青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行2004D

12月31日

去年の北海道に続き、今年も管理人は青春18きっぷを使った旅行を計画した。題して「青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行」! 車両左手に、紫色のライトで飾られた明石海峡大橋が見えた。うとうとしていると、まもなく岡山に到着する、という放送が入った。岡山では、長時間停車するため、うとうとしていた乗客の大半が、ホームに出て、飲料水を買ったり、車両の撮影をしている。電光表示板には、ムーンライト八重垣が発車した約3時間後に寝台特急「あさかぜ」が入線する。熱海駅で「あさかぜ」を見たのは一昨日の話である。

発車間近になったので、車内へ戻る。発車して数分後、倉敷を通過し、伯備線へ入る。またうとうとし始め、どこかの駅に到着したときに、再び目が覚めた。米子だった。ここでも長時間停車となるため、乗客たちがぞろぞろとホームへ出てくる。米子が目的地という人もいて、私の隣に座っていた男性は米子で下車した。

米子を発車すると、主要駅に停車する。しかし、私はまたも寝てしまい、出雲市に列車が停車した衝撃で目が覚めた。危うく、去年の大垣駅の二の舞になるところだった。ホームに出て、列車が回送される前に、先頭車を一枚。他にも、撮影している人がいた。

改札を出て、駅の売店へ向かう。朝食を購入するためだ。小都市の駅の割には、売店が大きく、さまざまな品物が売られていて、食材も豊富だった。その中から、おにぎりセットとサンドイッチを購入。駅の待合室で食べるのは、気が引けるし、列車の中で食べたほうがおいしいに決まっている。座るところがないので待合室へ。テレビが設置してあって、地元のローカル放送が流れていた。発車時刻より早いが、特急「やくも」が発車するというので、ホームへ行く。すでに381系特急「やくも」は入線していて、発車を待っていた。朝早いからか、車内は閑散としたまま発車。

出雲市からは、快速「アクアライナー」で益田へ向かう。やがて、松江方面からキハ121が入線した。車内は、乗車率70%、といったところで、立っている人はいなかった。出雲市を8:14の定刻に発車し、途中の江津までは各駅に停車する。山陰本線の高速化を目的に開発されたのがこのキハ121であるが、加速力は非常に優れている。また車内もすごい。木目調のあたたかみのある素材を窓枠やモケットなどに使い、座席の座り心地も悪くない。残念ながら、このキハ121と、両運転台タイプのキハ126の運用は、ほとんどが山陰本線のみで、そのほかの路線は、キハ40やキハ120が多い。クロスシートのキハ40は許すとしても、起伏やカーブの多い山間部路線にロングシートのキハ120ではいただけない。こういうところも改善して欲しいものである。列車は、江津を過ぎると、快速になり、主要駅にのみ停車する。右手には、荒れている冬の日本海が見えた。天候は荒れていて今にも雪が降り出しそうになってきた。案の定、益田に到着する少し前辺りから、雪が積もっていて、弱い雪が降っている。益田には10:27着。今乗ってきたキハ121や、山口線運用のキハ40を撮影した。

益田駅の改札を出る。益田駅の時刻表表示板は、昔からのパタパタと音を立てて、時刻を変える方式となっていた。

記念に、券売機で入場券を購入。裏が白かった。そして表の発券番号を見ると珍しく「3333」のぞろ目が出た。待合室にはたくさんの人がいて、おそらく、大勢の人が、山口線11:14発の新山口行きに乗ることが予想されたため、早めに、ホームへ出る。益田からは、いったん新山口まで出て、宇部線に乗り、厚狭まで行って美祢線に乗り、再び山陰本線へ出て、下関へ到る、という、複雑な経路をたどる。目的はT−1グランプリである。やがて、構内に留置してあった黄色と白のツートンカラーのキハ40が入線。さっそく席を確保した。

私のボックスには、親子連れ3人が座った。列車は11:14に益田を発車。山の中へ入っていくと、積雪はどんどん深くなり、雪の降り方も激しくなってきた。(駅名の写真は途中駅の渡川)

列車は山陰の小京都・津和野に到着。私と同じボックスに座ったいた親子連れはここで下車した。2分間停車したあと、列車はエンジンを唸らせて発車。まもなく山口県にはいる。相変わらず雪はひどく、昨日の大糸線と風景がとてもよく似ていた。次第に線路は、下り坂となり、だんだん山が開けてきた。篠目という駅で、特急「スーパーおき」と交換。しかし、「スーパーおき」が20分程度遅れ、それに伴いこの列車も通過を待たなくてはならなかった。その間、列車や駅舎、蒸気機関車の給水塔跡らしきレンガの建物などの写真を撮ってして時間をつぶした。

やがて、踏み切りの警報機の音が聞こえてきて、キハ187がやってきた。

篠目駅は、連絡橋がなく、ホームが島式となっているため、利用者はいったん線路を渡って駅舎へ行かなければならない。安全のためキハ187は徐行で通過。そして信号が青になり、発車。山口では、長時間停車を短縮したため、遅れは小さくなった。いつのまにか雪はやみ、太陽が顔を出した。たった何キロかでここまで違うのか、ということに驚かされる。新山口には数分遅れて到着。ここから宇部線に乗る。 新山口でいったん途中下車し、チラシなどを見て回る。時間になったので、改札を入る。連絡橋の階段には、「SLやまぐち号」の大きなポスターが掲示してあった。

宇部線ホームには、荷物電車改造の123系電車が発車を待っていた。(写真は宇部新川で撮影)

車内はロングシートであった。まだ発車時刻まで10分程度あるので、空席は多かった。しかし、発車時刻が近づくにつれ、どんどん人が乗ってきて、乗車率150%ぐらいと、ローカル線の昼間の時間帯としては、多い方である。単線の線路をどんどん進む。途中、近くの工場へ運ぶための貨物列車とすれ違った。牽引機はDE10。宇部新川に到着すると、105系に乗り換え。ここから宇部まではすぐである。途中の駅には「岩鼻」という面白い駅名もあった。

宇部に到着すると、次は美祢線乗車のために厚狭駅へ向かう。やがて下関方面行きの電車が入線。JR九州の415系だった。車内はクロスシートのままの未更新車だった。すぐに降りるので、ドア付近のロングシートに座る。

厚狭は「こだま」のみであるが新幹線も停車する駅なので、それなりに規模は大きい。

美祢線の発車まで40分以上あるので、駅の待合室で入線を待つ。しかし、年末とはいえ、夕方の帰宅ラッシュに入る時間で、美祢線は1時間に1本あるかないかという超ローカル線なので、満員になることを予想、早めに改札を入る。美祢線は1番線から発車するので、連絡橋を渡る必要はない。すでに数人が並んでいた。他の人は入線時刻を知っているのか、発車まで10分以上もあるのに、列は後ろへと長くなっていく。やがて仙崎行きのキハ120が入線。レールバスに近く、ドアは二つ折りだった。ドアが開くと同時に車内へ入り、すばやく荷物を置いて座席を確保。残念ながら簡素なロングシートばかりであった。(写真は2枚とも仙崎駅で撮影。)

最初の車内突入(?)で、車内はあっという間に満員となった。さらに人が乗ってきて身動き一つできないような状態になったところで発車。重たそうにキハ120のエンジンが唸りをあげる。美祢線は、厚狭を出て数分後、川と並行するようになった。面白いのは川沿いの道路のガードレールがすべて黄色なのである。これは山口県の道路のみで使用されており、みかんをイメージしたもの、という話を聞いたことがある。列車はさらに山奥へ入っていく。ところどころに半分解けた雪が積もっていた。少しずつ乗客は降りていき、美祢を出ると、車内は静かになった。山陰本線の長門市を出ると、山陰本線の支線に入り、終点・仙崎に到着。仙崎まで来たのは、T−1グランプリの長門市〜仙崎の距離を稼ぐためである。仙崎では数分停車した後、再び厚狭行きとなって折り返す。私は山陰本線を通って下関へ向かうので長門市で下車。

典型的な地方の駅で、みどりの窓口もあった。駅の待合室で、列車を待つ。駅の待合室には地元特産の酒や土産物が陳列してあった。

その向かい側には、詩人の金子みすヾのコーナーがあった。駅に置いてあったチラシを見てみると、金子みすヾは、さっき行った仙崎駅の近くの出身という。

駅舎に、若い男が入ってきた。そして、携帯電話を取り出し、静かな駅の待合室の静寂を破り、大声でしゃべり始めた。近くの椅子に座っていたおばさんも、嫌な顔をしていた。本当に迷惑だ。携帯電話のマナーも都会と田舎もきちんと守って欲しい。下関行きがまもなく入線するので、ホームへ降りる。さっきは気づかなかったが、JR西日本のイメージソング「いい日旅立ち」が流れていた。暗いメロディーと、夜の閑散とした長門市駅が実にマッチしていた。駅の窓口では、相変わらず駅長さん(?)がせっせときっぷを発行していた。

駅のホームに、寒暖計が設置してあって、見てみると、気温は4℃。雪こそ降っていないが、海に近いので風は強く、冷たい。遠くに列車のライトが見えた。入線してきたのは黄色と白のツートンカラーのキハ47・2連。車内はセミクロスシートで、それぞれのボックスに1人ずつ乗っているかいないか、という状態だった。長門市からの乗客も5、6人程度だったので、あまり急ぐことなく座ることができた。座席のモケットは茶色で、窓枠が茶色になっていたので、更新車であることがすぐに分かった。

この列車はワンマン対応になっていたが、車掌が乗務していた。19:00を過ぎたので、テレビの電波もキャッチできる携帯ラジオをつける。チャンネルをNHKに合わせ、ニュースを聞く。このニュースのあとには、大晦日恒例の「紅白歌合戦」がある。別に何もすることがないので、音声だけだが聞いてみることにした。トンネルへ入るたびに、電波が途切れ、雑音が入った。途中、何回か対向列車とすれ違った。そして、山陽本線と合流する幡生へ到着。車内放送では、「下関へは向かい側のホームに到着する、快速「シティライナー」下関行きが早く到着いたします。」と流れたが、快速「シティライナー」の下関到着は、たった3分程度早いだけなので、終点まで乗りとおすことにした。下関に到着し、連絡通路を通って、8番線へ。すでに行橋行きの415系は入線していた。ここからは去年の旅行と全く同じ経路だ。隣のホームには、行くときに利用した、快速「ムーンライト山陽」が発車を待っていて、ホームにはこれから乗る乗客がホームで写真撮影をしたり、飲み物を買っていた。今日乗る、ということは、列車内で年を越すということだ。それもまた、心に残る旅になるだろう。415系はどうせロングシートだろう、と思い、乗ってみた。驚いたのは、ロングシートであることに変わりないのだが、モケットがチェス柄ではなく813系で使用される、派手なモケットだった。

小倉で降りるため、ドア付近の座席に座る。車内はほぼ満席で、その大半は、若者が占めていた。ドアが閉まり、発車。再びラジオのスイッチをつけ、「紅白歌合戦」を聞く。しかし、すぐに関門トンネルに入ったため、電波が届かなくなった。関門トンネルを出ると電波が再び入るようになり、放送が入るようになった。門司を出ると次は終点・小倉なので、降りる準備をする。小倉に到着すると、快速・羽犬塚行きが発車するホームへ向かう。そのホームには立ち食いのラーメン屋さんがあって、去年もここで買った。羽犬塚行き到着まで時間があるので、今買うと麺が伸びてしまう。少し待って、ラーメンを注文した。注文したのはカレーラーメン。他にもお客さんが来ていて、賑わっていた。やがて、813系6両の快速羽犬塚行きが入線。

ドアが開き、席を急いで確保・・・するまでもなく車内はガラガラで、わざと座席をボックスにした。さっそくカレーラーメンを食べる。年越しそばならぬ“年越しラーメン”である。

ラーメンと、うすいカレーのスープがこれまたとても合っていて、非常においしい。紅白歌合戦を聞きながら食べる。戸畑あたりにあるトンネルに入り、再び電波が途切れる。祖父から聞いた話だが、このトンネルが掘られている山のあたりには、太平洋戦争中、アメリカ軍の爆撃機を落とすための高射砲が設置されていたらしい。もちろん現在は跡形もない。左手にスペースワールドが見えた。年末カウントダウンなどの行事が行われているのだろう。駐車場には多くの車が停まっていた。折尾に着く頃にはカレーラーメンをすべて食べ終わり、紅白歌合戦を聞いていた。しかし、赤間の手前辺りで、電波状態が悪くなり、民放の放送と混ざってきた。おそらくこの辺りがエリア局の電波の限界なのだろう。選局をしなおして、再び聞く。博多では長時間停車するので自宅に電話したり、車両の撮影を行う。隣のホームに、寝台特急「あかつき」が入線した。

寝台特急「さくら」が廃止されると、鳥栖以西を走る唯一の寝台特急となる。しかし、A寝台個室やB寝台個室、レガートシートなど、多彩な車両を連結しており、まだまだがんばれるようだ。博多を発車すると、次は南福岡である。南福岡では、一日の“勤務”を終えた電車から気動車、特急から普通列車が休んでいた。だんだん深夜の時間帯に入ってきて、ただでさえ静かだった車内は、もうレールのジョイント音とモーターや、空調の音だけになった。しかしラジオの向こうでは、「マツケンサンバ」で大盛り上がりである。原田に停車した。すると、ここでは普段走っていない、817系長崎・佐世保線運用が4〜6両編成で、博多方面へと向かっていた。南福岡か、小倉工場への回送だと思う。鳥栖には少し遅れて到着した。最後尾の車両に乗っていたので、階段が遠い。東と西に連絡通路はあるが、ほとんどの電車が西側の通路を基準に停車しているので、東側の通路を通ると、遠回りになる。乗り換える22:49発の肥前山口行きの接続時間は5分である。ただでさえ遅れているので、急ぐ。肥前山口行きが発車するホームには811系が停車していた。座席に座り発車を待つ。しかし定刻の22:49になっても発車しない。遅れた分の接続をとったらしく、約2、3分遅れて鳥栖駅を発車。車掌さんは、若い方だった。そういえば、山陰本線の長門市から乗った下関行きの車掌さんも、今まで乗ってきた快速・羽犬塚行きの車掌さんもすべて若い方だった。やはりキャリアや、階級によって勤務体制が違うのだろう。だからこの大晦日の家族でゆっくり過ごしたい時間帯に、まだ経験の浅い若い車掌さんが乗務しているのだろう。泣ける話である。肥前麓に到着したとき、外は小雪が舞っていた。すぐに止んだが、佐賀で大晦日に雪が降ったのは何年ぶりだろうか。伊賀屋を発車すると、次は佐賀である。早めに降りる準備をして、運転席の後ろを陣取る。高架橋区間に入ると、佐賀駅のホームが見えた。そして、23:15、定刻より2分遅れて佐賀駅に到着した。

そして佐賀駅の改札口を通る。駅員さんは、やはり若い方で、一人でがんばっていた。自宅へ帰るために、タクシーに乗る。こうして「青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行2004」は全行程が幕を閉じたのであった。<おわり>

今回使用した「青春18きっぷ」。途中下車印でいっぱいになった。

旅行記&特集へ

トップへ