寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行

@

管理人が中学校卒業旅行として東京や山陰に行った時の旅行記です。

4月2日(日)・熊本前編

 午前6時に起床し、6時30分頃自宅を出た。小雨が降っていたが、傘を差すほどではなかったので、そのまま歩いた。今回は始発の市営バスで佐賀駅へ向かう。市営バスは6:35頃に最寄りのバス停に到着した。車両は、バリアフリー対策を施した超低床車だった(ぶれてしまいましたが、ご了承下さい)。

 車内は朝早いだけに空いていた。佐賀駅バスセンターには6:52頃到着。ちょうど佐賀駅に入線している寝台特急「あかつき」が高架橋の上を走っているのが見えた。

 今日は、前回の旅行で1日分を使った「青春18きっぷ」を使う。駅の改札口できっぷを見せ、次の鳥栖行きが入線する1番乗り場へ向かう。鳥栖方面から来るこの列車は佐賀駅折り返しで、電光表示板には「4両」とあったので、811系を期待したが、数分後に入線したのは、“817系2編成の”4両だった。

 旅の始まりが817系とは・・・とちょっと残念に思ったが、たった約25分程度乗るだけである。せっかくなので、先頭車に乗車した。

 車内は、発車まで時間があったので当然空いていた。 車内の電光表示を見ると、Saga Terminal

という文字が流れていた。英語では「始発駅」「終着駅」という意味だと思うが、日本語的に解釈すると、「何でたった4番乗り場までしかない佐賀駅がターミナルなの?」と突っ込みたくなる。

 電車は定刻の7:14に佐賀駅を発車した。車内は大部分の座席に1人以上座っている状況だった。日曜日だからだろう。鳥栖駅到着の3分前に席を立ち、運転席後ろで前方風景を見る。これは鳥栖駅から乗り換える八代行きの電車の形式を確認する為で、その電車のグレードのよって“心の準備”を決める。そんな大げさな・・・と思われる方もあるかとは思うが、本日最初の目的地である上熊本駅まではかなりの距離がある。815系のロングシートに乗るか、他形式のクロスシートに乗るかには、大きな差があるのだ。鳥栖始発なので、811・813系は期待していなかったが、せめてロングシートの815系よりも、クロスシートの817系を・・・と願っていたが、鳥栖駅直前にちらっと見えた電車は、明らかに815系だった。電光表示板で確認しても、結果は同じ・・・。

 車内は空いていたが、やはりロングシートはちょっと乗りにくい。電車は定刻の7:41に発車し、途中駅で特急先行などを行いながら、鹿児島本線を南下する。荒尾ではちょっと長めに停車するとのことなので、電車から降りて駅舎などを撮影した。

 上熊本駅には、定刻の9:22に到着した。小雨が降っていた。上熊本駅といえば、古い木造の駅舎が有名だったが、九州新幹線の工事により、既に取り壊されていた(建物の一部は市電の電停として使うという)。

 今回、上熊本駅に降り立ったのは、熊本市電の未乗区間と熊本電鉄の制覇のためである。さらに、この2路線の制覇が完了すれば、午後はJR三角線も制覇予定だ。

 上熊本駅前電停には、既に健軍町行き・超低床車の9700形が発車を待っていた。女性の方を中心にどんどん乗っていた。連接車のうち、後部車両は乗車口ドアに近いことからほぼ埋まっていたので、私は先頭車両の運転席後ろの座席に座った。女性の車掌が発車のアナウンスをすると、電車がゆっくりと発車。すぐそばの車両基地には、旧型車をはじめ、旧福岡市内線の電車も停車していた。

 市の中心部へ近づくにつれて乗客も増えていった。熊本城前電停や通町筋電停などの中心部を過ぎ、白川という大きな川を渡ると、逆に乗客は降りて行き、終点の健軍町で降りたのはわずか数人だった。相変わらず小雨が降っていた。

 健軍町電停は降り場と乗り場が、道路の幅の関係で別々となっており、降り場で乗客を下ろした電車は、さらにその奥の乗り場まで行って折り返す。下の写真は、今まで乗ってきた9700形が、降り場から乗り場へ移動している時に撮影したものである。

 旧型車に乗りたくなったので、先に折り返す9700形はパスし、後続の1090形に乗ることにした。それまで時間があるので、電停名表示板やこれから延伸する計画もあるというレールの末端などを撮影。

 9700形が発車すると、全面広告車の1090形1093号車が入線した。

 車内は木の床で、幾重にもペンキが塗られた窓枠も木のようだった。この1090形は、製造初年が1955年(昭和30年)なので、既に50年以上走っていることになる。

 始発電停にしては、乗客の数は多く、立ち席が出るほどだった。やがて出発時刻となり、発車。グォーンという重々しい音を響かせながら、熊本市の中心部へ向かっていく。健軍町電停に到着した時点で、熊本市電は全線制覇が完了したので、お次は熊本電鉄制覇だ。

 繁華街のど真ん中にある通町筋電停で下車。少し時間があるので、市電の車両を撮影。平成生まれの9200形と昭和生まれの1090形のすれ違いである。

 地図を見ると、熊本電鉄の藤崎宮前駅は、通町筋電停前の交差点から北に延びるアーケードを通った方が近いようだ。道路を渡り、アーケードを歩く。さすがは(佐賀から見れば)大都市熊本の繁華街。昼間から人の波ができている。昼間なのに誰もいないような佐賀市内の中心商店街アーケードも、このくらいの活気があれば・・・と思うのだが、中心商店街の起爆剤として期待されていた「エスプラッツ」が事業に失敗し、去年の暮れに老舗スーパーが閉店してからは、ますます衰退してしまったような感じである。

 衰退原因の一つには、郊外に大型商業施設が次々に造られた事が挙げられる。佐賀市内だけで、既に2社3店舗が展開し、現在も九州最大級の規模とも呼ばれる同様の施設の建設が進んでいる。どれもマイカーによる来店を想定し、建物の周囲には広々とした駐車場が併設されている。また、既存施設は、建物を増床したり映画館を新設したりしている。

 私はこのような傾向を好まない。何で人口20万強の佐賀市に、これだけの大型商業施設が必要なのだろうか。新聞に載っていた関係者のコメントでは、「福岡県南部からのお客様を想定している。」とあったが、結局は自動車で来て、大量に買い物をしてもらう・・・という、アメリカのスーパーと何ら変わらない発想なのである。思うのだが、ここで一番損をするのは一体誰なのだろうか。紛れも無く、地元・佐賀市民である。郊外や福岡県から自動車でやって来て買うだけ買って帰る。おかげで交通量が増え、それに対応しようとして中途半端な道路工事をし、結局、佐賀市は汚い街と化してしまったのだ。

 さらに、先ほど述べたような中心商店街の衰退により、どんどん元気のない街になってしまう。若者はみんな自動車に乗って郊外へ、自動車を持たない中心部に住む高齢者は身動きできずに出歩かなくなり、結局は宅配サービスなどに頼ってしまい、そして体自身も足腰が弱っていくという悪循環を招いている。

 これから先、高齢化や人口が減少どんどん減っていく日本で、街の中心部をさらに衰退させていくような動きは、果たして現実に相応しいのか疑問だ。スーパーを展開している会社も、自分の目の先の営利ばかりを考えないで欲しい。

 ―――そう思っているうちに、人は少なくなって、アーケードも終点に近づき、

 ちょっと迷って藤崎宮前駅に到着した。

 藤崎宮駅は、雑居ビルのような建物の一角にあるひっそりとした駅で、人もまばらだった。電車は数分前に発車したばかりだった。時刻表を見ると30分に1本。あと20数分待たなければならない。窓口らしき所はあったが閉鎖されており、驚いたことに改札口には整理券発行機が設置されていた。熊本電鉄の経営が非常に苦しいことは以前から知っていたが、熊本市の中心部に最も近い藤崎宮前駅でさえ整理券発行の無人駅だ。想像以上の状況のようである。

 11:12、御代志方面から折り返しの電車が入線した。元東京都交通局都営地下鉄三田線の6000系の2両編成だった。

 乗客の数は多かったが、1両分も乗っていなかったようだ。その後、乗車が開始された。発車時刻は11:25。発車まで時間があるので、乗客の姿はまばらだ(写真は車内の様子)。

   乗客は次々に乗ってきたが、それでも座席定員の半分程度しか乗っていなかった。やがて発車時刻となり、ドアが閉まった。私は運転席後ろでビデオカメラを構えた。その時だった。

「お客様、大変申し訳ないのですが、ビデオカメラでの撮影はご遠慮下さい。カメラはいいんですけど・・・。」

 運転士にそう言われた。既に電車は動き出していたので、これ以上は聞き返さなかったが、普通はフラッシュを出してしまうカメラならば禁止されても不思議には思わないが、ビデオカメラでの撮影が禁止されているとは思わなかった。

 電車はやや低速気味に住宅街の間を抜けていく。驚いたことに、大部分の架線柱が、コンクリートではなく、木の柱なのである。また、踏み切りの警報音も、「カンカンカンカン」ではなく、「チンチンチンチン」なのである。熊本電鉄のこだわりか、それとも昔の設備がまだ使えるので、更新せずに使っているのか。それは分からないが、譲渡されてきた車両といい、この電柱や警報音といい、熊本電鉄は非常に貴重な鉄道会社、いや、貴重な電車の博物館と言えるだろう。下の写真は終点の御代志駅で撮影したものだが、この通り両側に木の電柱が並んでいる。

 北熊本を発車すると、住宅はまばらになり、離合したり、トンネルを通過したりした。途中、いきなり雨脚が強くなり、ドアが開いた途端、ドア付近の床がびしょ濡れになった。雨が強くなったり小康状態になったりを繰り返している間に終点の御代志駅に到着。ホームはバスと共用で、バスには対面乗り換えをすることが可能だ。また、電車乗務員用の小さな休憩所と公衆トイレもあった。

 かつては、この御代志駅から先にも路線があり、菊池というところまで路線が延びていたという。

   折り返しまで時間があるので、ここまで乗ってきた6000系電車を撮影。

 「東京都交通局」の銘板もそのまま。

 車内の案内広告。熊本電鉄では、晴天時や閑散時間帯などの条件があるものの、自転車の持ち込みができる。

 発車時間が近づき、車内に乗り込む。再び雨が強くなった。

 電車は御代志駅を発車すると、もと来た道を戻っていく。途中の北熊本で、上熊本行きに乗り換え。雨が一番ひどいときで、往路で目撃した茶色い旧型電車や、車両基地に停まっている電車を素早く撮影。

 茶色い電車は、モハ71というそうであり、広浜鉄道(現在のJR可部線)に所属していた車両で、1936年(昭和11年)に国有化された際に、国鉄所有の電車となった。1945年(昭和20年)8月6日に広島市に投下された原子爆弾により被曝した「被曝電車」と呼ばれることが多いそうだが、当時、この車両は山口県の幡生工場に入場しており、実際には被曝していないという。現在、車籍は無く、事実上廃車扱いとなっているが、駅構内の入れ替え用として残されているそうだ。

 

Aへ  

旅行記&特集へ

トップへ