SLやまぐち号で行く、夏の山口・ローカル線旅行B

SLやまぐち号の乗車と山口県内JR全線制覇を目的に実行した旅行の旅行記です。

 私が、今日この計画を実行したことには理由がある。それは、今日が蒸気機関車の重連運転日であること、そして、かつて特急「つばめ」で使用されていたマイテ49−2が連結されるからだ。

 既に重連の機関車、C56形160号機とC57形1号機は、煙を上げてスタンバイしていた。今まで乗ってきたキハ40形が発車した後、客車に連結した上で回送して、1番乗り場に入線させるものと思われる。

 そういえば、C56形160号機は、同形式のラストナンバーであり、C57形1号機は、同形式のトップナンバーだ。面白い組み合わせである。

 重連の機関車は、一旦新山口方面に少し行って停車した後、バックで駅舎側の留置線に入り、客車と連結。

 編成の写真を撮影した後、

 私は、一旦津和野駅の外の出た。その間、列車は再び新山口方面に少し行って折り返し、1番乗り場に入線したようだ。

 津和野駅の駅舎では、「SLやまぐち」号の出発を待つ親子連れや年配の夫婦、ツアー客がまだかまだかと改札が開くのを待っていた。私はその群集をかきわけ、駅前の通りに出た。

 観光地の割には、静かな街だった。道は立派に整備されているものの、自動車の数が少ないのである。駅前で見かけた自動車は、タクシーが2台、大型観光バス1台、他自動車が数台といったところである。おそらく、多くの観光客は「SLやまぐち」号や他の列車、バスなどを利用してこの街を訪れているのだろう。それが、山陰の小京都とも呼ばれる津和野らしさを表しているようだった。

私は、佐賀県内のとある街のように、観光地の中を大型トラックや自動車がバンバン走っている所は、絶対に成功しないと思う。観光地は、歩いて楽しむことが第一条件だと思う。もちろん、長崎のように路面電車に乗ることが観光の一つだと言える場所もあるが、同じ長崎でも、オランダ坂のような「歩いて楽しむ観光地」があると、その街の魅力が見えてくると思う。実際、長崎では「さるく博」という観光地を歩いて楽しむ企画を実施しており、好評を博している。

 歩いて楽しくない観光地は、観光地ではない、と私は思う。観光振興をしたつもりでも、なかなか観光客数が増えない所は、そういった点が抜け落ちているのではないだろうか。

 駅の隣には、D51形194号機が保存されていて、機関室では親子連れがあれこれ触って楽しんでいた。

 その後、駅舎を撮影して、駅舎内に戻った。

 自動販売機で、車内で飲む為の飲料を買った後、駅舎内の売店で「SLやまぐち」号のキーホルダーを購入。マークや連結器、鎖などが、とても細かくかつリアルに再現されていた。

 ホームでは、多くの乗客が列車の撮影を行っていた。私も早速撮影を開始した。

 下の写真は機関室の様子。

 機関士さんは、先頭のC56形とその後ろのC57形に2名ずつ乗っていて、これからの運転に備えて水分補給をしていた。運転中の機関室は、石炭を投入しながら走るので、かなりの温度になるそうだ。それだけに水分補給は重要である。

 方向幕は特別仕様だった。

一通りの撮影が終わったので、私の指定席がある1号車(展望車風車両)に乗り込む。

 ところが、私の座る座席が進行方向とは逆の座席で、反対側の席には別の男性が座っていた。相席になる分については、何の問題も無い。しかし、反対側の席では、景色を見るのが非常に難しいし、乗り心地も悪い。私は蒸気機関車が走っている風景を撮りたかったので、発車後に最後尾のマイテ49−2に移動することにした。「ハイケンスのセレナーデ」のオルゴールで始まった放送で、最後尾のマイテ49−2は、「SLやまぐち」号の指定席を持っている人ならば誰でも利用できる、ということが案内されたからだ。

 発車時間が近づくにつれて、乗客の数は増え、大部分の座席に誰か座っているような状況だった。ただ、中にはボックスごと空いている席もあった。

 15:33、列車のドアが閉まった。先にC56形の「ボォォォ」という汽笛が鳴り、続いてC57形が、C56形よりも大きな汽笛を鳴らし、ゆっくりゆっくりと動き始めた。汽笛は、鳴らされるたびに山々に響き、こだまとなって返ってきた。

 発車してしばらくすると、乗務員さんがやってきて、ピンバッジ付きの記念乗車証を乗客一人一人に渡していた。写真は、新山口で乗り換えた115系車内で撮影したもの。

 その後、私は早速最後尾のマイテ49−2に移動した。

 こちらは既にほとんどの座席が埋まっていたものの、一人掛けの座席がいくつか空いていたので、そのうちの一つに座った。一等車だけあって、乗り心地は非常に良い。窓側を向いているので、景色も見やすい。通風孔らしい所には、幾何学的な模様の入った金具が取り付けられていた。この客車の車内をデザインした人たちの、ちょっとした遊び心が感じられる。もちろん、今の列車にも遊び心が感じられる車両はいくらでもあるが、中には蛍光灯がむきだしのままだったり、窓が紫外線カットフィルムになっていたりするなど、鉄道旅行を台無しにする車両の登場が相次いでいるのは非常に残念だ。

 車内放送で、「次の徳佐まではトンネルが続きますので、窓を開けないようお願いします。」という注意が促されたので、窓を開けていた私は早速閉めた。その後、いくつかのトンネルを抜けた後、島根県と山口県の県境の長いトンネルに入った。トンネルの中は煙が充満し、トンネルを抜けた後も、しばらくは視界が真っ白だった。遠くなってゆくトンネルからは、トンネル内を爆破したかのように、煙がもうもうと出ていた。

 列車は徳佐、鍋倉と停車しては発車してゆく。沿線は、大勢のSLファンが列車の撮影を行っていた。列車はしばしばカーブを曲がった。その度にそれぞれの窓から乗客が列車の撮影を行っていた。

 

 蒸気機関車ほど、人間くさい機械はない。誰が言い出したのかは知らないが、それは本当のことだと思った。力強い煙を出す時もあれば、弱々しい、薄い煙を出すこともある。白い煙の時もあれば、真っ黒な煙の時もある。天候や場所、機関士さんによって違うと思うが、生き物のような主連棒や動輪の動きだけを見ても、それらしさが感じられた。

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