寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行
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寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行

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管理人が中学校卒業旅行として東京や山陰に行った時の旅行記です。

4月3日(月)・はやぶさ後編

   車内が明るくなっていた。腕時計を見ると、6:00。既に名古屋は発車していた。カーテンを開けると、まばゆい朝日が車内に差し込んできた。

「皆様、おはようございます。本日は4月3日月曜日、列車は定刻通り走っております。」

   6:10過ぎ、オルゴールが流れて、いわゆる「おはよう放送」が始まった。放送の内容は、東京までの停車駅の案内と到着時刻などで、「おやすみ放送」に比べて手短に行われた。しばらくして、再びオルゴールが流れた。車掌が使っていたものとはまた別のタイプだった。この放送はワゴンサービスの案内で、名古屋から乗務を開始したジェイアール東海パッセンジャーズの販売員によるものだった。

 数分後、今度は海の上を走るようになった。いや、海ではない。うなぎで有名な浜名湖だった。海面は朝日で光り、とても綺麗だった。すぐ隣には東海道新幹線が並行している。途中、鮮やかな赤の鳥居もちらっと見えた。

 浜松には6:30に到着。別のホームには113系が停まっていた。浜松を発車した。次の静岡までは約1時間程かかる。次第にすれ違う列車の本数が増えてきた。貨物列車も、昨夜の山陽本線で何度も見かけたそれ以上に長編成だった。

 列車は、浜松辺りまで海の近くを走っていたが、内陸部に入ったあとは、蛇行しながら静岡県内を一路東京へ向かって進む。通路側(山側)に出て車窓を眺めていると、平たい屋根の駅舎が見え、しばらく行くと、別の鉄道線路が左にカーブして分かれていった。大井川鐵道が接続する金谷駅だった。旧型客車のSL急行が走る大井川鐵道にも、いつか乗ってみたいものだ。

 また、静岡特産のお茶畑も見られた。在来線だけにすぐ目と鼻の先にお茶畑が見え、速度も新幹線に比べればゆっくりなので、濃い緑の車窓がしばらく続いた。

 列車がカーブに差し掛かると、先頭の機関車が見えた。下関からずっと牽引しているEF66形。東京までよろしく、と心の中でお願いする。ちなみに、下の写真には機関車の先に113系も見えている。

 その後、「はやぶさ」と「富士」の併結部分で、テールマークを撮影。テールマークを目の前で見ることが出来るのは、ここだけである。

 長い鉄橋を渡る。静岡県内は大雨だったようで、川の水が少し濁っている。だが、今日はすっきりと晴れ、絶好の旅行日和となった。列車は、この後も何度か長い鉄橋を渡った。

   車内販売が回って来た。早速朝食の弁当を購入。「かきつばた」という名前の幕の内弁当で、値段は1000円。ちなみに、4年前に「さくら」に乗ったときは、東京かどこかの大学生が考案したという弁当だった。その時に、私は列車グッズを販売しているかどうかを聞いたが、現在は販売していないという返事だった。だが、もしかすると今は再び販売されているかも知れない、と思い、千円札を財布に入れようとしていた販売員の方に、

「列車のグッズは販売していますか?」

と尋ねた。でも、返事は、

「グッズは、無い・・・です、ね。」

やはり・・・。でも、今日のメインである交通博物館にも売られているだろうから、そこで買うことにした。自動販売機でお茶を買い、早速弁当を開けてみる。紙の容器には「神山や大田の沢の かきつばた ふかきたのみは色にみゆらむ」という、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した藤原俊成という歌人の歌が載せられていた。この「かきつばた」は、京都に群生しているかきつばたを詠んだものだという。

 早速食べてみる。やはり列車内で食べる料理はとても美味しいし、汽車旅の醍醐味の一つであると思う。静岡到着前には全部食べ終わってしまった。でも、何かと食べ足りないので、さっきの車内販売の方を追いかけて、サンドイッチを購入した。待てよ・・・。よくよく考えてみると、今日は移動の連続だ。お昼に食事ができるかどうかが分からなかったので、これは食べずにお昼用にすることにした。

 富士山が小さく見えてきた。空は雲一つ無い快晴。4年前に「さくら」に乗って東京に行った時も、驚くばかりに綺麗な富士山を見ることが出来たが、今回も綺麗に見れるとは、本当に運がよかったと思う。  静岡には7:28に到着した。この辺りから下車する乗客が増えてきた。確かに、ビジネス利用には丁度良い到着時刻である。列車は、311系と入れ違いで7:30に発車した。

 列車はさらに東へ向かう。列車がカーブを曲がるたびに、富士山は車窓の左へ右へ進行方向へと見える位置を変えた。海のそばを通って東名高速道路と少し並走し、東海道新幹線の700系とグッドタイミングで同時交差すると、いよいよ美しい姿の富士山が目の前に迫ってきた。8時過ぎ、列車は富士川を渡った。

   富士には8:01に到着した。隣のホームには113系の沼津行きが発車を待っていた。東京〜熱海の東海道本線(JR東日本管轄区間)では消滅した113系が、ここでは健在だ。

   富士を発車し、富士市街を通り抜けると、再び富士山が顔を出した。だが、富士山はだんだん手前の山に隠れがちになり、沼津到着前には富士山の半分ぐらいが手前の山に隠れてしまった。富士山が最もよく見えるのは、名前通り富士駅手前からその先ぐらいなのだろう。

   沼津駅には、123系3両の回送電車と並走して入線。123系はホームを通り過ぎ、そのまま東京方面に行ってしまった。沼津駅には8:16に到着し、8:17に発車した。ちなみに東京方面へ走り去っていった123系3両は、沼津駅近くの車両基地に停車していた。

 その後、長い長い丹那トンネルを通り抜け、8:34、熱海駅に到着。発車メロディが聞こえてきた。JR東日本の管内に入ったのである。

 「はやぶさ・富士」の停車駅は、残すところ横浜と終点・東京だけになった。熱海を発車すると、今度は海のそばを走るようなった。海は穏やかで、春の陽射しが海面できらきらと反射して綺麗だった。朝焼けや富士山、太平洋など、新幹線ではゆっくりと味わえない車窓が、寝台特急「はやぶさ・富士」では何時間にも渡って堪能できるのだ。これは東海道本線を走る上り寝台特急に乗ったお客様だけに与えられる、最高の特典なのだ。

 東京まであと1時間。せっかくなので、車内散策をした。その際、私はいくつか面白いものを見つけた。まず、私が乗っている8号車の通路の端には、「JNR(国鉄の略称)」というマークが入った温度計が残されていた。

 続いて公衆電話と自動販売機。

 

 8号車の入り口のドアには、廃止になったはずの「ロビーカー」の案内シールが残されていた。

 続いて、先頭車両まで行き、「はやぶさ・富士」を牽引しているEF66形47号機のナンバープレートを撮影。腹の底まで響くモータ音は、今でも忘れられない。

 自分の個室に戻った。小田原、平塚と過ぎていくと、車窓は都会らしくなっていき、すれ違うE231系を見ていると、東京に近づいているという実感が湧いて来た。しかし、あと30、40分で18時間近くのこの旅が終わりを迎える。期待と寂しさが入り交ざる気持ちのまま、9:35、横浜駅に到着した。

 ラッシュ時間帯でもないのに、多くに人々が電車を待っている。だが、誰一人として「はやぶさ・富士」には目を向けず、忙しく動き回っている。博多駅では多くの人々が目を向けたのに。この温度差は一体何なのだろうか。

 京浜東北線の209系が入線した。それと同時に列車は横浜駅を発車した。電車の入線速度も速い。これはダイヤや編成の長さの関係だと思うが、ここでは電車の“性格”まで九州と違うように感じた。

 列車は何本も並ぶ線路のうちの1本を肩身が狭そうに走る。隣や対向の線路を走る新型の電車たちを見ていると、余計にそう感じてしまった。寝台特急「さくら」廃止の背景には、JR東日本から「邪魔者扱い」を受けたことも原因の一つだという。例えば一日中、東京のど真ん中の車両基地に留置しておくことが非常に邪魔になっていたり、速度の面でも他の電車の運行を阻害していたりしていたからだという。他の寝台特急でも同じような傾向が見られ、金沢発の「北陸」が遅れたので、首都圏の手前の駅で運転が打ち切りになったケースもあるという。夜行ということや機関車牽引だけに仕方の無いことかもしれないが、かつて「渋滞の原因になる」と言われて全国の都市から消えていった路面電車と同じく、寝台特急をじわりじわりと廃止していったところで、結局はあまり変わらないような気がする。

 それ以前の問題として、東京にはあまりにも多くの人間やモノが集中し過ぎていると思う。実に日本の総人口の1割、周辺の神奈川や千葉を含めると、もっと多い。他国でも、これほどに人口が集中しているところは、そう多くは無い。しかも、地震などの災害が少ないところばかりである。東京は直下型地震の発生が懸念されており、大正時代に発生した関東大震災並みの地震が発生すれば、完全に壊滅してしまうだろう。

 今、東京都はオリンピック誘致を意気込んでいるが、その前に少しは本気で首都機能の分散を考えて欲しいと思う。ここまで通信網が発達したのだから、出来ない話ではないと思うし、地方都市の活性化にも繋がると思う。

 にも関わらず、「オリンピックだ、オリンピックだ」と騒ぐ石原都知事の余裕ぶり大地震を全然恐れていないかのような態度には呆れてしまう。今に大きなしっぺ返しが来るに違いない。案外、オリンピックの調査委員会が「東京は大地震が起こる可能性が高いから」という理由で候補地から外すかも知れない。オリンピック開催前に地震が起こって、競技場が壊滅してしまっては話にならない。

 あと10分でこの旅が終わるという寂しさや空しさから、いろいろと考えて気を紛らわそうとしたが、結局は同じことだった。

 山手線と並走し始めると、品川を通過。その直後に、最後の車内放送が始まった。

「皆様、大変長らくのご乗車お疲れ様でした。まもなく終点の東京に到着します。お出口は左側10番乗り場の到着です。お乗換えのご案内をします。山手線内回り上野池袋方面は・・・。」

 乗り換えの案内と注意事項が放送された後、最後はこう締めくくられた。

「本日も寝台特急『はやぶさ号』『富士号』にご乗車いただき、誠にありがとうございました。本日の乗務は、JR西日本下関乗務員センターの○○と○○でした。皆様のまたのご乗車を“心より”お待ち申し上げまして、放送を終了させていただきます。」

 そうなのだ。一度乗った乗客が「何度も乗りたい。」と思わせることが重要なのだ。それは車掌の車内放送にもあるように、「心よりお待ち申し上げて」という放送一つでも違ってくると思う。そのためには、前ページで述べたように、車内設備の改善が不可欠だと思う。

 機関車の切り離しがすぐに行われるので、忘れ物が無いか確認し、急いで先頭車両方面へ向かう。どの乗客も既にデッキで降りるのを待っており、9号車「ソロ」までしか行くことが出来なかった。やがて「ピョー」という汽笛を鳴らしながら、ゆっくりと東京駅のホームに入線した。総乗車時間17時間58分の旅が終わった。

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