建設賛成派の主張・反対派の主張
建設賛成派の主張
@西九州全体の発展のためには、新幹線が必要だ。
⇒長崎新幹線は肥前半島の中心を貫いて建設される予定であり、西九州全体の発展には必要不可欠。道路整備などで新幹線ルートから離れている鹿島市や太良町の発展にも繋がる。A他の新幹線への乗り入れにより、大阪・名古屋方面への旅行が便利になる。
⇒フリーゲージトレイン(「長崎新幹線とは」参照)の導入により、乗り換えなしで大阪や名古屋方面に行くことが出来る。佐賀県も「山陽新幹線への乗り入れを行う」と主張しており、それに伴って人の移動が増え、地域振興につながる。B運行本数の増加で便利になる。
⇒運行本数が、既存の在来線特急と合わせて博多―武雄温泉間で1時間当り片道3本、博多―長崎間でも完全2本化されるので便利になる。また、博多〜長崎間は全線で複線となるので、列車の行き違いが無くなり、待ち時間のイライラ感がなくなる。C鹿児島に対抗するためには、新幹線が必要だ。
⇒鹿児島新幹線の全線開業により、観光客が鹿児島方面に流れてしまう恐れがあり、心配だ。新幹線ができると、博多からの時間が鹿児島への所要時間があまり変わらないので、充分対抗できるようになる。D国や県とは仲良くしたほうが良い。
⇒国や県と仲良くしていかないと、補助金や交付金に頼らざるを得ない地方や小さな町は生き残れない。ここで新幹線建設に絡んで対立してしまうと、補助金や交付金が削減される恐れがあり、町づくりにも影響が出てしまう。E新幹線駅への道路建設が予定されており、自動車による移動も便利になる。
⇒佐賀県では、新幹線開業に合わせて鹿島や武雄を結ぶ道路や有明海沿岸に無料の自動車専用道路の建設(予定より着工が前倒しされた)が予定されており、鉄路だけでなく自動車による移動も便利になる。建設反対派の主張
@時間短縮効果が少なく、そのような新幹線建設に2700億円もつぎ込むのは疑問だ。
⇒新幹線開業後の時間短縮効果は、博多〜長崎で比較すると、現行特急の最速所要時間と比べて28分しかない。その28分に2700億円(佐賀県内負担額1020億円)もつぎ込むのは疑問だ。今の「白いかもめ」で充分である。しかも、その恩恵を受けられるのは佐賀県西部の嬉野市だけであり、佐賀市や鳥栖市にはほとんど時間短縮効果がない。それなのに、新幹線区間は新幹線の運賃・料金が適用される為、当然運賃・料金の値上げが行われる。このような新幹線は造るべきではない。A新幹線ができたとしても、地域振興につながるとは限らない。
⇒新幹線ができると、交流人口の増加で地域振興につながるという意見があるが、果たしてそうだろうか。重要なのは「魅力」であり、武雄や嬉野よりも交通が不便な湯布院や黒川温泉が賑わっているのは、「魅力」があるからではないか。鹿児島に対抗しようと思うなら、まずは魅力ある街づくりが必要だ。B長崎本線肥前山口―諫早間は、いずれ廃線になるのでは。
⇒三者合意で、新幹線開業後20年間は、JR九州が引き続き列車を運行することになった。だが、その後のビジョンが全く示されていない。仮にJR九州が運行を打ち切ったら、経営分離問題が再燃し、佐賀・長崎両県で運行することになり、結局は財政難で廃線になるのではないか。C新幹線ができても、西九州全体の発展にはつながらない。
⇒新幹線は、鹿島市や太良町から離れたところを走っており、西九州全体の発展には繋がらない。新幹線駅までの道路を整備すると佐賀県は主張しているが、それでも自動車で移動し、それから新幹線に乗り換えなくてはならず非常に不便だ。また、太良町の場合は、整備される道路からも離れており、鹿島市以上の衰退が避けられない。D長崎新幹線は一部区間で在来線を利用する為、踏切事故や置き石の恐れがある。
⇒長崎新幹線は、新鳥栖〜武雄温泉間、諫早〜長崎間で在来線を利用するそうだが、同区間には多くの踏切があり、また人が簡単に入れる場所がいくらでもあるので、踏切事故や置き石による列車の遅れや運休が発生しやすくなる。博多〜新鳥栖間で線路を共用する鹿児島新幹線や乗り入れる山陽新幹線への影響も避けられず、広い範囲にその影響が及んでしまう。E佐賀空港はどうなるのか。
佐賀県の主張によると、長崎新幹線列車は、新大阪駅まで乗り入れるそうではないか。一方、佐賀空港からも、大阪行きの航空便が出ている。これでは、競合してしまうではないか。しかも、現段階で、佐賀空港の運営は赤字経営である。仮に新幹線開業で大阪便が撤退した場合、佐賀空港の利用価値、必要性はますます低下し、さらに赤字が増えるだろう。佐賀県は、その赤字までも県民に押し付ける気なのか。F佐賀・長崎両県や国、JR九州は説明責任を果たすべきだ。
⇒佐賀・長崎両県や国、JR九州を始めとする建設推進派は、県民に対して説明不足と言わざるを得ない。中には、不都合な情報を隠しているのではないか、と思われる箇所も見られる。これでは県民の理解を得るなど不可能に近いことだ。