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青春18きっぷで行く、長崎県内JR全線制覇達成の旅・後編

春休みを利用して、管理人が長崎県内で唯一乗ったことが無かった長崎本線旧線(喜々津〜浦上)を制覇する為に実行した旅行です。

 浦上駅で途中下車印をもらい、駅舎を出た。ここは平和公園や原爆資料館などの観光地の最寄り駅で、多くの観光客が歩いていた。タクシーも頻繁に出入している。ちょうど路面電車が浦上駅前を発車していった。

 浦上駅前には、「国鉄浦上駅」というタイトルで、原爆による被害が解説してあった。この浦上駅は原爆の爆心地から最も近い駅で、約1kmの距離にあるそうだ。

 それによれば、1945年(昭和20年)8月9日、その日の浦上駅では物資部、貨物列車の乗務員など、合わせて約70人もの職員が働いており、原爆の投下により生き残ったのはわずか数人で、学徒動員や女子挺身隊もそのほとんどが死亡したという。駅構内には近くの民家から飛ばされてきた破片や死体が転がっており、停車中の貨物列車の車内で死亡していた馬は悪臭を放っていたという。

 その原爆を投下した国は、今も核実験をし続けている。さらに、その国は国際紛争の解決に核兵器を使用する手段しか持たなくなってきている。恐ろしいことに、同国民の多くは「日本に原爆を落としたことが悪いだって?ふざけないでよ。アメリカが原爆を落としたから戦争が終わって日本は救われたんじゃないの。日本はアメリカに感謝すべきよ。」などと主張している。実際、去年の夏に放送されたTBSの特集番組では、広島に原爆を投下したB29爆撃機「エノラ・ゲイ」の乗組員が登場したが、やはり同じようなことを肉親や多くの知り合いを亡くした被爆者の前で堂々と主張していた。

 アメリカってそんな国なのか。最初は政治家だけがそんなことを口走っているのかと思っていたが、国民までもがそんなことを・・・。そんな国に寄り添っている日本は一体何を考えているのだろうか。そのうち、日本はアメリカの属国となってしまうのではないだろうか。おそらくこの意味ではないと思うが、かつての韓国の大統領が「日本という国は、21世紀のうちに無くなってしまうだろう。」と発言したらしい。その発言は、アメリカという国の存在を考えると、まさにその通りになってしまうのではなかろうか。いや、アメリカの基地が日本中にあることでさえ、もう属国と呼べるかもしれない。ただ、「日本」「ニッポン」「JAPAN」という国が名前だけ世界地図に載っているような状況なのかもしれない。

 歩道橋の階段を上る時も、路面電車の撮影場所を探している時も、そんなことを考えていた。

 61年前、この道路の延長線上の上空で、原爆が炸裂した。今はこの下で走り回っている路面電車も、一瞬で吹っ飛んでしまったという。だが、路面電車は原爆で身も心も傷ついた市民を勇気付けた張本人であることもまた事実だ。実際、広島、長崎はどちらも原爆が投下された都市だが、路面電車保有台数もそれぞれ第一位、二位である。広島の場合は、原爆投下後3日で唯一残った変電所を利用して、市民、職員総出で一部区間の運転再開を果たしている。歩道橋から見えたこの長崎の街も、路面電車、さらにはそれを支えてきた市民のおかげでここまで復興できたのだと思う。

 さて、時間は約15分と限られている。高頻度運転を行っている為、結構様々な車種の電車がやってきた。

 駅舎を撮影して・・・

 駅に再入場した。ちょうどキハ66系の国鉄色が発車していった。駅のホームでは菜の花が咲いていて、太陽の光に輝く黄色がとても綺麗だった。数分後、その向こうから青い車体のキハ66系諫早行きが入線した。

 電化された新線はショートカットされた代わりにトンネルばかりなので風景が楽しめないが、この旧線は桜の木やみかん畑、青い海が車窓を彩っている。古い木造駅舎もいくつか残っており、なかなかいい路線だった。

 やがて列車は喜々津駅に到着。この時点で長崎県内のJR全線制覇は達成した。駅の隣にある工場では、何やら忙しそうな機械音が響いていた。喜々津駅には途中下車印が無いので、代わりに改札印を押してもらった。駅舎は木造駅舎で、駅前は小さな商店街となっていた。

 鳥栖行きが入線する10分前に再入場。待っている間、783系と817系がやって来た。

 そして上りの鳥栖行き817系が入線した。車内は空いていて、右側の座席を確保できた。諫早では数分間停車。デジカメの電池を買う為にホームのキヨスクに行き、すぐに車内に戻った。

 諫早では多くの高校生が乗ってきて、車内は賑やかになった。しかし、駅に停車していくうちに彼らは次第に降りていき、小江駅まで来ると静かになった。

 車窓には雲仙普賢岳が見えた。私の前の席に座っていた男性の撮影していたので、私も撮影した。

 佐賀県に入った。肥前大浦駅では竹崎カニの大きな看板が設置してあった。

 肥前大浦を出ると、電車は蛇行運転をしながら有明海沿いの長崎本線を進む。車内に高校生の姿は無かったが、小学生や旅行者、高齢者などが乗っており、各所各所からちょっと賑やかなおしゃべり声が聞こえてきた。

 有明海。佐賀県といえば・・・と言われるほどに有名な海だ。この近くでは珍しい海産物が“かつては”“たくさん”獲れていたそうだが、近年はあまり獲れないという。この問題はしばしばテレビでも取り上げられ、ドラマにもなったが、やはり最大の原因は諫早湾の堤防締め切りだと思う。これにより有明海の潮の流れが変わり、有明海の環境が激変したと学者達が主張している(写真は飛行機から撮影した諫早湾。手前の水が濁ったような部分の内側が干拓地)。

 この事業は、「干拓」と呼ばれる工法で陸地を造成するもので、有明海の大きな潮の満ち引きの差を利用するものだ。これもやはり国が推進している事業で、当初は「農地を増やす」ことが目的だったそうだが、米の生産調整で逆に農地が余るようになり、結局今は防災に役立てるだの何だのとこじつけ、既に当初の目的は崩れ去っている。それならば必要ないのではないだろうか。今まで諫早市付近で発生した大災害は、市内の川が氾濫したことぐらいしか聞いたことがないし、あれだけおだやかな海だから、諫早湾周辺で何か大きな災害が起こるとは思えない。あるとすれば高潮ぐらいだ。それに人口居住地を守ると言うのならば、湾内を埋め立てるほどに大規模な堤防を造る必要があったのだろうか。

 「当初の目的が崩れ去った事業」といえば、実はあの長崎新幹線もそうである。もともとこの計画は「鉄道による高速化」を目的としていたが、長崎空港が開港し、羽田や大阪から多くの飛行機が乗り入れるようになってその目的は崩された。結局今の佐賀県の古川知事や長崎県の金子知事は「西九州全体の発展」「高速交通体系の整備」という“こじつけ”の目的を主張している。しかし、西九州全体の発展と言う割には、結構地域格差が大きい。長崎本線沿線の鹿島市や太良町は何の恩恵も無いし、むしろマイナスである。新幹線建設に同意した白石町や太良町には1億円以上の補助金を出したが、反対し続けている鹿島市には何の補助金も出さず、地元農家が十年以上前から進めていた事業への出資も中止した。同意すれば補助金・・・。はっきり言って古川知事は卑怯で汚いと思う。同意した2町もカネに釣られた魚である。新幹線や道路を造るよりも、地元農家の方が作った果物や野菜で全国の人々に喜ばれた方がどれだけためになるだろうか。道路を造れば造るほど、後々の整備費や補修費に莫大なお金がかかってしまう。その辺りの将来性を全く見据えていないのが、官僚出身の古川知事なのである。

 さらに言えば長崎県も北部はほとんど効果が無い。在来線で充分だからである。しかも、短縮効果は長崎まででも現在の最速在来線特急と比べてもたった28分で、佐賀県内に至っては嬉野を除いてたった5分である。それなのに「高速交通体系の整備」などと主張しているのだから、いかに新幹線推進派の主張がこじつけであるかが分かる。

 そして、その新幹線の犠牲になるのはこの長崎本線や沿線住民、そしてこの有明海の車窓である。思うのだが、新幹線で「佐賀らしさ」を感じることはできるのだろうか。できるはずがない。新幹線から嬉野のお茶畑は見えるのだろうか。新幹線から有明海は見えるのだろうか。どちらも見えるはずがない。長崎本線はどうか。有明海が見える。沿線住民が大切にしてきた古い駅舎が見える。「日本一の消防団加入率」を誇る佐賀県民の人情に接することができる。畑仕事をしている農家の人たちが見える・・・。新幹線はそんな佐賀県の風景を全てぶち壊してしまう。

 新幹線ができれば何とかなるという考えはもはや古い考えだ。今そのようなことを主張していると、風刺漫画家のネタにされるだろう。しかし、実際にこの県知事らはそのようなことを未だに口走っている。佐賀県に住んでいながら、彼らの主張は高度経済成長期の考えと全然進歩していないというところがおかしくてたまらない。

 あれこれ考えているうちに肥前鹿島を発車していた。車内は再び乗客が増えてきて、私の後ろの座席にもおばさんが座った。ちょうど肥前竜王駅を撮影していた時だった。

 そのおばさんが、

「あんた、よかカメラ持っとーやんね(いいカメラを持っていますね)。」

と聞いてきた。でも、私が使っているデジカメは家族兼用なので、

「いえ、これは家族兼用のものです。」

「風景ば撮いよっと?(風景を撮っているのですか?)」

「はい、そうです。」・・・・

という話をしてから、人付き合いの方法について色々と話したり、電波塔の話題になったり、佐賀市内の街の汚さでは「私もそがん思うよ(そう思います)。」と意見が合ったりして、鍋島までずっと話していた。そのおばさんは鍋島で降りたが、別のおばさんが乗ってきて、今度は私の隣に座った。そして、そのおばさんは補助席に座っていた女子高生を見て、

「あれはどこの高校でしょうか。」

と聞いてきた。

「私は中学校を卒業したばかりなのでよく分からないです」と言うと、

「あぁ、てっきり大学生て思うとったよ(大学生だと思っていました)。」

と言われた。私はその姿から、しばしば年齢より大人っぽく(老けて)見られる。

おばさん:「どこの高校に行くと(どこの高校にいくのですか)?」

私:「県立―――高校です。」

おばさん:「へぇ〜、すごいねぇ。がんばってね。」

 私が進学する予定の高校は、確かに佐賀県内でも上位に位置するのだが、その驚きようが凄かったので、こちらもびっくりした。

 ちょうど話し終わったところで佐賀に到着した。おばさんと別れてホームに降り立った。青春18きっぷには4つの下車印が押されている。明後日からは東京へ旅立つ。また下車印が増えるだろう。東京旅行に想いを馳せて、この「青春18きっぷで行く、長崎県内JR全線制覇達成の旅」は幕を閉じた。

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