寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行

寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行

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管理人が中学校卒業旅行として東京や山陰に行った時の旅行記です。

4月3日(月)・東京編

 「はやぶさ」のドアが開いた。急いで先頭の機関車の所まで行く。既に何人かの人々が写真を撮っていたので、邪魔にならないように撮影を開始した。隣の東北・上越新幹線からはE1系が発車していった。

 その後、他の客車も撮影した。

 「富士」の方向幕には、かつて西鹿児島駅(当時)から鹿児島本線経由「はやぶさ」と日豊本線経由「富士」という2つの列車が東京へ向かっていた頃の名残があった。

 ちなみに、4月2日熊本発・翌東京着の「はやぶさ」の編成は、先頭12号車から「スハネフ15−2(B寝台開放式・緩急車)」「オハネ15−1122(B寝台開放式)」「オハネ15−2(B寝台開放式)」「オハネ15−2005(B寝台個室)」「オロネ15−3006(A寝台個室)」「スハネフ15−1(B寝台開放式・緩急車)」というもので、全車が14系15形だった。

 時計を見ると10:10。予定時間を5分オーバーしてしまった。急いで東京駅の丸ノ内口駅舎を撮影しに行く。連絡通路は多くの人々で混雑しており、人の波に乗るのがやっとだった。

 丸ノ内南口改札で、きっぷを記念にもらおうと有人改札で順番を待っていると、2人先に並んでいた外国人夫婦が駅員となにやら話していた。「これは時間がかかるな〜」と思っていると、何と駅員が英語ペラペラで、その外国人はあっさりと“Thank you very much!”と言って立ち去って行った。さすがは日本を代表する東京駅の駅員だと思った。もしかすると、将来的にJRの入社試験が、「英語検定2級以上の人は優遇します。」ということになるかも知れない。

 駅前のタクシー乗り場のタクシーの数に驚きながらその間を抜け、ちょっとした緑地帯から駅舎を撮影。東京駅丸ノ内口の駅舎は1914年(大正3年)完成で、設計者は佐賀県唐津市出身の辰野金吾である。関東大震災ではびくともしなかったそうだが、太平洋戦争中の空襲により、レンガの壁を残して焼け落ちてしまったという。その後、現在の角ばった屋根となったが、昔の姿に戻そうと、間もなく復元工事が始まるのだという。そのため、3日前に「東京ステーションホテル」は営業を休止したそうだ。

 東京駅前の桜は満開で、道路を挟んだずっと奥には、江戸城址の一部と思われる建物も見えた。やや風が強いのが気になったが、東京も快晴で、陽射しが少し強かった。

 早速駅舎を撮影。

 ちょっと障害物が多かったので、少し移動してもう一枚。

 時間が無いので、急いで駅に戻る。計画では、山手線で御徒町駅まで行き、駅の撮影スポットで外回り電車を撮影してから秋葉原に行くことになっている。

 山手線内回りのホームに行く。

 時刻は10:25になったが、先ほどの「はやぶさ・富士」はまだ回送されていなかった。外回り電車はやって来たが、内回り電車はまだ来ない。

 京浜東北線は、日中が快速運転なので、御徒町駅には停まらない。だから、山手線内回りを使うしかないのだ。2、3分後、有楽町方面からE231系がくねくねと曲がりながら入線した。

 車内は非常に空いており、下の写真の座席のように、大窓一つ分も誰一人として座っていない座席もあった。東京の電車は昼間でも混雑しているようなイメージがあったが、必ずしもそうではないようだ。

 神田、秋葉原と停車していき、御徒町駅に到着。続いて外回りホームの上野寄りに向かう。確かになかなか良さそうだ。京浜東北線電車が通過した後、長編成のE231系が入線した。

 この電車にそのまま乗って、秋葉原駅へ。

 秋葉原駅の留置線には、なぜか常磐線で活躍している403系が停車していた。

 その後、総武線のE231系を撮影して、

 秋葉原駅の改札を出て、「つくばエクスプレス」の撮影へ。階段を下りたり、ぐるぐると通路を歩いたりして、やっと「つくばエクスプレス」の改札口に到着。驚いたのは、高齢者の数が結構多かったことだ。階段を歩いていた人も結構多かったが、どこかにエレベータがあるのだろう。さすがに階段で地上に出るのは、高齢者にとって酷である。

 券売機で入場券(160円)を買い、ホームに行って停車していた守谷行きやつくば行きの電車を撮影した。だが、先頭車がホームの端のぎりぎりに停まっていたので、きちんと顔を撮影することが出来なかった。下の写真は全て秋葉原駅で撮影したもの。

 11:10過ぎ、つくばエクスプレスの秋葉原駅を出て地上へ。その後、秋葉原駅の「みどりの窓口」に行った。目的は、交通博物館の入館券を買うためである。博物館ではなく、JR東日本の「みどりの窓口」で買うと、料金が割引になるのだ。私の前に並んでいた親子連れも、交通博物館の入館券を買っていた。自分の番になったので、窓口で入館券を購入。その後、今夜乗る「ムーンライトながら」の指定区間変更ができるかどうかを駅員に尋ねた。だが、その駅員は「ながら」の指定席についてちゃんと心得ていて、今区間変更を行うと、他の方から横入りされる恐れがあるので、行わないほうが良いということだった。確かにその恐れは大きい。私はお礼を言って、駅を出た。

 秋葉原駅前は多くの人々が歩いており、「サトームセン」という会社のCMが大画面のテレビで流れていた。さすがは電気の街である。と思っていたら、すぐそばを「電車男」のようないわゆる「オタク」が通り過ぎていった。そういえば、どこかで見たな、と思っていた駅前の様子は、去年、フジテレビで放送されたドラマ「電車男」のロケ地だった。

 秋葉原の駅前ではティッシュが配られており、喜んで1枚いただいた。続いて、何か雑誌が配られていて、差し出されたのでもらった。何の雑誌か見てみると、自分の人生設計の為の雑誌だった。って、これはドラマ第一話の山田(電車男)と何ら変わり無いではないか!

 ここにいると何があるか分からないので、急いで大通りへ。大通りに出て左折する。交通博物館に行くのは4回目なので、道順は覚えている。万世橋交差点で“信号停車”。ふと空を見上げてみると、雲一つ無い快晴である。 

 ん!?ここであることに気がついた。この「石丸電気」や「オノデン」という看板、それにこの配置。どこかで・・・。あっ「電車男」!また「電車男」の一シーンを思い出してしまった。確か、電車男がエルメスに告白したビルの屋上から見えていたはず。ということは、その反対側のビルが、ロケ地か・・・。

 屋上のフェンス、おそらく間違いないだろう。いつの間にか交通博物館への行程が、「電車男ロケ地巡り」と化していた。万世橋の交差点からは、遠くに中央線の201系が見え、高架橋のところには「交通博物館」と書いてあった。

 交差点を渡って、万世橋を渡る。橋からは、山手線や京浜東北線が走っている橋が見えた。ちなみに、ここも電車男のロケ地である。気になる方で、録画されていた方は確認して欲しい。

 さて、交通博物館はもう少しだ、と思っていると、何と中央線の高架橋の上に、「ムーミン」の愛称があるEF55形機関車が。目の前で見たのは初めてである。

   そして、さらに大通りを渡って、やっと交通博物館に到着した。

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