「あそ1962」で行く、夏の阿蘇旅行

青春18きっぷの残り1日分を使用して行った旅行です。

 宮地駅では、5分程停車した後、そのまま留置線まで回送された。既に肥後大津行きのキハ200形は入線していたが、食料の買出しのために途中下車した。駅から徒歩3分程のところにコンビニがあり、そこでカツ丼弁当と飲み物、それにデジカメ用の予備電池を買った。そう言えば、今朝から食事をしていなかった。

 駅舎を撮影して入場し、先ほどのキハ200形肥後大津行きに乗車した。

 開閉可能の窓からは、先ほどの「あそ1962」を撮影することが出来た。

 列車は、12:50に宮地駅を発車した。早速弁当を食べた。

 食べ終わった頃、赤水駅を発車した。列車は往路とは逆に、坂道をどんどん下って行く。やがて、左手から線路が近づいてきて、合流した。

 立野から延びてきた線路である。列車は合流ポイントを通過して、少し進んで折り返し地点まで行き、運転士は反対側の運転席に移動した。1、2分停車した後、列車はさっきとは反対方向に発車した。

 まもなく、立野駅に到着した。私はここから南阿蘇鉄道に乗り換えた。南阿蘇鉄道のホームに着いて5分後、高森側から満員の乗客を乗せたレトロ気動車が入線した。

 乗っていた客が全員降りた後、乗車が開始された。列車に乗ろうと並んでいた人は一見多かったようだが、実際に乗って見ると、充分に空席はあり、中にはボックスごと空いているところもあった。客層は、高校生や地元の方以外にも、観光客と思われるおばちゃんグループも乗っていた。座席の座り心地は良く、沈み込みの良いクッションだった。

 列車は13:33に立野駅を発車した。しばらく進むと、宮地までの往路に撮影した立野橋梁を渡った。眼下の谷底には白川が流れていて、トロッコに乗ってこの橋を渡るのは、やはり相当の覚悟が必要であると思う。

 いくつかのトンネルを抜けると、前方に赤い橋が見えた。白川橋梁である。この橋も撮影ポイントとして名高いが、駅から遠いので、立野橋梁ほどの人気は無いようだ。列車は、運転士さんの解説付きで白川橋梁の上を徐行運転した。

 この橋を見ていると、今年4月に訪れた餘部鉄橋を思い出した。こちらの橋は昭和初期に建てられたものだが、餘部鉄橋は明治時代に建てられたものである。だが、いずれにしても貴重な鉄道遺産であることには変わり無い。餘部鉄橋は来年の春から架け替え工事が始まるようだが、一番残念なのは、餘部鉄橋が味も何も無いコンクリート製になるということだ。せめてせめて、旧橋の面影を残す“本物の鉄橋”にすることはできないのだろうか。

 白川橋梁の真下には、名前の通り白川が流れていた。鬱蒼と茂る森の間を流れる白川。阿蘇の大地が持つかけがえの無い財産の一つだ。 

 しばらく進むと、車窓は高原地帯に変わった。

 列車は、日本で2番目に長い駅名「南阿蘇水の生まれる里白水高原」駅に到着。私は、今から4年前に南阿蘇鉄道を利用したことがあるが、その時はこの駅まで乗車した。駅舎には待合室と公衆電話しか無く、その時は田植えの季節だったので、トラクターの音以外は何も聞こえない、とても静かな場所だった。

 ところが、阿蘇白川駅を発車すると、いきなり雨が降り出した。それも大粒の雨で、運転席のワイパーが忙しく動いていた。

 14:04、列車は雨上がりの終点高森駅に到着した。

 木がふんだんに使われている高森駅舎の内部は、お土産店や南阿蘇鉄道の事務室が入っていた。外観は独特なデザインだった。

 高森駅前には、かつて高森線(現南阿蘇鉄道)で活躍した経歴を持つC12形241号機が静態保存されていた。

 機関車を撮影した後、駅周辺を10分ほど散策し、駅舎に戻って時間を潰してから、先ほどのレトロ気動車に乗った。この列車が、次の立野行きになる。

 立野行きは、14:44に高森駅を発車した。乗車率は8割を超えていて、一部のボックスにいくつかの空席が見られる程度だった。私も相席になった。南阿蘇鉄道は、路線長が比較的短かったことが幸いして、これほどの利用があるのかもしれない。一方の終着駅がどの鉄道路線とも接続していない盲腸線の場合、長ければ長いほど末端部分の乗客が減る傾向にある。しかし、南阿蘇鉄道は、末端部分の高森駅からこれほどの乗客が乗っているのだ。全国にある他の第三セクター鉄道に比べると、経営は良い方なのかもしれない。だが、乗客数は少子化や自動車への乗り換えなどで、年々減る傾向にあるという。

 列車は15:11に終点の立野駅に到着。JR線の旅に戻った。ホームに着いて間もなく、キハ147形2連・熊本行きが入線した。

 車内は立ち席が出るほどの満席で、やむを得ず立つことになった。しかし、肥後大津駅では、大半の乗客が下車したため、多くの空席が発生した。私は車端部のボックスに座った。雲行きが怪しくなり、熊本市内に入るとポツリポツリと雨が降り出し、やがてどしゃ降りになった。

 熊本駅に着く頃には雨は止んでいたが、路面はびしょ濡れだった。時間があるので、途中下車して路面電車を撮影した。約10分間の撮影中、1090形1094号車と9700形9705号車がやって来た。

 次の鳥栖方面の普通列車は、3番乗り場である。3番乗り場に着いた時、その向かい側の4番乗り場では787系同士の連結作業が行われていた。

 連結しようと近づいてくる787系が数メートル手前まで来て停車した。すると、旗を振り上げた作業員さんが、緑の旗を線路に落としてしまった。作業員さんは苦笑いをしながら「ちょっと待って」の仕草をしてホームに降りて旗を拾った。これには見物客からも笑いが漏れていた。本当はあるべきことではないが、作業員も運転士も、そして見物客もそれを笑って許せるくらいの余裕があった。それはそれで良いことだと思う。忙しい大都会の駅では、人も電車もそんな余裕が無さそうに動き回っている。そもそも、列車の連結風景をゆっくり見る人など、鉄道ファン以外皆無であろう。

 その後、787系は連結し、定刻に熊本駅を発車していった。

 発車時間3分前に、赤間行きの811系が入線した。往路に乗った三井グリーンランド編成だった。発車時刻前から並んでいたので、座席の確保には苦労しなかった。立ち席となった人はおらず、列車は16:41に熊本駅を発車した。

 列車は各駅に停車しながら、夕方の鹿児島本線を上ってゆく。計画では、鳥栖駅に18:40に到着し、19:00発の長崎本線下り列車に乗り換える予定だったが、荒木駅到着時に行われた放送で、荒木駅で発車を待っている快速列車の方が鳥栖駅に早く着くということが分かったので、早速811系の快速列車に乗り換えた。さらに、鳥栖駅では19:00発の列車より1本早い18:28発長崎行きの817系普通列車に間に合うことができた。

 車内にはいくつかの空席があったので、立ち席にならずに済んだ。

 佐賀駅に到着する直前に雨が降ってきた。運転席の前には、車椅子に乗った男性が居て、どうやら先ほどから盛んに無線連絡が入っているのは、車椅子の男性を駅で降ろす為の手配だったのだろう。列車は、雨の降る夕方の佐賀駅に到着した。

 駅のホームでは、車椅子を降ろす為の道具を持った駅員さんが待っていて、他の乗客には乗降を一時待ってもらい、車椅子の男性が先に降ろされた。

 その後、私も電車を降りた。青春18きっぷは全て使い果たした。途中下車印で埋め尽くされた赤い青春18きっぷ。途中下車印の数を数えると、37個もあった。これは、過去最高である。中には2度降りたので重複している駅もあるが・・・。

 佐賀駅の改札口に向かう。

「途中下車印をお願いします。」

 青春18きっぷに「佐賀」と書かれた楕円形の途中下車印が押された。合計38個の途中下車印。全てが旅の足跡である。次回、青春18きっぷを使う時は、途中下車印を40個集めよう。そう決めて、駅舎を出た。

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