2005年夏・SLあそBOYで行く、九州横断旅行

7月25日

2005年夏・SLあそBOYで行く、九州横断旅行・2日目  この日は悪い夢を見たのと、私の体内時計が珍しく正常に働いたおかげで、午前6時にぴったり起きることができた。午前6時に起きた理由は、寝台特急「彗星」の乗車である。別府からいわゆる「ヒルネ区間」となる。もう少し早く起きる事ができたなら、また温泉に入ろうと思っていたが、仕方ない。おやすみモードにしていたはずの冷房は付いたままだった。お手洗いに行き、顔を洗う。忘れ物が無いか確認し、午前6時20分に出発。出発する前に、もう見納めになるかもしれない建物の内部を撮影した。(上から廊下、簡易休憩所、階段)

 番台には昨日のおばさんたちではなく、年配の男性と、おばさんがいた。鍵を渡し、建物を出た。早朝の別府の街はだれも歩いていなかった。

 昨日から「千と千尋の神隠し」の場面がしつこくつきまとっている。もしかすると、案外あの映画のモデルはこの街かもしれない。(そんなことあるはずないか・・・)

 別府駅構内も1人、2人しかおらず、静かなものだった。改札口に入る。改札口近くの時刻表示板で「彗星」の乗り場を確認する。1番乗り場に入線するとあったが、編成が「3両」。ただでさえ短い「彗星」の編成がまた減車されたのか、と思い、改札口の駅員さんに「彗星って3両なんですか?」と「なぜ3両なのか」ということについて聞いたら、「お客様は1号車にご乗車下さい。」と、的の外れた返事が返ってきた。もしかすると、立席特急券で利用できない個室車両を除いて3両と表示しているのか、と思ったが、駅の放送案内によれば立席特急券で乗車できるのはやはり1号車のみだ。謎である。別府周辺は山が迫っていて、山の上の方は雲がかかり、よく見えなかった。

 EF81に牽かれた「彗星」はホームの中央付近に停車。やはり4両編成だった。1分程度停車した後、別府を発車した。最も機関車寄りのボックスが空いていたので、そこに座る。しかし、窓が汚れていて、朝日できらめく豊後水道はあまり楽しめなかった。

せっかくなので、車内を撮影することにした。乗客の数は比較的多く、まだまだ需要がありそうだ。しかし、オールB寝台車でしかも個室車が1両という編成は、廃止された末期の「さくら」と非常に似ている。さらに日豊本線は単線区間も多く、「彗星」よりも電車特急が優先されている。あまり考えたくはないが、この列車の残された時間はそう長くないのかもしれない。

 2両目のB寝台個室「ソロ」の車内を撮影する。通路が中央を通り、両側が個室となっている構造なので通路は薄暗い。

 その後、再び自分が座ったボックスに戻り、大分到着を待つことにした。次の大分では、機関車付け替えのため6分停車する。ブルトレの車内チャイムが鳴り、大分到着を告げるアナウンスが開始された。大分駅に到着すると、各車両から乗客が降り、中には機関車交代の見物に回る人もいた。私はその前にテールマークと、車両番号の確認に行った。

 今日の編成は、南宮崎寄りからスハネフ15−18、オハネ15−352(ソロ)、オハネ15−37、スハネフ15−7で、全て14系15形である。その後、先頭車の機関車連結に行った。私の他に「鉄道ファン」らしき人は案外少なく、1人しかいなかったので撮影はしやすかった。ここから先を牽引するのはED76−69。なぜここで機関車を交代するのか、昔調べたが忘れてしまった。「富士」の機関車の運用と関係していたような・・・、EF81が大分以南の日豊本線に入れないことだったような・・・、もっと別な理由だったような・・・。記憶が曖昧になっている。やがて「彗星」は、6:59、汽笛も鳴らさず、通勤客が増え始めた大分駅のホームを静かに出発していった。(写真は「彗星」の機関車と、「彗星」の立席特急券。)

 さて、今日は午前中ずっと大分駅で写真を撮りまくるのだ。ターゲットはとにかく、大分駅に出入りする列車たちを撮影することだ。撮影の合間、ホームの柱に使用されているレールで「1911」「1918」と書かれた場所を見つけた。レールの製造年ではないか。九州では鳥栖駅のものが有名だが、このレールが本当に1911年と1918年に製造されたとすれば、大分駅にも90年以上前のレールが柱として使用されているということだ。

下の写真は、25日に大分駅で撮影した列車たちの一部である。(上からキハ185、キハ31、883系ソニック@、883系ソニックA(リニューアル)、485系@(ドアが・・・)、485系A、485系B(5連)、キハ183(ゆふDX)、457系@(回送)、457系A(デカ目・クモハ457−8)、415系。

 しかし、せっかく大分に来たのだから、何か観光をしなければ。そう思い、市の中心部にある遊歩公園へ行くことにした。公園とはいえど、道路の真ん中に造られた公園であるが。改札口を出て、駅舎を出る。8:45頃駅舎を出た後に、おそらく高架駅化と同時に取り壊されるであろう駅舎を撮影する。

 駅前の交差点を右に曲がり、大きな道を歩く。しかし、なかなかそれらしき公園は見つからない。やむを得ず、先ほどの駅前の交差点まで引き返し、そこから府内城址方面へ向かうことにした。商店街やビル、古そうな赤レンガの大きな建物の横を通り、大きな交差点で右へ曲がる。そして少し行くと、進行方向左手に城壁や櫓が見えてきた。ここが府内城址である。近くにある歩道橋からそれらを撮影した。

 その近くに公園があったものの、「大手町公園」という別の公園だった。が、この公園の近くにある交差点付近に緑地帯が。これが遊歩公園だった。「遊歩公園」という立て看板があり、やはり道路の真ん中を通っている。

遊歩公園の入り口近くに、世界地図が書かれた壁と、一人の男の像があった。

さて、この人は誰でしょう??

ヒント@:特徴的な髪型をしている。
ヒントA:キリスト教布教のために、イエズス会から派遣されて日本へやってきた。
ヒントB:口ひげの所に点を2つ入れるとペンギンっぽくなる。
※特に解答の必要は御座いません。
 この人物は、今の大分を拠点とする時の戦国大名・大友氏をキリシタン大名にした、大分ゆかりの人物である。この遊歩公園は、様々な像や木が植えられていて、市民の憩いの場となっているはずだが、まだ朝が早いのか、セミの鳴き声がうるさくて落ち着けないのか、終点まで歩いてもほとんど人とすれ違うことはなかった。途中、これまた大分ゆかりの人物の碑が建っていた。これは見ての通り、有名な作曲家・滝廉太郎の碑である。(滝は旧字体になっている)

 が、ここは「終焉之地」。つまり滝廉太郎がお亡くなりになった場所である。お亡くなりになった場所が、今遊歩公園になっているのだ。やがて道が狭くなり、遊歩公園の終点まで歩くと、先ほど遊歩公園を見つけられずに折り返した交差点に出た。ここからそのまま大分駅方面へ向かう。駅を出発して約50分後の9:35頃戻ってきた。改札口の向こうに、青い車体の電車が停まっていた。「新ソニックだ!」と、改札口を入って早速撮影した。(写真は上の方に掲載していますが、再掲載。)リニューアルされた883系と出会うのは2回目である。編成はAO−8。

 さて、大分出発予定時刻まではまだ2時間半近くある。帰りは、久大本線経由で帰るので、12:08大分発の湯布院行きに乗る予定だ。この時間まで待つのは、できるだけ大分に居たいという気持ちと、大分終着の寝台特急「富士」の撮影である。

 そういえば朝から何も食べていなかった。しかし、昨日使いすぎたので、あまりお金がない。なので、105円のおにぎりをキヨスクで購入した。少しはましになったが、いつまで持つか・・・。

 「富士」の入線する時刻が近づいてきた。朝は薄曇りだったが、今になってちょうど晴れてきて、夏らしい天気になった。その夏空の下、赤い電気機関車のED76−91に牽引されて定刻の11:17、大分駅へ到着した。

 「富士」は到着後すぐに回送作業が始まった。先頭の機関車を切り離し、最後尾にディーゼル機関車のDE10を連結。11:25頃、いったん発車したものの、ホーム先端まで行き、再び停車した。信号停車か何かだろう。5分ぐらい停車したあと再び動き出し、別府寄りにある、踏切を越えた先の留置線まで行った後、バックで所定の位置まで行き、夕方の出発まで備えるのだ。

 あと30分程度で大分出発となる。久大・豊肥本線用の6・7番乗り場へ向かう。キハ31が入線していて、ドアも開いているので、運転席にいた運転士に「これは由布院行きですか?」と聞いたら、「いえ、この列車の後に参ります。」ということだった。それから20分後に赤い気動車がこちらへ近づいてきた。キハ200だ!と思って喜んだのも束の間、1両編成の兄弟気動車・キハ220が入線した。となれば、車内はロングシートか・・・。予想は的中した。ここから次の目的地・南由布までの1時間ちょっとを揺られるのである。お昼時ではあるが乗客の数は多い。そして12:08、予定通り大分を出発した。

 大分駅を発車し、日豊本線から分岐して少し行ったところまで、すでに高架橋が完成していた。列車は上り坂をエンジンをうならせて上っていく。市街地を抜け、田畑や森の中を通っていく。しかし、ロングシートなので外が見にくい。なので、運転席後ろで立ち見ではあるが、風景を楽しむことにした。

 やがて列車は南由布に到着。駅のホームからは由布岳を見ることができた。

 線路を渡り、南由布駅舎や駅名表示板などを撮影。

 駅は無人駅で、家族連れや観光客など10人ほどが、次の湯布院行きのトロQを待っていた。私もそのトロQに乗るため、南由布で降りたのだ。トロQは動力源として(もちろん車内の座席や設備を利用することもできる)、急行形で座席をグレードアップしたキハ58・65を使用しているが、普通列車扱いとなっていて、名前の通りトロQは貨車を改造したトロッコ車両を3両連結している。列車名は玩具の「チョロQ」をもじっている。トロQは温泉地で有名な湯布院町内への自動車乗り入れを減らすため、由布院駅の1つ手前の駅、南由布に自動車を止めて、トロQで来てもらおうという試みで、自動車を郊外の駐車場に置き、公共交通機関で市街地へ入ってもらう「パークアンドライド方式」と似ている。「パークアンドライド方式」はヨーロッパでさかんに行われている。

 トロQの車両は、大分を本拠地にしていて、朝は大分始発由布院終着、夕方は由布院始発大分終着となっている。日中は先に述べた理由で由布院〜南由布を行ったり来たりしている。なお、朝夕の大分〜由布院の列車は全車指定となるが、由布院〜南由布を行ったり来たりする列車はトロッコ3両も含めて、全て自由席。乗車券1枚での乗車ができる。

 やがて由布院方面からキハ58を先頭に、貨車・・・いやトロッコ車両を3両を挟みこみ、最後尾にキハ65を連結したトロQが到着。さっそく車内に入り、撮影を開始。(上からキハ65、同車内、キハ58車内、そしてトロッコ車内。)

   数分で折り返し、ゆっくりと発車。私はもちろんトロッコ車両に座る。座席というよりは木のイスと、木のテーブルが並んでいて、ちょうど山の休憩場あたりを想像したのだろうか。窓のないトロッコ車内に高原の涼しい風が吹き込んでくる。列車のスピードはゆっくりだ。カーブを曲がるたびに、耳をつんざくような激しい金属音がする。また元貨車なので、揺れが激しい。トロッコ列車の醍醐味である。線路が蛇行しているため、景色のメインとなる由布岳が車窓の右に移ったり左に移ったり。

 車掌が回ってきた。財布の中にしまってある乗車券を見せた。車掌は大分車掌センターの車内改札印を押した。やがてポイントを通過し、由布院駅3番乗り場に到着した。乗り継ぎ列車の到着まで20分ぐらいあるので、途中下車して駅舎を撮影する。特徴的な駅舎で壁は木がふんだんに使われていた。再び2番乗り場には、さっき大分から南由布まで乗ったキハ220が停車していた。

 それからまもなく、大分始発の久留米行きキハ125の2両編成が到着。久大本線の全ての駅に停車する。私は2両目に乗った。車内はちらほら人が乗っている状態で、由布院から数人が乗ったものの、余裕でボックスを1人占めにすることができた。1分間停車の後、発車。さっそく窓を開ける。さわやかな高原の空気が入ってくる。冷房は効いているものの、こちらの方が気持ちいい。他にも窓を開けている人が何人かいた。久大本線は全線単線なので、頻繁に特急待避、列車行き違いなどが行われる。特に豊後森という、名前通り森が駅のすぐ近くにある駅では、なんと42分も停車する。何度か川を渡った。トンネルも何度かくぐった。

 豊後森に着いた。

 さっそく途中下車する。下車印をもらい、駅舎を撮影する。駅は木造で、所々リフォームされていたようだが、古さは感じられる。(下の写真)

 駅前には、こういう駅舎には定番の「円筒形ポスト」があった。何度も塗り替えられ、ペンキの厚みが何とも言えない。

 のどが渇いたので、500ml入ったミネラルウォーター(100円)を買う。その後駅に入る。駅に入ってすぐ、キハ47とキハ185特急「ゆふ」が通っていった。駅のホームには、私と同じ列車に乗っていた人が外に出て、休憩していた。(写真はホームの様子と、キハ125の2両編成。ホームの様子の写真には、左手奥にかつての扇状機関庫が残っている。扇状機関庫の撮影をすっかり忘れていた。)

 やがて列車は豊後森を発車。日田を過ぎ、日田彦山線との分岐点、夜明に到着。

 ここでは列車行き違いと、日田彦山線からの乗り継ぎが行われた。夜明を発車すると、福岡県に入る。やがて山も開けてきて、田園風景が広がってきた。そして由布院から3時間余りかけて、16:57、終点久留米に到着。久留米では寝台特急「はやぶさ」撮影のために、1分で接続する快速「三井グリーンランド号」を見送った。「はやぶさ」は17:01、定刻に入線。

 車内を外からざっと見たが、今日のお客さんもそこそこ乗っている。久留米からも数人乗車した。そして短い汽笛を鳴らし、ゆっくりと発車していった。さて、次の鳥栖行きは17:14だ。おそらく815系か817系だろう。入線したのはやはり817系だった。今春のダイヤ改正で、817系がまた増備され、鳥栖〜荒尾の811・813系の運用が減った。817系は電気効率など、技術的には他のどの電車より優れているのだろうが、電車というものは「乗る」要するにサービスが私たちに提供されているのだ。電車は「乗る」ことが快適でないといけない。その点から考えると、817系のような部分的にクッションが付いていて、あとは木がむきだしという座席はどうだろうか。実際座ってみても、体がクッションに当たるところと当たらないところがあるので、妙な感覚になる。815系登場以降、JR九州の通勤・近郊型電車は特急のグレードアップに反して、「グレードダウン」しているのではないか。

 そう思っているうちに終点鳥栖に到着。9分の接続で各駅停車の肥前大浦行きに乗り換え。電車は817系だった。すでに車内は満席で、運転席後ろに立つことにした。個人的に、唯一817系でいいと思うのは、前方の見晴らしがいいということだ。さっきから何やら運転席にある無線機に入電が頻繁に入ってくる。どうやら下りの特急が遅れているらしい。885系「かもめ」が鳥栖駅を発車していった。確かに少し遅れている。電車は5分近く遅れて鳥栖駅を発車した。

 鳥栖→肥前麓を走行中、電車が鳥とぶつかった。正面衝突ではなかったが、翼に当たったのが分かった。大丈夫だったのだろうか。

 電車は佐賀駅に3分遅れで到着。ホームでは多くの人が電車を待っていた。例によって、改札口で無効印を押してもらい、自分の切符コレクションがまた増えた。

 最後に、ちょっとしたエピソードを。駅前の駐輪場に行き、駐輪機番号を精算機に入力した。駐輪料金が表示された。すると「200円」と表示された。私の計算では300円だったはず。レシートを見ると、7月24日午前7時30分頃自転車を入れたはずなのに、なぜか入庫時刻が「7月24日18:05」となっていた。駐輪機の故障か、よく自転車を入れていなかったのかは不明だが、100円払おうにも無人なので払えない。仕方ないのでそのまま家に帰った。ちょっと得した気分でもあり、何か悪いような気もした。

 こうして「2005年夏・SLあそBOYで行く、九州横断旅行」は幕を閉じたのだった。

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