より数分遅れていた。搭乗口へ接続し、順次飛行機から降り、荷物を受け取った後、クラスごとに列を作ってバスの駐車場へ移動する。バスは行きと同じ西鉄観光バスだった。

 バスが大宰府インターチェンジから九州自動車道に入る際、私が乗っているバスが急ブレーキを掛けた。発券機を見ると、なんと通行券が取られていない。通り過ごしてしまったのだろう。通行券は運転手が自分で取りに行ったようだ。

 バスは、高速を降りて佐賀市内へ入った。余裕を持たせていたのか、バスは定刻より3分程度の遅れにとどまり、18時3分に無事中学校へ戻ってきた。この後、体育館下で解散式があるのだが、私は実行委員のあいさつをする任務があった。私も疲れていたので、手短に話した後すぐに終わり、解散式は終了した。しかし、この後生徒会役員が全員集められたので、自宅に帰ったのは18時45分だった。こうして、中学校生活最後の修学旅行は幕を閉じたのだった。

<おわり>

旅行記&特集へ

トップへ