〜主張F未来ある西九州へ〜

 長崎新幹線建設推進派の主張の一つに、「新幹線による西九州全体の発展」があることは既に紹介した。だが、長崎新幹線は現行特急の所要時間に比べて、最大でもわずか30分前後の時間短縮効果しかない。このような新幹線が必要だとはとても言えないことはお分かりいただけたと思う。だが、佐賀・長崎県は、少子高齢化や過疎化などで、今後も衰退が避けられそうにない。ならば、どうやってその衰退を最小限に抑えることが出来るだろうか。

―「田舎」をネガティブではなく、ポジティブに考える―

 「田舎」と聞くと、「何も無い」「つまらない」、果ては「田舎者」という言葉から、悪いイメージを持つ人が少なくない。それは田舎に住む者、つまり佐賀県や長崎県の住民にもあり、「東京は無理だろうから、せめて福岡県みたいな都会になりたいなぁ」という考えから、福岡・天神に対抗した大型商業施設や必要性に疑問の残るきれいな道路が次々に建設されている。だが、同じ商品を売る“同種”の店があっても、佐賀県や長崎県は、いくらがんばっても“同一”、すなわち福岡県みたいになることは、残念ながらできないのである。

 2006年(平成18年)12月に、「ゆめタウン佐賀」という超大型商業施設が佐賀市に開業した。福岡天神のデパートに対抗したもので、ブランド品を多く取り扱った店や「佐賀県初出店」の店の多いことが特徴である。利用者の反応は新聞記事を読む限り、上々であった。だが、その中に、気になるコメントがあった。

「確かに佐賀にあった方が便利だけど、福岡の方が街を歩く人の服装がおしゃれで、参考になる」

「劇場や大きな映画館もあるし、高速バスでも直結しているから、天神にも行き続けたい」

 結局はこういうことなのである。残念ながら、佐賀県民よりも福岡県民の服装が良いと感じる人がいるのは事実だし、劇場や映画館などの文化的施設は、福岡県の方が充実している。佐賀県からすぐの福岡県に、これだけの施設がある以上、佐賀県が福岡県を目指すのは無駄である。

 それでは、佐賀県にしかないものでがんばれば良いではないか。福岡天神を佐賀・長崎県が真似できないように、佐賀県にあって、他県が真似できないもの。それが、「田舎」なのである。


  写真左:開発中の「ゆめタウン佐賀」周辺。写真右:似て非なる“福岡天神”。店内は賑やかだが、外はご覧の通り。

―「はなわ」ではなく、「がばいばあちゃん」のイメージで“田舎”売り出せ!―

 数年前、タレントの「はなわ」が、「佐賀県」という歌を発表し、全国で大ブレイクした。だが、その一方で、事実とは異なる描写や極めて特異な例を挙げるなど、「佐賀県」のイメージを失墜させたという批判がある。私も、果たしてあの歌で佐賀県の良さが伝わったのだろうか……と、正直なところで思う。「結局、『はなわ』は、佐賀をコケにしただけだったのか」。

 一方、漫才師の島田洋七氏が、子供の頃に佐賀の祖母に育てられたことを書いた自伝小説、「佐賀のがばいばあちゃん」も大人気になり、漫画化、映画化、さらにはフジテレビ系列でドラマ化もされた。佐賀県をコケにした「はなわ」の「佐賀県」とは対照的に、この物語では、佐賀県の良さ、人情の厚さというものがとてもよく描かれており、全国の人々に、佐賀が「素晴らしい田舎」であることが伝わったと思う。

―既に武雄市は「がばいばあちゃん」で売り出しているが……―

 「がばいばあちゃん」で既に売り出しているのは、ドラマのメインロケ地になった、佐賀県武雄市である。既にロケ地めぐりのツアー客などを誘致するなど、実行動に移している施策もある。市有地活用のために、ロケ地めぐりの資料館を造るという新たな計画も発表されている。武雄市の樋渡市長が若いだけに、その行動力に期待する声も大きい。

 だが、武雄市のこの観光政策は、長期的な目で見ると、最終的には厳しい結果になるだろうと私は思う。要するに、目の付け所は大変良いが、「がばいばあちゃん」にこだわり過ぎているのだ。ロケ地めぐりの資料館は、何度もシリーズ化されて、ドラマ視聴率が他の追随を許さないくらいになれば、検討しても良いだろうが、現段階では1回ドラマに使用されただけであり、ここで市民の税金を投入してまで資料館を建てるのは時期尚早である。

―そのあたりに転がっているものを有効に使う。それが「がばいばあちゃん」流―

 「佐賀のがばいばあちゃん」は、こう言った。

「この世の中、拾うもんはあっても、捨てるもんはなかとばい」

 実際に、「がばいばあちゃん」はU字型磁石をつけたひもを腰に巻き、それを引きずって道に落ちている釘や針金などの金属類を集め、お店に売ってお金に換えていたという。小説や映画、ドラマを全て読み、又は見た人ならば、記憶にあるだろう。

 武雄市のように、高いお金を使ってわざわざ資料館を建てずとも、貴重な観光資源は、そのあたりに結構“原石”として転がっているものだ。しかし、それがなかなか活用されていない。使えるのに使っていないこの現状を「がばいばあちゃん」が見たら、間違いなく「がばいもったいなか!」と言うに違いない。

 佐賀県鹿島市では、日本一広い干潟を誇る有明海で、「干潟体験」を実施しており、毎年5月に干潟の祭典「ガタリンピック」を開催している。干潟は、もともと漁師さんたちが使うくらいで、人間が直接使う上では他に用途が無かったが、鹿島市はそれに目をつけ、観光産業に見事変えてみせた。長崎の修学旅行帰りに干潟体験をする学校もあり、遠くは東北地方からやって来るという。鹿島市のこの取り組みは、“そのあたりに転がっていたもの”を有効に使った、一つの成功例である。


  (↑ガタリンピックの様子。多彩な競技があり、韓国からの団体参加もあるなど、本当に国際大会化しつつある)

 鹿島市に限らずとも、佐賀・長崎県には観光資源として使えそうな原石がまだまだある。大空の広がる佐賀平野で、1週間程度の「滞在型田舎暮らし」を“ゆっくり”と楽しんでもらっても良いだろう。空き家になった民家を利用すれば、まさに一石二鳥である。

 今、都会にいる人々は時間に振り回されて疲れている。こうした佐賀や長崎の風景が、ゆったりとした時間の流れとともに、疲れた人々を癒すオアシスになることは間違いない。一鉄道ファンとして、あえて注文をつけるなら、蒸気機関車を復活させて欲しいと思う。のどかな佐賀平野をゆっくり走る蒸気機関車……。「ゆったり観光県」に、できることなら走らせたいものである。

―佐賀・長崎の観光産業に、これ以上の莫大な投資は不要―

 鹿島市の例では、観光産業に莫大な投資が行われていない。また、別の項目で提示した黒川温泉や由布院温泉でも、新たに大規模施設を造るといったものではなく、非常に不利・不便な立地条件にも関わらず、町ぐるみで違法看板の撤去による景観の保護や「また来たい」と思わせる雰囲気づくりに取り組んだ結果、人気度・観光客数ともに九州トップクラスの観光地に躍り出たのだ。

 「投資して新幹線を造れば、西九州一帯の発展につながる」という考えは、黒川温泉、由布院温泉、それに鹿島市の成功例で否定されている。成功例に共通することは、先述したように、莫大な投資をせず、その観光地の持つ本来の魅力を上手く引き出せたということである。

 佐賀・長崎は、交通機関では既に観光地としての基盤が大部分で完成している。莫大な投資をしなかった成功例に見習うべきことは多い。新幹線という枝ばかりをのばすのではなく、今あるものを最大限に活かした“実”のある観光地づくりを最優先に実行していくことこそが、西九州一帯の将来につながるのではないだろうか。

 

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