青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行2004B

12月29日

去年の北海道に続き、今年も管理人は青春18きっぷを使った旅行を計画した。題して「青春18きっぷで行く北陸経由東京旅行」! 起きたとき、「ムーンライトながら92号」は横浜に到着しようとしていた。しかし、車内はやはり空席が目立った。横浜では何人かの乗客が下車し、品川、新橋と都内に入ると、ぞくぞくと下車していった。それでも、終点・東京で降りる人の数の方が圧倒的に多かった。

 東京駅で乗客たちはそれぞれ分散し、乗り継ぎを急いだり、駅構内を見て回ったりする人の姿もあった。私は朝の東京にいても、通勤ラッシュに巻き込まれるだけなので、いったん373系「ながら」の折り返し運用の東京5:20発静岡行きに乗り、小田原まで乗り、到着5分後に小田原を発車する東京行きの普通で戻ってくる、ということにしている。「ながら」折り返しの沼津行きは5:05頃に乗車が開始されるということなので、いったん東京駅の外へ出てみる。やはり人はほとんどおらず、寂しいものだった。丸ノ内南口から出てみる。街灯に照らされ、不気味に光る東京駅が浮かび上がっていた。

 この東京駅丸の内口駅舎は、太平洋戦争で爆撃される以前のドーム屋根の姿に戻すことが決定している。今度東京へ来たときは、工事中かドーム屋根に生まれ変わった後かもしれない。再び改札を入り、沼津行きの普通電車が停まっているホームへ行く。

 すでに何人かの乗客が並んでいた。ドアが開いて乗車開始。余裕で窓側を確保。しかし、朝早いのに発車時刻が近づくにつれてどんどん人が乗ってきて、デッキで立つ人の姿もあった。さらに品川や横浜からもぞろぞろ乗ってくる。おそらく特急形の373系で運転されるということを知ってのことだろうが、ここまで乗ってくるとなると特急形の普通列車運用も考え物である。ちなみに九州では、普通列車より特急「かもめ」の乗車率が高く、朝夕は通勤電車と化している。

 うとうとしているうちに平塚あたりまで来ていた。もう立っている人はいないだろう、と思い顔を上げると、なんと客室内まで人が立っているではないか。降りるときのことを考え、小田原の1つ手前の駅を発車してからすぐに窓際の席から通路へ脱出。やはり小田原もある程度の大きな都市なので、乗客たちは降りる準備を始めていた。そして小田原に到着。そして連絡橋を渡り、今度は東京行きの普通電車が停車するホームへ向かう。数分後、2階建てグリーン車を挟み込んだE231系が入線。ちょっとがっかりしながら、ロングシートに座る。相変わらず実に硬い。ちょうど本格的な通勤ラッシュが始まる前に、始発駅に近い小田原から乗ったので、余裕で座れた。そしてドアが閉まり、発車。このE231系は、自動放送になっていた。車掌はあくまでも、別途料金を払って乗っていただいた、“グリーン車のお客様”のみの検札らしい。次第に乗客は増えていったが、思ったほど立っている人はおらず、終点・東京に到着する頃はラッシュの時間帯もほぼ終わり、空席が目立っていた。京浜東北線の上野方面行きに乗り換える。計画では、東京駅に比べ駅の構造が簡単な新橋で乗り換えることにしていたが、せっかくなので東京まで乗りとおした。京浜東北線の主力である209系に乗り、秋葉原へ向かう。秋葉原に到着して、さぁ出発と駅を出ようとしたとき、なんとみぞれが降っていた・・・。

さっきまで小雨模様だったので、なんとか大丈夫だろうと思っていたが、このみぞれはさすがに小雨とは言い難い。仕方ないので駅の売店で400円のビニール傘を購入。秋葉原は電気専門店がずらりと並んでおり、さまざまな物が売られていた。秋葉原からは交通博物館へ向かう。残念ながら今日は年末年始の休業に入っているので、外の0系新幹線とD51のみを見学することに。交通博物館は2006年(平成18年)5月で閉館、70年以上及ぶ歴史に幕を閉じ、2007年(平成19年)に埼玉県さいたま市で移転開業し、名称も「鉄道博物館」となる。この交通博物館の建物は、交通博物館がこの地に移転開業した当時のもので、建設されてから70年以上が経っており建物自体が老朽化して、さらに都内の一等地ということで拡張しようにもできず、敷地の狭さも移転のきっかけになった。中央線のガードを通って交通博物館に到着。相変わらずみぞれが降っている。しかし、次第に雪の割合が強くなってきた。早速、玄関横に設置してある0系新幹線とD51を撮影。

 すぐ隣を走る、中央線ではひっきりなしに、オレンジ色の201系が駆け抜けている。よく見るとパンタグラフがシングルアーム化されていた。玄関はシャッターが下りていて、室内の整備工事なども行われている様子では無かった。出発しようと荷物を持ち上げ、東京メトロ銀座線・神田駅へ向かう。いつのまにか大粒の雪に変わっていた。傘の上に雪がうっすらと積もり始めた頃、神田駅に到着。傘をたたんできっぷ売り場へ。券売機で関東地区の私鉄で共通使用ができる「パスネット」(1000円分)を購入。さっそく、自動改札を通ってみる。確かにそのまま通れて便利である。浅草行きのホームへ降りる。この銀座線は比較的運転間隔が短いので、すぐに電車が来た。第三軌条方式なので、電車の天井を外から見るとスッキリしている。電車は末広町、上野広小路と止まり、上野からは日本で初めて開通した地下鉄区間を走る。浅草に到着すると、さっそく電車や駅名表示板の撮影を行う。撮影しながら気づいたが、線路と線路の間にある天井を支える柱がどうみても鉄筋コンクリートではなく、たくさんの鉄のボルトで補強した鉄柱だったのだ。もしかすると開業当時の柱かもしれない。 (銀座線電車の写真右側に、暗く写っている柱)

改札を出て、次の目的地・雷門、仲見世通り、浅草寺へ向かう。

地上に出ると大粒の雪が降っていた。傘をさして歩く。雪が降っているので、ゆっくり歩き、徒歩2分程度で雷門前に到着。時間は午前9時を回っていた。これだけ雪が降っているのに、記念撮影をしている人や土産を買う人、奥の浅草寺へ向かう人などで賑わっていた。早速雷門の大提灯をくぐり、仲見世通りを歩く。  外国人もたくさんいて、さまざまな言語が飛び交っていた。そして、どんどん進んでいくと浅草寺の境内や五重塔が見えてきた。

 今回は、東京の名所をできるだけ多く周るので、そんなにゆっくりはできない。だから、社殿のほうには向かわず、雪の降る中で写真撮影をしたあと、そのまま引き返して仲見世通りの店で土産物を買う。雷おこしと人形焼がたくさん入っているのに、それぞれ500円という店があったので、迷わず購入。(あとで食べたら、安い割にかなりおいしかった。)食べ物だけではつまらないので、別の店に寄ってミニチュアの雷門の大提灯を購入。予定時間の10時15分になったので、雷門を出て都営地下鉄浅草線の駅へ向かう。地図を見れば、さっきの東京メトロ銀座線と同じ方向なので、たぶん駅構内で連絡しているだろうという憶測から、銀座線浅草駅のほうへ階段を下りる。しかし、看板の表示だと、別の場所に駅があるようだ。再び地上に出て探すが見当たらない。少し進むと狭い路地があった。そして駅を発見!こんなに狭くて住宅が密集しているところに、都営地下鉄浅草線の浅草駅が!階段を下りて改札を通り、ホームへ降りて電車を待つ。数分後、電車が入線。浅草線は都営地下鉄浅草線と京急、それに京成の電車も乗り入れを行っているため、さまざまな電車が入ってくる。入線してきたのは、京急の赤い電車だった。

車内はすべての座席が埋まっていて、立つことになった。しかし、日本橋まではすぐなのでそんなに苦にはならず、車内広告を見ているうちに日本橋に到着した。せっかくなので、どんな電車が来るか10分程度待ってみた。まず向かい側のホームには、東京都交通局の電車、そして自分がいるホームには京成と京急の電車が入線した。中には「快特エアポート 羽田空港行き」という電車もあり、国内線の羽田空港と国際線がほとんどの成田空港にそれぞれ京急と京成(下の写真)が乗り入れているため、その2社間を結ぶために東京都営地下鉄浅草線が必要なのだろう。なるほど、これは便利である。これではJRの成田エクスプレスも歯が立たないだろう。

 時間になったので、都営地下鉄から東京メトロ東西線に乗り換える。パスネットは他社間での使用ができることは分かっていたが、改札をいったん出るのか?と思っていると、ちゃんと乗り換え利用者用にオレンジの自動改札機が数台設置してあった。乗り換えて東西線ホームへ行く。やがて東陽町行きの電車が入線してきた。この駅名は始めて聞くので、一応乗ってみた。

 しかし、路線図を見てみると地下鉄博物館のすぐ手前までしか行かない。これは東陽町に車両基地があるため、同駅が終点になっているらしい。終点まで行って船橋まで行く各駅停車に乗るしかない。数分後、船橋方面行きの電車が入線した。乗って少し行くと、辺りが急に明るくなり、地上に出た。ここから終点までは地上区間になるのである。地上区間といえど、高架区間になっている。そして目的地の葛西に到着。葛西駅は典型的な高架下駅で、とても地下鉄とは思えない。外へ出ると、雪はますます激しくなっていた。(下の写真)

年末休業で交通博物館には行けないので、唯一12月29日まで開館している地下鉄博物館へ行くことにしていた。博物館も東西線の高架下にあった。さっそく入場してみる。入り口のところにパンフレットや傘置き場があった。パンフレットを見ると『メトロ財団』と書いてあったので、明らかに東京メトロに関係する団体だと分かった。そのため展示されている車両もすべて前身の営団地下鉄の車両ばかりであった。入場券を買う。これまた、地下鉄のきっぷを模したもので、入るときも自動改札へ・・・。入り口のすぐ近くには、日本初の地下鉄が浅草〜上野で開通したときの映像や、戦時中空襲を免れたため庶民の足として活躍している今の銀座線の映像もあった。そのすぐ脇には、地下鉄博物館のメインとも言える浅草〜上野開業当時の1001号車や、丸ノ内線301号車もあった。(写真は、上から301号車、そしてその車内、1001号車の順。

車内は両方とも、実際に入れるような構造になっていて、1001号車の車内には、本物と見間違うような、地下鉄が始めて開業した、昭和初期の服装を纏ったレプリカの人形もあった。もちろんそこの部分は立ち入り禁止となっている。さらに順路を進むと、東京メトロの路線一つ一つの詳しい情報や解説を書いたパネルがあった。中には『営団地下鉄』表記のままの所もあった。さらに進むと、実物大のパンタグラフが置いてあった。ただ置いてあるのではない。見学者がボタンで操作し、実際にパンタグラフの上げ下げができるのだ。(下の写真)

その先には、トレインシュミレーター(もちろん地下鉄)が数台設置されていた。やろうと思ったが、たくさんの人が並んでいたのでそのすぐ近くにあるタッチパネルで答えるクイズに挑戦。初級はクリアできたが、中級はなかなか・・・。地下鉄の知識が少し足らないようである。(もともと地下鉄博物館はそういう知識を増やしていく場所なのだが・・・。)タッチパネルクイズの横に興味深いものがあった。営団地下鉄時代から現在までの広告を集めた本だった。中には、天才バカボンが登場する広告や、宇宙人が登場する広告など、その時代にあわせた広告もあり、非常に面白かった。時間が近づいてきたので、最後にミュージアムショップへ寄る。悩んだ結果、下敷きと1001号車を模したクッキー缶を購入。このクッキー缶は、ちょうど交通博物館で売られている、「トレイン君」とほぼ同じものらしい。入るときに置いた傘を取って、12:00頃に建物から出た。ますます雪がひどくなってきていて、風も強い。歩道橋を渡って、道を挟んだ向こう側の葛西駅へ向かう。そして、東京メトロのきっぷがどんな物なのか見てみたかったので、パスネットでそのまま通らず、わざわざきっぷを購入。そして、階段を上がり、日本橋方面行きの電車を待つ。数分後、スネ夫君みたいに目がつり上がった、東西線05形のリニューアルバージョンが入線した。

 早速乗り込む。席がところどころ空いているので座る。昼間なのに、車内が混雑している。さすがは東京である。少し行くと、行きとは逆に地下へ。各駅に停まっていき、日本橋を通り越して、日本で最も地下鉄が集中している大手町で丸ノ内線に乗り換える。次の目的地は、国会議事堂。東京に行ったら是非行ってみたい場所だった。幸い丸ノ内線には、国会議事堂のすぐ下を貫いており、『国会議事堂前』という駅もある。(下の写真は丸ノ内線02形)

また丸ノ内線は、銀座線同様第三軌条方式を採用しているため、天井部分がスッキリとしている。(詳しくは、当サイトの丸ノ内線まで。)数分で、電車は国会議事堂前に到着。階段を上がって道路に出た。駅の出口のすぐそばに『衆議院通用門』があった。

 しかし、それよりも目に付いたのはたくさんの警察車両だった。あちらこちらに、警察車両が止まっていて、警察官が寒い中パトロールをしている。実に奇妙な光景だった。車はほとんど走っていないので、まるで封鎖状態のようだった。なるほど、これはニュースでよくやっているテロ警戒というものだろう。しかし、テロ警戒をしなくてはならないのは、日本がテロリストに狙われるようなことをしているからではないのだろうか。これはアメリカへの追従が一番の原因だと思う。東京に来て上野の森にある西郷さんの像を思い出したが、あれを今の日本に例えるならば、でっかい西郷さんはアメリカで、その横で、小さくなっておとなしくしている犬は、まさに今の日本である。もし西郷さんが歩けばそのまま付いていくし、西郷さんが、よしよし、としてやると甘い鳴き声を出す・・・。今の日本は、ある意味アメリカなしでは生きていけないという情けない状態なのかもしれない。遠くにテレビでよく見る首相官邸が見えた。相変わらずあの首相は今日もとんでも無いことを口走っている。ちょっと不快に思いながら、雪がうっすらと積もった坂を下っていく。少し行くと正面に国会議事堂の正門へ出た。

 私のほかにも、国会議事堂の撮影をしている人がいた。閉会中なので人(議員)の気配は無い。ここまで来るのに、予想以上の時間がかかったので、すぐに引き上げ、次の目的地・東京タワーへ向かうため、再び丸ノ内線の国会議事堂前駅に戻る。東京タワーへ行くには、霞ヶ関で日比谷線に乗り換えるわけだが、この国会議事堂〜霞ヶ関は、東京メトロ千代田線とも並行している。さっきは丸の内線に乗ったので、今度は、千代田線に乗ってみる。やってきたのは、JR東日本直通の207系電車。地上では常磐緩行線で活躍する電車である。1区間だけなのですぐに霞ヶ関へ到着。そして、日比谷線に乗り換えて次も1区間乗車で神谷町下車。ここから、東京タワーに行くには緩やかな坂を上らなくてはならない。しかし、荷物が重く、さらに折からの雪で思い通りに歩けない。交差点で左折すると、目の前に雪で頂上付近が霞んだ東京タワーが見えた。さらに坂を上って到着。おそらく、東京タワーは電波が届きやすいようにわざわざ小高い丘の上に造られたのだろう。

 きっぷ売り場には人が並んでいたが、5分も待たずに入場券が買えた。さっそくエレベーターに乗り込み、地上150mの大展望台に到着。ツアー客や観光客などで賑わっていた。しかし、残念ながら吹雪の影響で新宿の超高層ビル群はおろか、次の目的地であるお台場も霞んで見えた。年末の東京で、こんなに雪が降るのは珍しいことだろう。

 売店で、東京タワーのミニ模型を購入。旅の土産といえば三角形のペナントだが、いくら探しても見つからない。また、人がたくさんいて狭い売店だったので、すぐに出てきた。東京タワーの大展望台といえば、床がガラス張りになっている部分があちこちに設置してある。大人が何人乗っても大丈夫ということであるが、それでも不安だ。窓から下をみるとはとバスが止まっていた。まるでミニカーのようである。

 予定の時間より少しオーバーして、エレベーターに乗って降りる。下のビルにもお土産屋があるので行ってみた。そして、ペナントを発見!即購入した。その土産屋のおばちゃんに「どこから来たの?」と聞かれた。すかさず「佐賀です。」と答える。たぶんおばちゃんは、絶対にあの人を言うに違いない。案の定「あの男の子なんだっけ・・・、あっ『はなわ』の・・・。」という答えが帰ってきた。去年の旅行でも札幌の市場のおっちゃんから「どこから来たの?」と聞かれて、「佐賀です。」と答えると、やはり「はなわの・・・」という答えが返ってきた。次の目的地はお台場(フジテレビ)だ。東京タワーを来たときと同じ道を通り、坂を下ったすぐの交差点をさっきとは逆の赤羽橋方向へ向かう。計画では、都営地下鉄大江戸線赤羽橋駅から大江戸線に乗り、汐留でゆりかもめに乗り換えてお台場入りする、ということになっている。歩くこと5、6分。下りなので案外楽だった。赤羽橋交差点で駅の入り口を探す。右斜め向こうの交差点に駅があった。交差点を渡り、駅の階段を下りる。大江戸線は日本一深いところを走る地下鉄として知られており、この赤羽橋駅もかなり深いところにある。パスネットの残額が少なくなり、降りる駅での清算も面倒なので、きっぷを現金と併用して購入して改札を通り、両国方面行きの電車を待つ。数分後、電車が入線。車内は空いていて余裕で座れた。大門1駅に停車して、汐留に到着。

 汐留は、大江戸線が全線開業したあとに誕生した駅である。また、日本の本格的な旅客鉄道の発祥の地でもある。地下深くにある大江戸線汐留駅から、高架橋の上を行くゆりかもめの駅までは階段とエスカレーターを使って行く。ゆりかもめの汐留駅で、きっぷを購入。表は青い券面で、かもめが飛んでいる様子をデザインしてあった。ホームは、列車が到着すると列車側のドアと連動して、自動でホーム側のドアが開く「ホームドア方式」だった。やがて、新橋方面から有明行きの列車が入線した。

 車内は満席で、どうせなら・・・と先頭車へ。ゆりかもめは無人運転をしているので展望がよい。最前列の座席には親子連れが座っていた。だが、満員の車内でケンカをするは、たたきあうは、親はやさしく注意するだけで、直接行動にしないは・・・。もう少し考えて欲しかった。ちょっといら立ちながらも、公共の交通機関だから出て行け、とはいえない。他の車両へ行こうと思ったが、満員なので自由には動けない。仕方なくとどまった。列車はゆりかもめ最大の名所であり、「踊る大捜査線THE MOVIE2」で封鎖対象にされ、「こち亀」の映画では破壊された、何かと“事件”に巻き込まれやすいレインボーブリッジを渡る。すぐ上には首都高速が通っている。お台場海浜公園に停車すると、次は目的地のフジテレビに最も近い台場駅だ。

 台場では、私のほかにも大勢の人が下車した。しかし全ての人がフジテレビへ行くわけではなく、駅を出ると人の波は分散した。さっそくフジテレビ方面へ向かう。寒いのに人が大勢いて、多彩なイベントも開催されていた。1階に入ってみる。どこも人、人、人・・・。午前中の浅草とは比べ物にならない。あんまり人が多かったのでいったん外に出た。右手にかなり長いエスカレーターがあって、人がどんどんその方向へ向かっていたので、私もそのままエスカレーターに乗って終点に到着した。やはりそこにも大勢の人々がいた。ここには、フジテレビで放送されている「サザエさん」や「トリビアの泉」「めちゃイケ」などのグッズが販売されている専門店があった。早速入ってみる。1つの順路になっていて、入り口付近は最近放送が終了した「こち亀」や「サザエさん」「ちびまるこちゃん」などのアニメ系のグッズが売られており、さらに進むと、サザエさんだけを特集した部屋もあり、天井にはでかでかと磯野家の家系図があった。噂で聞いてはいたのだが波平の妹の息子がノリスケだというのが本当だったことに驚く。さらに進むと、バラエティ系のグッズが売られていた。「トリビアの泉」「ワンナイR&R」「本当にあった怖い話」などフジテレビの看板番組のグッズがずらりと並んでいた。ここにも人がたくさんいたが、面白いのはみんな見ず知らずの人たちなのに、一人、または1グループが動くと、他の人々も民族大移動の如くぞろぞろ動く。つまり、そこだけ超混雑状態となるのだ。私は彼らが動いたあとに商品選びをした。かなり迷ったが、トリビアの泉のシャープペンや同じくクリアファイル、ココリコミラクルタイプのペナント(これは、お台場という文字が入っていたから買ったに過ぎない。)、出発前に注文を受けていたほん怖グッズも買った。レジはたくさん設置してあるものの、その前には大蛇の列が。中には手に抱えきれないほどの買い物をした人もいた。会計済ませてさっさと退却する。エスカレーターで1階に戻り、フジテレビ社屋をあとにする。本当はもっといるつもりだったが、人が多すぎてそう自由には動けないし、曇っているためもう薄暗くなっていた。しかし、せっかくフジテレビまで来たのでせめて社屋ぐらいは撮りたいと、下を高速道路が通っている陸橋の上から撮影。ちょっと暗くなった。

そして、台場駅に戻ってゆりかもめに乗る。しかし車内は、超満員で乗れるかどうか心配したが何とか乗れた。しかし、荷物が邪魔である。さらに荷物置きの網棚は所々にしかなく、やむを得ず床に置く。その後も次々と人が乗ってきて、棒に掴るのも難しくなった。終点・新橋の手前で停止した。何事か、と思っていると、新橋駅で列車が発車できないという放送が輸送指令から流された。列車が発車するまで待て、ということだが、もう手も足も疲れた状態だった。数分後、運転再開。新橋でJRの京浜東北線で東京へ向かう。夜の東京は危険であるのと、別にいてもすることが無いので、静岡県の伊東まで往復することにしている。入線時刻と同時に乗れば座席を確保できるだろうと思って東海道線のホームへ向かう。17:24発の伊東行きは引退が決まった113系を期待していたが、211系のロングシートだった。ホームの売店で、軽く食事を取るためにサンドイッチを購入。途中駅に駅弁屋ぐらいはあるだろうと思い、またロングシートで駅弁を食べるはちょっと気が引けるので駅弁は買わなかった。思ったより乗客の数は少なく、立っている人が20人ぐらいというところで発車した。しかし、品川、横浜と停車していくうちに、どんどん乗ってくる。そして、平塚あたりで大半が下車した。平塚では、後ろの編成を切り離した。そして小田原などに停まり、熱海に到着。熱海では長く停車するので車外に出た。駅弁屋が見えたので行ってみたが、すでに閉まっていた。仕方なく電車に戻る。そして、伊東線に入り、終点伊東には19:51に定着した。隣のホームには伊豆急の200系(元JR113系)が停車していた。

 地下通路を渡り、伊東駅の改札口で途中下車印を押してもらって、みどりに窓口にて入場券と自由席グリーン券を東京まで購入。しかし、青春18きっぷを提示すると「これでは乗れないねぇ。」といわれた。しかし、佐賀駅で発行してもらった青春18きっぷの説明書には「グリーン車自由席に乗車可能」と書いてあった。それを根拠に私は反論し、その駅員は上司を連れてきて、どうやら自分の間違いに気づいたらしい。ところが何の謝りもせずにグリーン券を発券した。しかし、2004年(平成16年)10月のダイヤ改正でグリーン車自由席の規則改定が行われてからすでに2ヶ月以上経過している。変更部分の文書も届いているはずだ。私はたまたま青春18きっぷでグリーン車に乗れることを知っていたのでよかったが、もしかすると以前にも同じことを言われて、結局乗れなかった人がいたかもしれない。ちょっといらいらしながら、さっきの211系のグリーン車に乗る。1階と2階で分かれているが、どちらも料金が変わらないので展望のよい2階の車両に乗る。車内は空いていて、乗っていたのは私のほか若い夫婦だけだった。

 電車は東京に向けて伊東駅を20:05に発車。少し行くと、右手には湘南の海が見え、海岸沿いの町の明かりと海面に光る月明かりがとてもきれいだった。熱海では行き同様長時間停車。停車して何分か経った頃、隣のホームの発車時刻表に、「寝台特急あさかぜ 20:39 下関行き」と表示された。「あさかぜ」は2005年(平成17年)3月のダイヤ改正を持って廃止となる。しかし、時計はすでに20:36を回っている。もう間に合わないので、車内から撮影する。「あさかぜ」が入線した。しかし、フラッシュを焚くと窓に反射して変な写真になる。ところが、あまりに暗すぎてシャッター速度が遅くなり、結局列車がぶれた状態になった。  その3分後、私が乗っている211系は熱海を発車。途中から乗客が数人乗ってきたが満席になることは無く、むしろ逆方向(下り電車)の113系や211系ほうが、お勤めのサラリーマンたちで満席になっていた。そして、電車は22:30に東京に定着した。隣にはまもなく発車する113系の湘南電車が停車していた。

 お次は、新幹線に試乗。東京〜品川まで1000円ポッキリ。はっきり言って無駄である。しかし、せっかくだし新しくなった東海道新幹線の車内チャイム、「AMBITIOUS JAPAN」も聞きたかったので乗ることにした。乗るのは、東京駅下り最終の「こだま607号」三島行き・東京22:47発。時刻表にきちんと「700系で運転。」と書いてあったので、車体側面のロゴも見ることができる。

 改札を通ってホームへ。さっそく乗り込んで発車を待つ。車内は乗車率50%ぐらいで、半分程度の座席が空いていた。さっそく車両中間付近の3列座席に腰を下ろす。隣のホームは東北新幹線ホームとなっていて、E2系の「はやて」が回送されていった。その向こうには、仲間が新潟中越地震で脱線したリニューアル200系が停車していた。もしかすると東京駅で夜を明かすのかもしれない。やがて、我が700系も22:47に発車。モータ車なので、加速するたびにウィーンと唸る。発車して1分ぐらい経った頃に700系とすれ違った。すれ違っている途中に「AMBITIOUS JAPAN」の始発駅バージョンのチャイムが流れて自動放送が始まった。車掌からの放送は無かった。ネオンサインが光る東京のビル街の間をすり抜けるように走る。右手に、昼間行った東京タワーがライトアップされて浮かび上がっていた。やがて、モーター音が弱々しくなり、減速を始めた。品川に着くのだ。品川には22:54に到着。誰も降りる人はいなかった。ホームには駅員が数人立っていて、最終列車ということで、ホームの見回りをしていた。

 そして、乗り換え口から在来線ホームへ。山手線で新宿へ向かう。この旅行を計画し始めたのが、2004年(平成16年)10月のはじめで、当初は上野発の583系の「ゴロンとシート」に大宮まで乗り、ムーンライト「えちご」で新潟に出たあと信越本線を下る計画だったが、新潟中越地震で上越線が崩壊。さらにJR東日本へメールで問い合わせたところ、583系の運行も難しいとのことで、やむを得ず中央本線と篠ノ井、大糸線を経由して、日本海側の糸魚川へ出る計画に変更した。品川の山手線外回りに入線したのはE231系で、車内はさすがに眠らない街・東京といえど深夜帯に入りかけているのでところどころの座席に空席があった。空いているので座る。ところが、大崎や五反田、渋谷に停車していくにつれ、若者を中心に乗客がどんどん乗ってきて、たちまち車内は満員となった。でも、夕方の「ゆりかもめ」に比べれば空いている。電車は23:25頃、新宿に到着。ここから快速「ムーンライト信州81号」白馬行きが発車する5番線ホームに向かう。どうやら工事中らしく、かなり歩かされてホームに出た。23:28入線ということだったので、もう乗車は開始されているだろう、と思い期待していったものの、旧あずさ色の189系が「回送」表示で入線しているだけで、乗客たちは列を作ってならんだり、売店で買い物をしたりしていた。(一番下の写真は、この189系の製造年・製造所、そして所属しているJR東日本の銘板。)

 乗客の多くは、大きなスキー道具を抱えている。とうとう駅弁屋がどこも開いていなかったので、ホームにある売店で日本エンタプライズの弁当と飲み物を購入した。

 そして、乗車する先頭6号車のドアの前に並ぶ。23:45(だったと思う。)頃、乗車が許可され、さっそく自分の窓側の指定席を探して着席。数分後、通路側の座席にも中年男性が座った。どうやら沢登りのグループの一人らしく、座席の横にはステッキ(?)が置いてあった。他の乗客も、網棚に大きな荷物やスキーの道具が入っていると思われるバックを座席の横に置いてあった。少し離れたホームからは、オレンジ色の中央線201系がひっきりなしに到着したり、発車して行ったりしている。快速「ムーンライト信州81号」は2分遅れで新宿駅を発車した。この日の午後、埼京線で信号トラブルが発生し、埼京線のダイヤが乱れてそれが未だに尾ををひいているのだ。列車は中央線内に入ると、ぐんぐんスピードを上げていった。しかし、途中の駅で再び停止。すぐに運転が再開されたものの、少し遅れて立川に到着した。次の八王子に停車すると、あちこちから乗客の寝息が聞こえてきて私も八王子発車後に寝てしまった。

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