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佐賀県JR全線制覇&時刻表検定の旅@

佐賀県JR全線制覇&時刻表検定の旅@です。  私は去年、初めて「時刻表検定」を受験した。フ○テレビ水曜夜9時からのあの番組でも、雑学として紹介された、あの検定である。去年は初めてだったので、まずは第2種を受験した。そして1発で第2種の内、最高位の3級に合格した。今年は受験生で、さらに検定日の11月20日の数日後には最後の期末テストを控えていたので、かなり悩んだが、内申書に書けるだろう・・・という憶測で受験してみることにした。しかし、結果が判明するのは12月の下旬。去年の場合、「青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行」で、旅行中の徳山駅で、自宅に電話して初めて知ったから、合否が判明したのが12月27日。今年の場合、たとえ合格しても内申書に書けるかは微妙なところである。だが、この検定は福岡で開催され、このチャンスを逃せば、受験終了まで鉄道に乗る機会はなくなり、それならば最後の鉄道旅行を満喫しようと、悩みに悩んだ結果、協会から来た、受験催促のダイレクトメールに添付してあった願書を出したのが、締め切り最終日の10月31日だった。

 受験数日前、協会から第1種の受験番号が記載されたハガキが届いた。受験場所は去年と同じ。福岡市の中心、天神から少し南へ行ったところにある、「専門学校西鉄国際ビジネスカレッジ」。天神から ・・・といえど、西鉄電車で1駅目の薬院駅が最寄り駅である。また試験は11月20日の午後からということで、せっかくなので、往路には私が佐賀県内で唯一乗ったことがなかった筑肥線(伊万里〜山本、唐津〜姪浜・唐津線重複区間は除く)乗車を計画に盛り込んだ。

 11月20日の朝、私は午前6時に起床した。なぜこんなに早く起きたのかというと、筑肥線乗車のためには、まず佐世保線の有田まで下り、松浦鉄道で伊万里に出る必要があった。そこで、西に向かうのならば・・・と、佐賀〜肥前山口まで、寝台特急「あかつき」の「レガートシート」に乗ろうと思いついたからだ。「レガートシート」は普通車指定席扱いなので、乗車券と指定席特急券を購入すれば乗車できる。佐賀駅までは自転車で向かった。誰も歩いていない佐賀市のメインストリートであり、2車線道路の中央通りを飛ばして、自宅から約10分で到着した。あと10分で「あかつき」が佐賀に到着する。急いでみどりの窓口に行き、きっぷを購入した後、改札を入る。佐賀駅の1・2番乗り場の最も東のホーム先端まで行き、カメラを構えて「あかつき」の入線を待った。やがて、遠くのカーブに2つのライトが見えた。そして、今年10月のダイヤ改正から付けられている新しいヘッドマークを取り付けたED76−69と、時を同じくして、廃止された元「彗星」のB寝台個室車を新たに組み込んだ14系客車が入線した。車内にはいくらか乗客の姿が見受けられる。レガートシートは最後尾だ。かつては下りの場合、機関車の後ろに連結されていたように記憶しているが、おそらく佐世保編成が廃止されたため、位置が変わったのだと思う。

 ドアが開いた。男性が1人降りたあと乗車した。「あかつき」のレガートシートに乗るのは2回目だ。それも前回と同じ佐賀〜肥前山口。誰もいないミニロビーを通る。

 赤いソファーに自動販売機、それに公衆電話。京都〜長崎の「あかつき」にはあるのに、東京〜熊本・大分の「はやぶさ・富士」にはない設備だ。なぜあのとき、ロビーカーを廃止してしまったのか、未だに理解できない。工事費がかかるからなのか。14系化したA寝台個室車でさえ、同じ値段の「あかつき」の「A寝台個室車」に比べれば、設備面では劣っていると思う。ロビーカーの存在は、乗客の長旅を癒す、オアシスではなかったのか。ある雑誌では、乗客達がワインやビールを飲み交わしてミニ宴会をしている写真が掲載されていた。「さくら」を併結していた頃の「はやぶさ」にも「富士」にもロビーカーは連結されていたので、車両の運用上は問題なかったと思う。自動販売機や公衆電話は外しても、せめてこの車両だけは残して欲しかった。

 ゴトッと軽い衝撃を伴って、ゆっくりと加速している。レガートシートの乗客は少ない。久保田を通過している頃、車掌がまわってきた。佐賀から乗った乗客はもう1人いて、鉄道ファンではなく、おばあさんだった。車掌が何か説明している。どうやら、自由席特急券で乗ってしまったらしい。諫早までは始発の下り「かもめ」よりも早く到着する。このおばあさんは「かもめ」と間違えて乗ってしまったようだ。車掌は「恐れ入ります。300円いただきます」と言い、そのおばあさんから300円を徴収した後、私の所にやってきて、検札をした後、車掌室に戻っていった。前の座席背面に取り付けられいる網籠の分厚い紙には、ジパングクラブの案内と金沢の観光名所の案内が載っていた。「あかつき」の客車はJR西日本京都総合車両所所属だからだ。この時初めて知ったが、その裏面にビデオ・オーディオ設備の案内が載っていて、どうやらこのレガートシートでも聞くことができるようだ。曲目を見ていると、なんと、映画・ドラマでヒットした「電車男」のオープニング「トワイライト」も載っていた。11月・12月版なので、その期間しか「トワイライト」は聞けないようだ。ビデオはA寝台個室車のみのサービスとなっていて、12月はJR西日本もロケに協力した映画「四日間の奇蹟」が放映されるという。左下の隅には「御自由にお持ち帰り下さい」とあったので、喜んでリュックサックの中に入れた。牛津川を渡ってすぐ、オルゴールが流れ、肥前山口到着を告げるアナウンスが流れた。

 ドアが開くと、急いで先頭の機関車の撮影に行く。撮影しようとしたとき、ゆっくりと機関車が動きだしたので、慌てて撮影した。

 「あかつき」を見送った後、隣のホームに停車している817系佐世保行きに乗った。車内は発車まで20分あるので空いていて、余裕で着席できた。「かもめ」が発車した後、肥前山口の自動アナウンスが流れ、ドアが閉まり、発車。肥前山口の自動アナウンスは、小倉駅や博多駅のタイプと似ていた。(というよりも同じ?)今まで行った九州の自動放送の駅の中では、どうやら佐賀駅だけは独自のタイプらしい。小倉駅や博多駅の女性の声は、かなり甲高いが、佐賀駅はちょっと落ち着いた感じだ。またおじさん声はないし、アクセントや言っていることも少し違う。なぜなのだろうか。

 肥前山口がある江北(こうほく)町は私が10歳まで過ごした町だ。佐賀市内の祖父母宅に1人で行く際に利用した地上駅舎は一昨年、その役目を終え、取り壊された。待合室のコンクリートのでこぼこが鈍い光を放っていたことや、狭い駐車場を埋めたタクシーから出ていた鼻を突くガスの臭いを思い出す。485系や、「さくら」が停車し、列車が切り離されていた時代が懐かしい。私が江北町から佐賀市内に引っ越してから、この町は大きく変貌した。駅前にはマンションが建ち、近くのバイパスには各種の店が建ち並び、この駅舎も橋上駅となった。休み時間に駅を発車する電車を眺めながら遊んだ、町唯一の江北小学校の築山も消えた。役場内では今、長崎新幹線のことでもめており、それに反対する江北町長と、金を握らされて寝返ったとまで新聞の投稿欄に書かれた推進派の議会との距離は開き、議会側は長崎本線存続期成会から脱退した。もう江北町には私がいたころの面影は残っていなかった。たった5年の間にここまで変わってしまったのである。

 佐世保線に入った。もうすぐ右手に、私が10年間住んだ平屋建ての家が見える。築45年を超える家は残っていた。唐揚げや手作りの饅頭をくれたお隣のおばちゃんの家も残っていた。近所の家も、魚市場も、ガソリンスタンドも、友達と押すのを争った押しボタン式信号も・・・。しかし、幼い頃駆け回った砂利道はきれいに舗装され、ガードレールが設置されていて、駅周辺に比べればましだったが、やはり変わっている部分も多かった。みんなはどうしているのだろうか。

 途中、北方駅で、415系とすれ違った。高橋を発車すると、左手に高架橋が見えてきた。この区間は数年後に高架化され、高架駅となる武雄温泉も、今は仮駅舎で営業しているそうだ。武雄温泉では、温泉ツアーと思しきじっちゃんばっちゃんの団体が狭い仮ホームを占領していた。ドアが開くと、大勢の客がどっと乗ってきて、車内は満席となった。となりにはおばさんが座った。古い木造駅舎と、国鉄自体の看板が残る永尾では、783系と離合。上有田に停車した後、有田に到着した。陶器の町・有田で下車する人は多く、焼き物巡りを楽しむものと思しき老夫婦もいた。記念と言ってきっぷをもらい、いったん改札を出た後、松浦鉄道のきっぷを買う。再び改札を入り、松浦鉄道専用の3番乗り場へ行く。到着したときは気が付かなかったが、山と山に囲まれた有田は、久しぶりに見る深めの霧が漂い、元貨物ホームに積み上げられたコンテナがややかすんで見えた。

伊万里から今到着したばかりの松浦鉄道の気動車からは人がどんどん降りている。いったんドアが閉まったあと、再び開いて乗車。ロングシートとボックスが並ぶセミクロスシートで、早速ボックスに座る。座り心地はかなりよい。クッションで言うと、さっき乗った817系の座席と比べても、明らかによい。数年前までの黒字経営のおかげだろうか。

 また旅の話からそれるが、長崎新幹線推進派の古川佐賀県知事や佐賀県幹部たちは、長崎新幹線開業により経営分離される長崎本線の三セク化に断固反対している鹿島市や太良町、江北町の説得に、同じ三セクの、この松浦鉄道を例に使っていたそうだ。数年前までの黒字経営を理由に、である。しかし、ここ数年は業績が悪化し、赤字転落。さらに松浦鉄道は、佐賀・長崎両県や沿線自治体に助成金の要請したが、両県・沿線自治体ともそれに難色を示した。既存の1鉄道を救おうとせずして、何が「絶対、地元に三セクの負担はさせない」だ。結局、時間が経てば「知事も代わって、状況も変わりましたし・・・」などと言って、約束を破棄するのか。他にもあってはならない不祥事を連発している佐賀県政は、もう信頼できない。(松浦鉄道の要請は、代わりの案で落着したが、新聞記事に載っていた同社幹部は「(三セクに移管した頃と比べて)県や沿線自治体の対応に、温度差を感じる」とコメントしていた。松浦鉄道以上に厳しい経営が予想される長崎本線に、古川知事の言葉は通用しないだろうし、信頼もできない。)

 佐賀県民の約6割近くが新幹線建設に反対している中、先ほど文中に登場した反対派だったはずの江北町議会の議長ら数人が、江北町民に新幹線に反対ですか、賛成ですか、というアンケートの最中に、「新幹線建設を推進しよう!」という趣旨の紙を町民に配り、そのような事をアンケート調査中に配るのはいかがなものか、ということが新聞に載り、議長の謝罪の文章が載っていた。だが、その議長は「推進派の立場を崩さない」と最後にコメントしていた。そして、議会は長崎本線存続期成会から脱退を表明したのである。ちなみに、江北町のアンケート結果は、圧倒的に反対派が多かった。議長が寝返った背景には、数日前の佐賀新聞の投稿欄で、県内在住の方が指摘されていたように、「議長は金で動かされた」のではないか、と思う。人を疑うことはよくないが、この突然な寝返りは、そう思わせてもおかしくはない。動かしたのが誰なのかは証拠がないので断定できないが、こんな怪しい動きが見え隠れしているような中で計画が進む新幹線は、間違いなく失敗するだろう。

 松浦鉄道の気動車は伊万里に向かって、各駅に停車していく。途中の大木駅だったと記憶している駅では、おそらく国鉄時代からであろう古い木造駅舎の周りで、朝早くからせっせと花壇の手入れをしているお年寄りの方々がいた。地元住民で駅を整備し、守っていくことは非常に重要なことである。やがて気動車は伊万里駅に到着した。隣の留置線ではいくつかの気動車が休んでいる。ここでもまた、記念に、ときっぷをもらい、列車を降りる。隣では、これから佐世保までの長旅を始める列車がエンジンをうならせていた。そして数分後に発車していった。松浦鉄道の駅舎を出て、少し離れたところから、今出てきた松浦鉄道と、JRの駅舎を撮影する。

 伊万里駅は数年前まで、JRと松浦鉄道の列車が供用していた。しかし、駅が町を分断しており、そこに道路が通れば・・・という要望で、道路が建設され、今度は駅が東西に分断された。これにより、旧国鉄松浦線を引き継いだ松浦鉄道と、JR筑肥線は完全に切り離され、二度と直通列車を走らせることができなくなった。なお、松浦鉄道側のホームには、コンクリートの下に、古いホーム跡が眠っており、どちらかというと、松浦鉄道側に昔の伊万里駅の中心があったのではないだろうか。なお、JR筑肥線の伊万里駅は単線で、ホームは完全に新しく造られていた。双方の駅舎間は、専用の歩道橋(写真中央)を通って往来する。

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