さよなら寝台特急「さくら」号・お別れ乗車旅行A

2月27日に、管理人は廃止間際の寝台特急「さくら」の最終乗車旅行をしました。その時の旅行記です。

入線1分前の8:32。周りの人々の動きが慌しくなってきた。そして、さっきの115系の影から、EF66が顔を出し、カーブを曲がりながら、ゆっくりと下関駅のホームへ入線してきた。

本州用のヘッドマークは無事だったようで、ちゃんとEF66牽引の「さくら・はやぶさ」を飾っていた。

列車が停車すると、すぐに機関車付け替え作業が行われた。

EF66・切り離し作業の動画はこちら

この日、東京から牽引してきたのはEF66−47だった。切り離された後、EF66−47号機は、ゆっくりと離れていった。ちょうどその頃に、反対側のホームで撮影していた友人Nが戻ってきた。

機関車切り離し・連結作業の合間に撮影した「はやぶさ」号のテールマーク。この日の電源車はカニ24−9であった。しかし、この電源車と24系客車は、ロビーカーも含め、「はやぶさ」号の14系化に伴い廃車されるという。せめてロビーカーぐらいは乗客の癒しの場として残ってほしかった。実にもったいない話である。

また、その電源車・カニ24からは、荷物の積み下ろしが行われていた。この荷物取り扱い(ブルートレイン便)も、3月の改正で廃止される。

EF81・連結作業の動画はこちら

連結されたのは、やはりEF81−413だった。連結が終わると、すぐに発車するので、急いで「はやぶさ」の24系に乗り込む。車内には寝台券を利用して乗っている乗客のほかに、下松からの立席特急券を利用して乗っている乗客(発売限度は30席)もいるので、本当に立ち席になりそうだ。(実際は、予め決められた車両の寝台に着席することができる。)列車はゆっくりと下関のホームを離れていき、やがて関門トンネルに入った。私とNはロビーカーにて門司到着までの数分を過ごすことにした。案の定、ロビーカーは満席で、座れるようなスペースはなかった。車内販売は、出張中らしく、カウンターには籠と、箱だけが置いてあった。関門トンネルを抜けると、門司に到着。さっそく外へ出て、先頭へ向かう。すでに先頭付近は、多くの人が埋め尽くしており、結局、その人々の後ろから撮影することにした。付け替え作業は、まず、EF81が切り離され、少し離れた留置線に停車しているED76−94がやってきて連結された。このED76−94は翌日の最終上り「さくら」を牽引した。

EF81・切り離し作業の動画はこちら

EF76−94・連結作業の動画はこちら

連結作業が終わると、すぐに車内へ戻る。次の停車駅は小倉だ。車内販売とすれちがったので、何か買おうと呼び止めた。「さくら」のグッズはないとのことで、弁当を購入することにした。私は幕の内弁当を、Nは下関の「ふくめし」を購入していた。(下の写真は、車内販売のワゴン。販売員の許可を得て撮影。)

小倉では、数人の乗客が降り、いくつかのボックスが空いた。私とNは空いた「さくら」10号車のボックスに早速着席した。

その後、自分のボックスの目印となるように、ペットボトルなどを置いて、車内の撮影に出かけた。まずはロビーカー。この車両もダイヤ改正で廃止となる。車内の内装は、よく見ると、林の中をイメージしており、乗客の癒しの場というのも納得できる。(上から車内全景、自動販売機、カウンター内部、ソファー、回転椅子、ロビーカーの車両番号、車内販売のご案内、ロビーカーの時計、公衆電話。)

ロビーカーの次は、「はやぶさ」と「さくら」の連結部分へ向かう。ここは、両列車のテールマークを目の前に見ることができる場所で、数人の人が撮影を行っていた。せっかくなので、両列車のテールマークを見てみた。「さくら」は何の問題もなかったが、「はやぶさ」の方は何かおかしい。色も白黒だし、鳥の縁がギザギザしていて、パソコン印刷のようだった。もしかすると、これも心無き者に盗まれたのかもしれない。JR九州の管理責任もあるが、一番悪いのは、やはり盗んだ者だ。ヘッドマークがある先頭車に比べ、何かと寂しい最後尾を少しでも飾るためにあるテールマークを盗む者は、おそらく売って金儲けするつもりだろう。さらにそれを買う者もまた同罪である。

再び「さくら」の編成に戻った。撮影している途中、右手に若戸大橋が見えた。

この「ソロ」は、もともと24系「はやぶさ」編成に組み込まれていたもので、14系化されて「さくら」編成に組み込まれた。入り口は自動ドアになっている。「さくら」が廃止されると、「はやぶさ」運用となるため、6年ぶりに熊本へ戻ってくる。

次にA寝台1人用個室「シングルデラックス(DX)」。14系の「はやぶさ」運用移行により、その前準備として、2月22日から「さくら」編成に組み込まれ、運用されていた。廊下や客室の部分は変わらず、改造されたのは、電気回路の引き通し線など。廊下の端には、「小倉工場 平成17年改造」という、真新しいプレートが取り付けてあった。

そして10号車のボックスに戻った。目印を置いていたので、取られてはいなかった。博多までは1時間近く時間がある。小倉を発車したあと、さっき買った幕の内弁当を開け、「さくら」車内で賞味した。製造したのは下関駅の駅弁業者で、海の幸もいくつか入っていた。これが「さくら」車内で食べる、最後の食事となるだろう。

食べ終わった後、車窓を眺める。この区間は、何回か813系や883系などの電車で通ったことがある。しかし、この「さくら・はやぶさ」は機関車が牽引する客車列車。スピードは遅いが、モーターが付いていないので、レールのジョイント音や、ときどき機関車の汽笛も聞こえてくる。そこには、加減速の激しい電車だと味わえない乗り心地や、ジョイント音の響きがあった。列車がカーブに差し掛かった。進行方向を見ると、大きく弧を描いて走る長大な編成が見えた。3月になると、門司以西を走るのは「はやぶさ」の6両のみ。この光景も見納めだ。

 9:53、博多に到着。車内販売の乗務はここまでだ。車掌2人もここで交代する。車内放送では「ホームでの撮影を控えてほしい。」との放送が流れた。だが、せっかくなので、ホームに降りて電光表示などを撮影して、すぐに車内へ戻った。

次の停車駅は鳥栖だ。鳥栖では熊本行き「はやぶさ」と長崎行き「さくら」に分かれて運転する。最大の見ものは、「さくら」と「はやぶさ」の併結部分。私たちは、併結部分に近い、ロビーカーで到着を待った。到着5分前に「はやぶさ」の最後尾車両へ。白髪の車掌さんが、車掌室内で休憩していた。Nが「車掌室を撮影してもよろしいですか?」と聞いた。車掌は「どうぞ。」と言った。私もさっそく撮影した。よく見ると机のようになっていて、引き出しも付いていた。台の上には時刻表や、トランシーバーなど、車掌の七つ道具が並んでいた。

お礼を言って、デッキ部分に戻る。デッキには、ファンのほかに老夫婦が荷物を抱えて到着を待っていた。その老夫婦から「どこから来たの?」と聞かれた。そして「佐賀です。」と答えると、旦那さんが「私たちは鳥栖で降りるんだよ。」と言われた。話を聞いていると、東京の出張帰りで、行きも「さくら」を利用したという。奥さんも会話に入り、「東京駅のホームには、たくさん人がいてね、カメラで列車を撮ってたよ。」とか「記念弁当も売られてて、買ったけど、包みは捨てちゃった!。」(私の心の中:もったいない・・・・)などと、東京駅の状況なども詳しく話してくれた。そして10:19、鳥栖駅に到着。すでに切り離し作業が行われる所では、すでに何人もの人がいて、結局後ろのほうで撮影することになった。

「はやぶさ」号鳥栖駅発車の動画はこちら

※最初、「ピッ」と鋭い笛が鳴りますのでご注意ください。

「はやぶさ」が発車した後は、専ら「さくら」の客車に人々の目が行き、競うように撮影していた。

そして、少し離れた所に留置してあったED76−90が発車し、構内で引き返して、「さくら」が停車している6番乗り場へ入線し、連結した。

「さくら」号・機関車連結の動画はこちら

連結が終了すると、まもなくの発車となるので、ちょっとだけ車両を撮影してから、車内へ戻る。(上から「A寝台個室シングルデラックス」の表示、同車両の車両番号・記号、中途半端な表示になっている方向幕(少し見えてるのは、おそらく佐世保行き)、車両の所属区などの表示。)

Nはいつの間にか、鳥栖駅名物のうどんを手に持っていた。着席してすぐ、列車はゆっくりと動き出し、鳥栖駅のホームを離れていった。発車して数分後、車内放送のチャイムが流れ、停車駅の案内や、次の停車駅・佐賀からの乗り換え案内が行われた。佐賀には10:56着。約4時間20分で佐賀まで戻ってきた。ホームには多くのファンや別れを惜しむ人たちが集まっていて、特にファンとなると、あちこちを走り回って撮影に忙しそうだった。わずかの停車で佐賀駅を発車。次は肥前山口だ。列車はのどかな田園地帯を走る。右手に、赤い屋根の農家が見えた。これまたとてもいい雰囲気を出していた。

肥前山口では、特急退避のため、9分停車する。特急が特急退避と言うのも変な話だが、電車特急が優先される九州では、こんな光景も当たり前なのだ。さらに783系「かもめ」と「みどり」「ハウステンボス」が分割運転されるので、さらに時間がかかる。その間に、外から車両を撮影する。

特急「みどり」「ハウステンボス」が発車した後、「さくら」が発車した。次は肥前鹿島だ。ここからは単線区間となり、肥前竜王では上り885系特急「かもめ」の行き違いも行った。肥前竜王の次は肥前鹿島。鉄橋を渡れば、肥前鹿島に到着する。肥前鹿島駅に差し掛かるとき、すぐ手前の土手に一人のおばあさんが列車に向かって手を振っていた。もしかすると、この「さくら」に特別な思い入れがあるのかもしれない。そういえば新聞の投書欄にも、「『さくら』に亡くなった夫と乗った思い出が懐かしい」とか「就職で上京する際に『さくら』を利用した。廃止されるのはちょっと寂しい。」という記事があった。ファン以外にも、それぞれの胸に刻まれた「さくら」の思い出があるのだろう。肥前鹿島にも何人かのファンがいた。列車は肥前鹿島を発車すると、次の諫早まで1時間以上停車しない。厳密に言うと、スピードの遅さや、特急退避、信号停車などのロスがあるので、長くかかるのだ。

話は変わるが、長崎新幹線の建設に伴い、並行在来線の長崎本線の扱いについて、地元自治体や佐賀県、長崎県などがかなりもめているが、私としては、長崎新幹線は必要ないと思う。九州新幹線の鹿児島ルートの場合、福岡市・熊本市・鹿児島市という人口50万人以上の都市の他、久留米や大牟田、八代などの小中規模都市が多数並んでいるのに対し、長崎新幹線の沿線にある都市を挙げれば、16万の佐賀市と40万強の長崎市の他、人口15万人以下の武雄市(約4万人)と小城市(約4万人・新幹線駅は造られない予定)、大村市(約8万人)、諫早市(約14万人)だけで、採算的にも厳しいだろう。さらに地元住民や、観光客全員が新幹線を利用するわけでもない。東京・名古屋からは飛行機が便利だし、高速バスもそれなりに対抗するはずだ。それに佐賀県内、特に佐賀市などはあまり短縮効果がないため、佐賀市民の反応も冷ややかだ。ある程度の高速化は必要だろうが、何でもかんでも超高速化の波に飲み込むのはよくない。建設に伴い、並行在来線の一部区間が三セク化の危機にある。現に「肥薩おれんじ鉄道」も、採算が取れないことを事前に承知していながら、実際開通してみると、予想を下回る結果になってしまった。それよりも複線化やカーブの緩和などの線路基盤の改造を行えば、少なくとも10分以上の短縮効果があるのではないだろうか。どうかすると、20分や30分近い短縮効果があるかもしれない。さらに建設費も削減できるだろう。

暇なので、自分が座っているボックスを撮影することにした。(上から上段寝台の様子、放送口、踏み台(横倒し状態)、枕と寝巻き、通路側のオープンシート<収納可>)

それでも時間が余ったので最後尾へ。最後尾では、2、3人の人が撮影していた。

「さくら」号・最後尾からの動画はこちら

そうしているうちに、列車は諫早に到着。わずかの停車時間だが、やはり多くの人が見物に来ていた。諫早を発車すると、約25分で終点・長崎に到着する。長崎に到着する約10分前、長いトンネルの中で、最後の特急退避が行われた。そして、ゆっくりと発車した。トンネルの中だからだろうか、機関車のモーターがいつもより唸っているのが よく分かった。そして、トンネルを出ると、長崎の街中を走るようになった。左手に路面電車が見え始めた頃、車内放送が入り、乗客たちはごそごそと、降りる準備を始めた。

「さくら」号・長崎市内走行の動画はこちら

(☆車内放送が流れます☆)

そして13:05、「さくら」号は、汽笛を鳴らしながら、ゆっくりと長崎駅構内に入り、東京からの長旅を終えた。その後すぐ、最後尾にDE10−1753が連結され、機関車をつけたまま回送された。

「さくら」号・長崎駅での回送の動画はこちら

列車はいったん引込み線へ入ったあと、バックで別の留置線に入り、夕方の上りに備えていた。この作業が終わると、見物人は分散し、やがて人もまばらになった。そのとき、Nが「あの旗、欲しくない?」と言いはじめた。ホームの天井には何枚もの「ありがとう 寝台特急『さくら』出発式 2/28(月)16:25〜」と書かれた旗が下がっていた。言われてみるとたしかに欲しいレア物だ。

改札口の方に聞いてみると、「あげれるかどうかわからないけど、一応ここに名前と住所を書いて」と言われたので、一応書いてみた。とても親切な方で、愛想よく対応してくれた。(後日談:その1週間後、この旅行記を書いている途中、その長崎駅の方から電話があり、『1人1枚ずつということで、譲渡できますよ。』とのことだった。)

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