寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行

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管理人が中学校卒業旅行として東京や山陰に行った時の旅行記です。

4月2日(日)・熊本後編

  隣のホームで発車を待っている上熊本行きの5000系(元東京急行5000系)に乗車。通称は「青ガエル」で、愛嬌ある顔つきの流線型と両運転台改造による面白い顔つきの単行電車である。車内の吊革には、今でも「東急百貨店」と書かれた広告が残されており、東京からやって来てそのままになっているようだ。

 間もなく発車し、「韓々坂(かんかんざか)」という面白い名前の駅を通り、9分少々で終点の上熊本駅に到着した。乗客が全員降りたところで、車内全体を撮影。

 外に出て、流線型タイプの顔を撮影。なるほど、確かにカエルのようにも見える。

 駅は単式1面1線のホームで、小さな待合室があった。駅の外に出て、反対側の顔も撮影。

 既に廃止となってしまったが、菊池行き電車が運行されていた頃の色あせた看板も撮影。

 そして、駅前に立っている、熊本ゆかりの夏目漱石の像を撮影した。本当は木造の旧駅舎との組み合わせで撮影したかったのだが、背景の工事現場の通り、残念ながら撮影できなかった。

 駅に入場する前に、上熊本駅の仮駅舎も撮影。いずれは立派な駅舎になるのだろう。

 さっきまでの大雨がうそのように天候は回復し、次第に晴れてきた。ちょっと時間があるし、乗り放題の青春18きっぷも持っているので、近くの駅まで往復することにした。

 時刻表で調べると、もうすぐ上熊本駅に到着する上りの各駅停車に乗ると、2駅先の「西里(にしさと)駅」で降りれば、難なく下り列車で戻って来て、計画通りの旅を続けることが出来ることが分かった。この計画で行くことにし、早速駅に入って電車を待った。

 ひらひらと桜の花びらがホームに舞い降りてきた。ここからは見えなかったが、近くに桜の花があるのだろう。まさに春真っ只中。明日の東京でも、満開の桜を見ることができるだろう。やがて、815系鳥栖行き電車が入線した。

 13:10頃、西里駅に到着。数人の乗客が降りた後は、駅構内が静かになった。駅周辺はのどかな田園風景がひろがり、黄色い菜の花がとても鮮やかだった。

   やがて、八代行きの815系が到着し、再び熊本へ戻った。熊本ではやや長めに停車するので、一旦途中下車し、昼食用に弁当を買いに行く。改札口前の売店で品定めをしていると、「SL弁当」なる値札を発見。しかし、どこにも置いてなかったので、売店の方に尋ねると、残念ながら売り切れなのだという。仕方が無いので、「ビジネスランチ」(380円)を購入した。お値段の割には、中身はなかなかである。

 先ほどの電車に戻り、次は宇土駅へ。

   宇土駅に古い木造駅舎が残っていることは知っていたが、外観がまた独特であり、これは駅舎が建築された頃に流行した様式で、南九州のいくつかの駅でも、このような様式の駅舎が残っているという。

 駅舎の天井は高く、広々とした印象だった。

 駅舎の一角に売店があった。その売店では、「宇土名物 小袖餅」という名産品が売られており、値段も300円とお手ごろだったので、今晩、「はやぶさ」の車中で食べようと、1袋購入した。売店のおばちゃんが、

「大きな荷物を持ってるけど、これからどこに行くの。」

と聞かれたので、

「東京です。今日の夜行に乗って。この餅も車内で食べようと思って。」

「そう。そいないよかたいね(それなら、いいですね)。気をつけてね。」

 何気ない会話であるが、私が今までに行った旅先では、地元の方と話す機会があまり無かったように感じる。ただ私から話さないだけであるが、今までの旅行で悔いるならば、この点だろう。そして、今回のように、孤独な一人旅を気遣ってくれる方もいる。旅先で話すことを大切にしたいものだと思った。

 再び駅に入場した。跨線橋の入り口には、昔の名残と思われる「鹿児島・・・方面」という看板があった。今、鈍行列車で鹿児島へ行く人は、いったいどれくらいいるのだろうか。

 次は、熊本県内のJR線で、唯一未制覇だった三角線に乗車。三角線直通の列車が乗り入れるホームは3番乗り場だが、列車を待つ人は結構多かった。駅の横では九州新幹線の工事が進められており、横を走る在来線もいずれは高架化されるという。上熊本駅同様、宇土駅の駅舎も取り壊されてしまうのだろうか。残念な話である。

 やがて、熊本方面から真っ赤なキハ200形の2両編成が入線した。 

 車内は空いており、ホームで待っていた人も全員着席できたようだ。13:49、定刻に発車。まもなく右手に分かれ、ジョイント音のリズムが変わった。私は1つのボックスを独り占めでき、先ほどの熊本駅で買った弁当も、景色を楽しみながら食べることが出来た。

 右手に有明海が広がるようになった。乗客のほとんどが海の方を見ている。私が座ったのは左側の席だったので、ちょっと見えにくかった。遠くの海は白波が立ち、手前は「千枚岩」と呼ばれる、波の浸食によってできた幾何学的な模様が浮かび上がっていた。

 海が見えなくなると、列車は宇土半島を横断して、今度は進行方向左側に海が広がるようになった。と、思ったら終点の三角駅に到着。時間は14:25の定刻だった。

 途中下車印をもらって駅を出て、駅舎を撮影。独特の屋根が特徴的だったが、錆びた展望台(閉鎖中)が無ければ、もっと良い駅舎になるのではないか・・・と思った。

 ここである重大なことを思い出した。明日、私は交通博物館に行く予定だが、期間限定で公開されている「旧万世橋駅遺構」の予約を取っていなかったのだ。すでに予約期限は切れていたが、もしかすると・・・と思って駅前の公衆電話に行き、予約箇所に電話してみたが、やはり明日の予約をすることはできないという。ただ、「当日も受け付けておりますので、お早めに・・・」という情報が分かったので、それだけでも収穫があった。でも、よく考えてみると、今日乗る「はやぶさ」は、東京には明日の9:58に着く。博物館の開館は9:30だから、おそらくその時刻から人でいっぱいだろう・・・仕方ないが、旧万世橋遺構の見学は諦めた。

 三角といえば海である。道路を渡って、岸壁へ。三角形のその名も「海のピラミッド」というフェリーターミナルがあったが、私はその隣にある岸壁から海を眺めた。

 午前中の天候は何だったのか?というくらいに晴れ、海もおだやかだ。こんな日に船旅をすれば、さぞ気持ちよかろう・・・と、隣のフェリーターミナルに入っていく人々を見ながら思った。

 発車時間15分前になった。三角駅に戻って列車を撮影。

 この列車は、三角へは無名の「各駅停車」として走ってきたが、ここで折り返すと、快速「天草グルメ快速おこしき」という長たらしい列車名となって熊本へ向かうのだ。「グルメ」とあるが、車内で料理が振舞われるわけでもなく、特別な放送があるだけで、設備上は他と何ら変わりない。

 往路では陸側に座ったので海が見にくかったので、今度は海側の席を陣取る。発車時刻が近づくと、年配の方々のグループがいくつか乗ってきた。他にも買い物に行く様子の人や高校生の姿も見受けられる。もはやこの快速列車に名前を付けるほどの価値があるのか、と思う。

 14:58に三角駅を発車。赤瀬駅を発車すると、車窓左手には遠浅の有明海が広がった。

 ところで、さっきは散々批判した列車名の「おこしき」とは一体何なのだろうか。旅行から帰ってから調べてみると、漢字では「御輿来」と書くそうで、8世紀前半に、景行天皇が九州巡幸をした際、この地で御輿を止めたのが地名の由来なのだという。列車からは、その石碑も見えた。

   網田駅という赤瓦の綺麗な駅舎がある駅を発車すると、

 いよいよ「千枚岩」という、波の侵食でできた幾何学的模様が続く。自然とは本当に不思議なものだ。

 やがて海は遠のき、宇土まで戻ってくると、熊本はもうすぐだ。今夜の宿である「はやぶさ」が発車に向けてスタンバイしているであろう川尻の車両基地の横を通り抜け、数分後に終点熊本に到着した。

 ホームのキヨスクで、夕食の為の弁当や飲み物、ちょっとしたお菓子を購入。近年の寝台特急は残念なことに食堂車はおろか、ロビーカーでさえ連結していない列車が多くなり、乗車前の買い込みの際は、上の三品は必需品となった。弁当を選ぶ際は、非常に迷ったが、熊本駅構内の駅弁業者が製造した「あさりめし」(630円)を購入。容器の形も有明海特産の「あさり」を象っており、非常にユニークであった。

 よく見回してみると、ホームには旅行バックや大きな荷物を持った方々が見受けられた。私と同じく、「はやぶさ」に乗って旅立たれるのであろう。ブルトレ好きとしては嬉しいお客様である。

 やがて、列車入線のアナウンスが流れ、ED76形94号機を先頭に、青い14系客車の「はやぶさ」がゆっくりと入ってきた。

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