さよなら寝台特急「さくら」号・お別れ乗車旅行C

2月27日に、管理人は廃止間際の寝台特急「さくら」の最終乗車旅行をしました。その時の旅行記です。

入線準備が始まった。「さくら」の14系客車に、今日の下り「さくら」を牽引していたED76−90が連結され、いったん引込み線まで牽引した後、16:20、ファンや、別れを惜しむ人々でごった返すホームに、バックで入線した。その際、構内放送を利用して、森山直太朗の「さくら」(独唱)が流れてきて、周囲の人たちは、「なんだ?」と戸惑っている様子だったが、ようやく「さくら」の歌だということに気づいて、あちこちから苦笑が漏れていた。この「さくら」は発車まで、たびたび流れていた。

「さくら」号・長崎駅入線の動画はこちら

列車が停車すると、先頭車を中心に撮影会が催された。ファンから別れを惜しむ人々、カメラつき携帯から数万円はしそうなカメラや、デジタルムービーを使って撮影していた。また、発車5分前まで、昔の「さくら」ヘッドマークを復刻した、JR九州特製ヘッドマークが取り付けられるため、先頭の機関車の周りは、押すな押すなの大賑わい。さすがに線路へ降りて撮影する者はいなかったが、一歩間違えば線路へ突き落とされるくらい混雑していた。(2004年に西鹿児島発「はやぶさ」が復活したときには、線路へ降りて撮影していて、警官に怒られた者もいた。)私もその復刻版「さくら」ヘッドマークが撮りたくて、身を乗り出すが、乗り出すたびに、前にいる人が乗り出してきてなかなか撮れない。近くにいたおばさんが同情して「仕方ないよねぇ。最後だもん。それならおばちゃんが(服を)握っててあげるから・・・」と言って、その人に服を握ってもらい、身を大きく張り出して撮影したのが、下の写真。

少し離れた留置線には、京都からの寝台特急「あかつき」のED76とその14系客車が留置してあった。しかし「あかつき」の14系客車は京都の車両所に所属しているので、「さくら」が廃止されると、長崎の車両所からは、客車の所属が無くなる。下の写真は、少し離れたところから撮影した、「さくら」と「あかつき」。

そのあと、最後尾に回った。最後尾では、先頭ほど人はいなかったが、「さくら」のテールマークも廃止により無くなってしまうので、さまざまな角度から撮影していた。

そろそろ発車5分前になったので、車内へ入る。入る前に、二度と見られなくなる「さくら 東京行き」の方向幕を撮影。

期間限定・50席限定で、長崎〜博多間の立席特急券の扱いが数年ぶりに復活するというので、乗車日から一週間前に発売されるこの立席特急券を押さえていた。

この日は、福岡市内〜長崎などの、JR九州発売の格安回数券「2枚きっぷ」「4枚きっぷ」を使用しているので、立席特急券の値段は、この中に含まれるが別途指定券が必要だった。発車するまでの間、車内を見学。先頭の客車から、さっきの反対側に取り付けられているヘッドマークを撮影。こちらは唯一盗まれなかった古いほうのヘッドマークだった。N曰く、「新しいヘッドマークよりも古いほうがよかった。」と言っていた。

それはさておき、車内には、立席特急券利用者にほか、寝台券利用者も次第に増えてきた。そして、それぞれの寝台に腰を掛けていた。寝台券利用者が優先となるので、立席特急券利用者は、通路のオープンシートで我慢。そして、16:50、長い汽笛を鳴らして、寝台特急「さくら」東京行きが、ゆっくりと長崎駅のホームを離れていった。ホームでは多くの人が見送っていた。もっとも目よりもカメラのレンズの多さが、気になったが・・・。「さくら」は長崎市内を走りぬけ、トンネルをくぐると山間の小さい駅を通過しながら諫早へ。諫早でも、何人かの人が撮影を行っていた。諫早を発車すると、次の肥前鹿島までは約1時間弱。下りよりも早いのは、特急退避・先行が少ないからである。列車は有明海沿いのカーブが連続する線路を時折スピードを落としながら走る。

列車がスピードを落としながらポイントを通過した。肥前浜だった。ここで特急退避を行うのだろう。しかし、数分停車した後、何の通過列車もなく発車した。肥前鹿島には、数分遅れて到着。何だろう?と思っていたら、「鹿児島本線のダイヤが乱れているため、下りの特急列車が遅れております。今しばらくお待ちください。」と車内放送が入った。約7、8分ぐらい経った頃、下りの783系「かもめ」が到着した。その後すぐに発車したが、定刻より9分遅れて発車した。次の停車駅は肥前山口だ。陽が落ちてきて、だんだん暗くなってきた。そういえば、Nはどこへ行ったのだろう。指定は同じ10号車なので、オープンシートを閉じて、探しに出かけた。そして、同じ車両の寝台ボックスに座っているのを発見。どうやら、寝台券を持って乗車している年輩の男性の許可を取って乗っているらしい。幸いその男性は一人だったので、向かい側の寝台に腰掛けた。やはりオープンシートよりも、寝台のほうが座り心地が格段によい。

肥前山口に到着した。やはり約9分遅れている。肥前山口はすぐに発車した。速度からして、少しでも遅れを取り戻そうと、機関士は必死になっているようだ。(鉄道を運行する人にとっては当たり前だが・・・)佐賀に到着した。計画では、ここで降りる予定だったが、Nと協議した結果、せっかくなので鳥栖まで乗車することにした。佐賀駅のホームには、長崎駅に次いで人の数が多いようだ。やはり、9分程度遅れている。しかも列車は発車しない。そしてようやく発車し、加速しようとしたところ、いきなりブレーキがかかり、緊急停車。ホームにいた人や、私たち、車内に乗っている人たちも、この出来事に戸惑っていた。数十秒後に運転が再開された。私が思うに、乗り遅れた客がいたので、車掌がトランシーバーで機関士に伝えて停車したか、あまり考えたくないが、黄色い線の外側で無謀な撮影をしようとした人が、転落しそうになった・・・。だいたいこんなことだろう。もし、後者が原因だとすると、ますます鉄道ファンに対するイメージが悪くなるのではないか。鉄道ファンが、「オタク」「マニア」「鉄道気違い」などと呼ばれてしまうのは、やはりこういうことが原因だろう。私としても、「マニア」と呼ばれるより、「ファン」と呼ばれたほうが、気持ちいい。(Nによれば、「マニア」には「気違い」という意味もあるらしい。)特に今回は、廃止間近の「さくら」を停めた。もし乗り遅れた客が原因としても、この罪は特に大きいだろう。

列車は10分程度遅れて、佐賀駅を18:47頃発車した。直線区間が多いので、列車はどんどんスピードを上げていく。連結作業が行われる最後尾へ行ってみた。すでに何人かの人がいた。そこへ、車掌が来て「鳥栖に着くと、連結作業を行いますので、このまま乗車することはおやめください。」と言った。このことを聞いて、大半の人が戻っていったが、鳥栖に着くまではいいだろう、との判断から、そのまま乗車した。そこへ、同じ中学生ぐらいの少年が入ってきた。その人がNに何か聞いて、Nは「ここは、何か鳥栖に着くと、作業をするから、そのまま乗るのはだめらしいです。」と答えていた。私は、最後尾からビデオ撮影を行っていたので、聞き耳を立てながら聞いていた。やがて速度が落ち、中原駅に停車。私の記憶では、ここで後続の885系「かもめ」に特急退避が行われる。さっきの中学生が、「線路に人が・・・」と言った。見ると、「さくら」最後尾のすぐ前でテールマークをフラッシュ撮影している男がいた。いくら列車が停まっているとはいえ、はっきり言って危険である。車掌も、横の車掌室にいたはずだが、何の咎めもしなかった。こればかりは車掌にも注意責任があるのではないか。下り線を783系が通過した後、上り側線を885系が通過していった。私は撮影を終え、後ろで話しているNとその中学生の会話に入った。話しぶりと専門知識から、相当のファンらしい。また、寝台特急に乗るのも初めてらしい。中学三年生で、京都府からわざわざ来たという。私が「『さくら』で京都へ行くのですか?」と聞いたら「まさか・・・」と言われた。その後、さまざまな話で盛り上がり、その人は京都周辺の電車について、私とNは、九州の813系1000番台などの話題を中心に話した。

鳥栖に到着するという車内放送が流れてきた。放送によれば、鳥栖の三番乗り場に到着するという。連結作業は、「はやぶさ」が停車している1番乗り場で行われる。そのため、3番乗り場から地下通路を通って一番乗り場へ移動しなくてはならない。ドアが開くと、Nとその中学生は、列車を飛び出して、階段一気に駆け下りて、1番乗り場へ。私は、重たい荷物を背負っていたので、なかなか速く走れない。少し遅れて1番乗り場へ到着した。すでに「はやぶさ」は、連結準備が完了していた。

そして、引込み線から折り返してきた「さくら」がバックで入線。ゆっくりと「はやぶさ」の客車に近づき連結。その瞬間、カメラのフラッシュと、シャッターの音が響いた。

「さくら」号・鳥栖駅での連結作業の動画はこちら

その後、私はその場を離れて、先頭車へ向かった。しかし、先頭車周辺では、多くの人が写真撮影をしているらしく、近づけそうにないので、手前まで行って、発車を待った。そして、連結作業が終わると、「さくら・はやぶさ」は発車準備に入り、駅の放送でも「ドアが閉まりますのでご注意ください。」と流れてきた。プシュー、と音を立てて、「さくら」のドアが閉まり、少し時間を置いて、ゆっくりと動き出した。次第にスピードを上げていき、やがて「はやぶさ」の電源車が通り過ぎ、そして見えなくなった。後ろを振り返ると、多くの人が帰り始め、普段の状態に戻っていった。鳥栖からの帰りは、遅れている885系「かもめ」長崎行きに、超満員ながら乗ることができた。そして佐賀には、定刻より15分程度遅れて19:51に到着。こうして、「さよなら寝台特急「さくら」号・お別れ乗車旅行」は幕を閉じたのだった。<おわり>

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