雨の長崎・路面電車まつりの旅C

2006年(平成18年)11月11日に長崎電気軌道浦上車庫で開催された「路面電車まつり」に行った時の旅行記です。

 車内は混雑していて、立つことになった。雨脚はひどくなるばかりで、浜口町での撮影もできるかどうか不安になった。浜口町電停に着いた時には、雨は少し弱まっていたが急に寒くなってきた。だが、何とか撮影できそうだったので、トンネルから出てくる電車を中心に撮影した。トンネルと言ってもコンクリート製の人工トンネルで、上は長崎西洋館の建物がある。浜口町電停付近は芝生軌道になっていた。これは騒音低減のためだと聞いたことがある。

 私は浜口町電停のそばで、25分程度撮影を行った。

 時間になったので、電停で待つ人の列に並んだ。長崎駅方面行きは先ほど大波止電停から乗った「チキンラーメン号」。十数分の乗車で長崎駅前に到着した。長崎駅前で最後の路面電車の撮影を2分程度行った。ちょうど上下2両ずつ4本の電車が長崎駅前に到着した。

 その後、急いで長崎駅の改札を通り、817系鳥栖行きに乗車。乗る前に長崎駅の駅名表示板と構内に留置してある寝台特急「あかつき」の牽引機・ED76形を撮影した。

 車内の座席は満席だったので、先頭車の一番前で前方風景を眺めることにした。電車は15:33に長崎駅を発車した。

 長崎駅から2駅目の現川駅では、特急行き違いのために数分停車した。行き違い列車が遅れているらしく、5分ほど停車していた。その間、私は現川駅で下車して駅名表示板や待合室を撮影した。

 諫早駅では多くの人が下車したので、座席に空席が発生。私もようやく座ることができた。諫早駅では7分ほど停車した。諫早駅から乗ってくる人も多く、結局車内はまた満席に。電車は諫早駅を16:13に発車した。諫早駅を発車した頃から再び太陽が顔を出し始め、進行方向右手には虹が現れた。

 小江駅でも特急行き違いのために数分間停車した。太陽は西に傾き、閑散とした駅のホームを金色に染めていた。

 県境の駅・小長井駅では“最後の通学生”が下車し、車内は私も入れてわずか4人しか乗っていなかった。後部車両については無人だった・・・。

 通勤通学時間帯でわずか4人しか乗っていないこの区間。県境ということもあろうが、それにしても少なすぎである。これで長崎新幹線開業後の第三セクター鉄道を佐賀県が経営していくのはまず不可能である。ところが、佐賀県は今よりも本数を増やしても、年間300万円程度の赤字で済むなどと主張している。経営難に苦しむ肥薩おれんじ鉄道(鹿児島新幹線部分開業で旧鹿児島本線を継承)と経営方式が違うとは言え、向こうは途中に新幹線駅や都市があるなど列車利用客はある程度確保されている。しかし、こちらはそれらの条件がないのである。

 人によっては、誰も乗らない普通列車が走る長崎本線など経営分離して新幹線を通した方が良い、と主張するかもしれない。しかし、今は特急が一時間に1、2往復走っているからこそ、長崎本線のJRによる経営が可能なのである。問題は普通列車であるが、もしJR九州による運行が困難であれば、普通列車の運行だけを佐賀県が行えば良いではないか。普通列車は極力設備使用費を削減するためにディーゼルカーにし、線路使用とその関連費だけをJR九州に払えば良い。佐賀県が第三セクター鉄道を経営するなどと言う不可能に近いことをするよりもこちらの方が安いし、県民の理解も得やすいだろう。こうすれば、長崎本線は福岡・佐賀・長崎を結ぶ重要なパイプであり続け、地域住民の通勤通学の足は確保される。まさに一石二鳥だ。長崎新幹線を造って格差を広げるよりは断然良い。

 あたりは暗くなり始め、陽はすでに沈んでしまった。途中の多良駅でも「白いかもめ」との離合を行った。

 肥前浜駅では10分以上停車した。こちらも特急列車の離合である。その間、私は木造駅舎の撮影のために一旦途中下車した。

 18:11、電車は定刻に佐賀駅に到着した。

 朝から雨が降ったり止んだりまた降ったりして変な天気であったが、最後は旅の締めくくりに相応しく晴れてくれた。素晴らしい鉄道イベントに雨の街、それに路面電車・・・。実は、私が長崎市を訪れたのはこれで9回目だった。季節や天気のせいもあると思うが、行くたびに街全体の雰囲気が毎回違っていて、なぜかまた行こうと思わせる不思議な街・長崎。次に訪れるのはいつになるか分からないが、今度はどんな長崎の街が私を迎えてくれるのだろうか。

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