寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行
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寝台特急「はやぶさ」&夜行快速列車で行く中学校卒業旅行

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管理人が中学校卒業旅行として東京や山陰に行った時の旅行記です。

4月2日(日)〜3日(月)・はやぶさ前編

   私の横では、2人のおじさんがいて、ペットボトル入りの飲料をたくさん入れた大きな箱があった。どうやら自動販売機用の飲料らしいが、私はロビーカー廃止以降、「はやぶさ」には乗ったことが無かったので、どこに移設されたのか気になるところだった。後で確認してみると、何と8号車A寝台個室車両のトイレ横の狭いスペースに自動販売機が設置されており、反対側には公衆電話が設置されていた。

 話を戻して、熊本駅。停車すると、少し間を空けてドアが開いた。車内に入る。この緊張とワクワクした気持ちがたまらない。今夜の宿は、8号車A寝台1人用個室「シングルデラックス」5号室。今回は大奮発で、このA寝台個室を選択した。寝台特急には何度か夜通しで乗ったことがあるが、実はA寝台に乗るのは今回が初めてである。

 5号室の前に立つ。いよいよ室内に入るのだ。ドアを開ける。そこには、今晩の宿が待ち構えていた。

 きちんと整頓されて置かれている寝具、木目調の化粧板、金色の空調調整板、ヘッドマークタオル、暗証ロックのキー・・・。ヘッドマークタオルの存在は以前から知っていたが、お目にかかるのは今回が初めてである。ちなみに「さくら」最終日には、このタオルが記念に2枚配られたとか。マークは、「さくら」「はやぶさ」「富士」だが、どれもブルトレ全盛期時代のヘッドマークだった。

 横には赤文字で「JR」のマーク(JR九州)が添えられていたが、JR九州が昔のヘッドマークを取り入れたのは、なかなか良い発想だと思う。

 入線後、車内放送は一切無く、かすかにホームの発車放送が聞こえたかと思うと、ドアの閉まる音がして、ゴトッという軽い衝撃とともに動き出した。時刻にして定刻の16:00。いよいよ、東京への長旅が始まった――――。

 列車は次第に速度を上げていく。その時、ようやく初めての車内放送があった。ただ、残念だったのは、この放送を含めて、九州内では一度もオルゴールが流されなかったことである。

「ご乗車、ありがとうございます。この列車は、東京行きの寝台特急『はやぶさ』号です。前より、12号車、11号車の順に―――。」

 列車内の案内、列車の停車駅、停車時刻、注意事項など、夜行列車の始発駅発車後ならではの放送が行われた。その車内放送によれば、今夜は岡山まで乗車客があるという。岡山の到着は日付が変わった後である。「あさかぜ」が廃止になった今、寝台特急「はやぶさ」と、門司で併結する「富士」の重要性が少し増したのだと思う。

 A寝台を利用する人は多いようで、通路に出ると、あちらこちらからガサゴソという音が聞こえてきた。

 熊本市街を抜けると、のどかな田園風景が広がるようになり、お昼に立ち寄った西里駅や、「田原坂」という白い文字看板が立てられている小高い山が車窓に見えた。

 大牟田駅に着いた。大牟田で乗車した人は思ったよりも多く、窓からは乗車位置を間違え、大慌てで予定の乗車口に向かっているものと思われる親子連れが見えた。寝台特急に乗る人は、乗り換えを嫌う中高年や高齢者が多いそうだが、現に若者の利用もある。案外、ちょっとした宣伝次第で乗客は増えるのかもしれない。だが、「はやぶさ」や「富士」の現状の設備では、車内の狭さや古さ、ロビーやラウンジの連結なしなどの乗客のニーズに応え切れない部分が多々あり、せめて広々としたロビーカーの再連結や、それができなければ一般のB寝台客車を半室ロビーに改造するなどの対策を講じる必要があると思う。

 大牟田を過ぎてしばらくすると、九州新幹線の工事現場が見えた。

 高架橋自体は既に大部分が完成しているようだった。「はやぶさ」から見れば、過去最大の敵であるが、「はやぶさ」に喋ることが出来たら、一体何と言うだろうか。2011年(平成23年)、この新幹線は博多まで開通する。

   まもなく久留米に到着するというとき、駅手前で信号停車があった。3、4分は停まっていたと思う。車掌からは短い放送があっただけだが、その後は何事も無かったかのように久留米、筑後川を渡って鳥栖と停まっていった。両駅でも、「はやぶさ」に乗ってくる人は何人かいた(写真は筑後川)。

 博多に到着した。

 博多駅でも、多くの人々が「はやぶさ」に乗り込んだ。他のホームには、787系や813系が停まっている。停車しているホームの反対側のホームには813系が停車していたが、面白いことに813系に乗っている乗客の多くが「はやぶさ」の方を見たり、指差したりしている。子供の姿も多かった。寝台特急はいつの時代も人々の憧れであることは変わりないようだ。

 定刻ならば、博多駅には4分停車することになっていたが、久留米駅手前で遅れが発生したので、下りの415系1500番台+415系国鉄色と入れ違いでまもなく発車した。

 途中の筑前新宮駅では、特急「有明」を先行させ、一路東へ向かう。既に日は西に傾き、やがて沈んだ。

   九州第二位の人口を抱える北九州市最大の駅・小倉でも、何人かの人々が、家路に急ぐサラリーマンをかき分けて「はやぶさ」に乗ってきた。

 小倉を発車すると、次は門司である。

 門司では、大分発の寝台特急「富士」と併結する。併結の手順は、かつて上りの「さくら」と「はやぶさ」が鳥栖駅で行っていたものと非常によく似ており、先に6番乗り場に到着した「はやぶさ」を一旦門司港寄りに待避させ、おそらくこの待ち時間で機関車をED76形からEF81形に付け替えるのだろう。続いて6番乗り場に到着した「富士」の機関車を切り離し、そして「はやぶさ」がバックで連結する、というものである。

 6番乗り場到着後、私を含めて、男女老若合わせて10人ほどの乗客がホームに降りた。皆、併結作業という“儀式”を見たいのだろう。一方、「はやぶさ」は他の乗客や荷物を乗せたまま、門司港寄りの線路まで一旦向かった(下の写真)。なお、発車まで時間があったので、方向幕も撮影した。

 

   18:58、大分発の「富士」が門司駅5番乗り場に到着した。

  「富士」からも乗客が降りてきて、ホームはやや賑やかになった。子供を含めて、ほとんどの人が手にカメラつき携帯電話やデジタルカメラを持っていた。

 機関車が切り離され、回送されていくと、「富士」の方は連結スタンバイ完了である。

   数分後、今度は先ほどの「はやぶさ」が、連結部分のドアを開けて、バックで入線。

   ゆっくりゆっくり近づいてくる客車。作業員と連結部分を見ることが出来ない機関士との交信がひっきりなしに行われている。乗客たちにも緊張が走る。近づいて近づいて・・・ガチャン!上手く連結できなかったので、もう一度。ガチャン!そして完了。すぐに作業員が降りてきて、ホースを繋いだ。

   その後、幌を繋いだり、連結板をセットする作業が行われた。

 門司駅での儀式が終わり、乗客たちは三々五々、それぞれの「寝床」に一旦帰っていった。

 私も個室に戻った。やがて、19:15に門司駅を発車し、関門トンネルに入った。5、6分で抜け、下関駅に近づく前に、列車の先頭方向に移動を開始。「下関では、ホームでお弁当の販売を行っております。」と車内放送が行われたが、私は既に「あさりめし」を買っていたので、そのまま東京寄りの12号車へ。

 ドアが開いた。

 買い物をする人が多かったので、門司に比べて“儀式”を見る人は、それほど多くなかった。まず、門司から牽引してきた交直両用電気機関車のEF81形410号機を切り離す。

 機関車が切り離された後、客車側も連結のスタンバイをする。

 続いて、本州区間用の直流電気機関車・EE66形47号機を連結。

 下関駅の停車時間は5分だが、作業は全て完了した。そして、19:27、定刻に発車した。

 画像のように、既に外は真っ暗。いよいよ夜行列車らしい雰囲気となり、他の乗客の物音も次第に静かになってきた。就寝時間には早すぎるのだが、おそらくどの乗客も汽車旅に慣れてきたのだろう。車掌もJR西日本の車掌に交代し、オルゴールも鳴らされるようになった。

 夕食をまだ食べていなかったので、早速、始発の熊本駅で買った「あさりめし」を食べる。

   あさりを入れる網をイメージしたと思われる赤い網に入れられた容器は、あさりの貝殻を模したものだった。中にはあさりがたくさん入っており、味がよくしみこんでいて美味しかった。安価なので、内容の種類はそれほど多くなかったが、それで630円の駅弁を発売することは偉いと思う。

 ピョ―ッと汽笛が鳴って、ヒューンダダダダダと貨物列車がすれ違った。さすがは東海道に次ぐ日本の大動脈。この後も長編成の貨物列車と何度もすれ違った。

 宇部には20:03に到着。わずかな停車時間で発車していった。その後は新山口、防府(ほうふ)、徳山と停車。徳山到着前には、夜も遅くなってきているのに、こうこうと電気をつけてもうもうと煙を吐く工場群が見えた。その電気というのも、ただ光っているわけではなく、常にカメラのフラッシュが点灯しているかのような眩いばかりの光で、数km以上も離れた山陽本線から見ると、綺麗でもあり、不気味でもあった。

 時刻は深夜帯に差し掛かり、車内もだんだん静かになってきた。下松発車後に就寝前最後の車内放送、いわゆる「おやすみ放送」が流れてきた。放送の内容は、明朝は浜松到着前から放送を再開すること、停車駅及び時刻の案内、就寝時の注意事項で、放送が終わると後すぐに通路の灯りが少し暗くなった。

 だが、ここで寝てしまってはもったいない。夜行列車の醍醐味は、車窓を流れる街明かりや遠くの夜景である。室内灯をつけると窓で光が反射するので、部屋を真っ暗にした。柳井発車後しばらくして、カーブを走っているときに進行方向に目を向けると、先頭のEF66形やそれによって照らされている線路が見えた。海のそばを走っているときは、その向こう側に様々な色の明かりで輝く街が星のように見えた。おそらく広島だと思われる。広島到着まで、あと1時間弱だ。

   米軍基地が問題となり、数ヶ月前に住民投票が行われた岩国市内に入った。街明かりだけを見ていると、非常に平和そうな街なのだが、実際は米軍基地とそれによる危険の隣り合わせの街である。もし、爆弾を積んだ軍用機がこの市街地に墜落したら・・・。考えただけでも恐ろしい。飛行場の案はいろいろと出ているが、少なくとも他都市に比べて市街地への危険が大きいことには変わりない。現に横浜だったと記憶しているが、米軍戦闘機の墜落で幼い子供2人とその母親が死亡するという事故がおきている(母親は数年後に死亡)。

 現在の日本で、最も脅威的で近い国といえば、長距離ミサイルを保有している北朝鮮になると思うが、仮に北朝鮮という国と和解したり、韓国と統一したりして、現在のような状況が打開されれば、その「脅威」は大幅に減るに違いない。中国や韓国とは、小泉首相の靖国神社参拝問題や竹島問題で何かとぎくしゃくしているが、民間レベルでは技術の提供や日本企業の進出などで貿易や交流が盛んに行われている。少なくとも、これらの国が北朝鮮ほどの脅威になるとは思えない。

 だから、「脅威」が減れば、日本中のあちこちに米軍の基地を造って、属国のようにわざわざ守ってもらわなくても良いはずだ。テロリストが日本を襲うといっても、事件が発生してしまえば、自衛隊が手を出そうが、米軍が手を出そうが、結局は同じことである。

 また、アメリカもいい加減そろそろ戦争をやめてもらえないだろうか。朝鮮半島、ベトナムなど、第二次世界大戦終結以降、アメリカが関わった戦争はいくつもある。その中にはベトナム戦争の「枯れ葉作戦」など、民間人に大きな被害が出たケースも多々ある。そして今、冷戦時代には一歩間違えば核戦争を引き起こしそうになったロシア(旧ソ連)との関係が再び悪化してきているという。核戦争が起これば、世界は明日にでも破滅するだろう。日本は原爆3発で終わるのだそうだ。核を保有している超大国だけが、世界の明日を握っているというのは、どう考えてもおかしいのではないか。漫画家の手塚治虫氏が「火の鳥」という漫画で描かれた様な核戦争で世界を終えないようにしたい。街明かりが流れる車窓を見ながら思ったことだ。

 岩国には22:01着/22:02発ですぐに発車した。ちなみに、岩国駅発車直後に、JR西日本のキハ28・58形と思われるジョイフルトレインとすれ違った。次は広島である。広島電鉄の宮島線が右側に寄り添うようになったが、既に今日の運行を終えたのか、電鉄の電車は1回も見なかった。

   広島に近づくと、車窓がだんだん都会らしくなり、西広島を過ぎると、ネオンサインが光るビルが見られるようになった。多くの車が道路を走っており、やはり大都市ほど街の“就寝時間”が遅いようだ。

 列車は次第に減速し、22:35、ゆっくりと広島駅に入線した。

   広島でも何人か乗ってきたようで、一時的に車内が騒がしくなった。2分程度停車すると、「はやぶさ・富士」はさらに東を目指した。次の停車駅は映画の街・尾道。記憶によれば、「さくら・はやぶさ」時代には尾道は通過していたと思うが、「あさかぜ」の廃止や「はやぶさ・富士」と列車が一本化された影響のなのか、尾道にも停車するようになったのだろう。

 尾道には23:48着/発。今日最後となった停車駅だ。駅構内はひっそりとしており、駅前の人通りのほとんどないようだった。

 尾道を発車すると、対岸の島を結ぶ大きな橋の下を通過。デジカメで撮ってみると、稲妻のような面白い画像になった。

 日付が変わり、列車は岡山県内に入った。0:04、福山に到着。反対側のホームには115系が停車していたが、「回送」となっていた。  次の停車駅は岡山である。鉄道が十の字に交わる交通の要衝だ。0:46、岡山に到着。車掌が放送していた通り、岡山のホームには2、3人の人影が見えた。彼らが乗ってしまうと、ホームはついに完全なる無人となった。既に下りの夜行快速「ムーンライト九州」は発車してしまっている。

次の停車駅は、近畿地方を通り越して、何と名古屋である。大阪・京都には停車しない。東海道山陽新幹線に「のぞみ」が走り始めた頃、一部の「のぞみ」が名古屋を通過するということで名古屋市民が大激怒し、その後停車するようになったという経緯がある。その「はやぶさ・富士」は、名古屋よりも街の規模が大きい大阪市の大阪駅を通過してしまうのだ。かと言って、深夜なので停車する価値も無いし、寝台特急の権威が失墜した今、停車しないくらいで怒る人もいない。

 時刻は午前1時を過ぎた。列車から見える家の灯りはほとんど消され、道路の街灯だけが通り過ぎていく。1:55前だったと思う。列車が減速を始めた。また信号停車か、と思っていると、大きなビルが見え、その後に大きな駅に入線した。駅名表示板を見ると、「姫路」とあった。おそらく機関士の交代が行われるのだろう。

 姫路を発車した。時刻は午前2時を過ぎた。そろそろ寝ようと、ベッドを簡単な操作でセットして、シーツを敷き、横になった。ゴトン、ゴトンという揺れが直接伝わってきた。天井に目を向ける。すると、街明かりが車内に差し込み、まるでミラクルボールに照らされているというか、プラネタリウムのようなというか、幻想的な光が車内をぐるぐると回っている。寝台列車に乗った者だけが味わえる、贅沢な時間だった。そして、カーテンを閉め、明日の東京のことを想いながら、目を閉じた。

   

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