ローカル線で行く、鹿児島往復日帰りの旅

ローカル線で行く、鹿児島往復日帰りの旅A

今や九州北部から鹿児島に行くには、新幹線や飛行機を使うのが当たり前。今回、私はそれにあえて逆らい、全行程を全てローカル線で日帰りするという無謀な旅行を実行しました。

 到着後、早速鹿児島駅前で路面電車の撮影を開始した。ちょうど櫛形ホームの3線全てに電車が入っていた。  

 反対側の乗り場に移動して、最新型の1000形「ユートラム」を撮影しようとしたところ、ちょうど運転士さん2人が電車の前で雑談をしていたところだった。私は運転士さんのいた方が路面電車の終点らしくて良かったのだが、運転士さんたちは自ら移動した。少し申し訳なく思いながら、ユートラムを撮影した。

 今日はよく晴れていたが、障害物が多くて桜島はよく見えなかった。

 時間が無くなってきたので、鹿児島駅舎を撮影してから、そのユートラムに乗った。座席は全て埋まっていたので、立つことになった。朝日通電停で下車し、路面電車の撮影場所を探した。相変わらず、右翼の街宣車が列を連ねて行進していた。それぞれの人の思うことは自由なので、右寄りの発言をすることは否定しないが、街のど真ん中で大音量のスピーカーで放送するという行為をされると、非常に迷惑である。むしろ、市民の反感を買っているだけではないだろうか。

 撮影場所を探すが、なかなか見つからない。桜島とともに撮影しようとも思ったが、ビルや電線で通りからは全く見えない。仕方がないので、いづろ通電停付近で撮影することにした。

 再び時間が迫ってきた。やはり、ローカル線で鹿児島までの往復は無謀であった。道路中央のいづろ通電停のホームに行き、次の鹿児島中央駅前方面行き電車を待った。しばらくすると、ユートラムがやってきた。ちょうど山形屋(やまかたや)デパートのおしゃれな建物のそばだったので、それとともに撮影した。

 その電車に乗って、鹿児島中央駅に戻る。

 電車がしばしば警笛をならした。右折する自動車の軌道内進入である。電車が近づいているにも関わらず、どうして軌道内に入ろうとするのか分からない。鹿児島でも長崎でも、右折車は軌道外待機になっているはずなのに・・・と、疑問に思う。

 鹿児島中央駅前で、少し電車の撮影をした。桜島とともに撮影しようと試みたが、やはりビルに阻まれたので、断念した。なので、電車の撮影に専念することにした。

 次の川内行きが発車する3分前に、改札口を通過してホームへ。向かい側のホームにちょうど国分行きの717系200番台が停車していた。717系は475系急行形電車の改造で、2両編成で活躍している。

 一方、これから私が乗る川内行きは817系で、少し残念だった。長崎本線で嫌と言うほど乗っているし、やはり車内が良くない。この電車で通勤通学しているクラスメートに聞いても、座席が硬いという声をよく聞く。また、1000番台のことだと思うが、ドア付近に湾曲した手すりを採用している車両もあり、これには手すりが邪魔だし持ちにくいという批判がある。

 電車は14:22に鹿児島中央駅を発車した。発車してすぐ、窓越しに475系が見えた。キハ28・58形同様に、去就の注目される電車である。今年の夏に国鉄色に乗ったが、ぜひもう一度乗ってみたいものだ。

 電車は、山あいの路線を蛇行しながら進む。あまりの勾配に、モータは唸ってばかり。その音が甲高いだけに、余計苦しんでいるように聞こえた。

 電車は15:14に川内駅に到着。続いて、肥薩おれんじ鉄道のホームへ。女性の駅員さんに「どこが楽しかったですか」と聞かれたので、ウソを言うわけには行かず、「いえ、鹿児島まで行っていたもので、このあたりは周っていません」と答えた。本当は時間があれば、散策したかったのだが・・・。しかしながら、8月に立ち寄った日奈久温泉駅での出来事(「制服でGO!熊本大学オープンキャンパスの旅」参照)や往路でのマナヅルの件といい、肥薩おれんじ鉄道の対応は非常に素晴らしいと思う。会社自体は非常に苦しい経営を強いられているが、お金ばかりに目を向けていては、良い会社になれない。肥薩おれんじ鉄道は、“公共交通機関”の鑑であると言えるだろう。

 次に乗る列車は、出水行き。祝日であるためか、車内にはわずか4人しか乗っていなかった。

 陽がだんだん西に傾いてゆく。東シナ海に日光が反射し、とてもきれいだった。

 出水平野を走行中、列車の速度が落ちた。運転士さんがマナヅルを発見したのだろうか、と思ったが、いなかったらしく、そのまま加速した。マナヅルは見られなかったが、運転士さんの心遣いには感謝である。

 出水駅で、新八代行きに乗り換えた。

 反対方向の川内行きには、イベント車両のHSOR−150形が運用に就いていた。車体には、沿線のイベントが描かれていた。

 新八代行きは2両編成で、2両目は何と無人だった。

 夕日があたりをオレンジ色に染めた。

   通学の女子高生が数名、それに試合で遠征していたものと思われる野球部が大量に乗り込んできたため、最初は無人だった2両目は一気に賑やかになった。太陽が沈んだ頃、列車は再び海のそばを走るようになった。もう少し遅く沈んでくれたら、もっと良い風景だったろうに・・・と、定時帰宅の上司の愚痴を言う。

   列車は、八代駅に到着した。

   集札をしている駅員さんが、先ほどの野球部のメンバーに「試合はどうでしたか」と尋ねたところ、その一人は笑顔で答えていた。鉄道は、お客さんを選べないが、心では良いお客さんに乗ってもらいたいに決まっている。そう言えば、肥薩おれんじ鉄道車内には落書きも傷も付けられていなかった。こうしたお客さんに利用される肥薩おれんじ鉄道は、幸せ者である。長崎本線をはじめとするJR線の場合、窓枠には相々傘が彫られていたり、白い塗装の部分に何かが書かれていたりと、信じられないことをする乗客がいる。同じ九州なのに、どうしてここまで乗客の“質”が違うのか、と思うと、非常に残念である。

 JR駅舎に移動し、売店で夕食を買っていたら、時間がなくなり、会計を済ませて慌てて改札を入ったが、わずかの差で熊本行きに乗り遅れてしまった。熊本では、路面電車の撮影を予定していたが、これでは撮影できない。しかし、熊本以北に行くには、次の銀水行きしかないので、撮影を諦めればよいのであるが・・・。

 18:03に815系銀水行きが入線した。

   ドアが開いてすぐに乗ったので、座席にはありつけたが、ロングシートなのが辛いところである。熊本駅前後で乗客が一時的に増えたものの、その後はだんだん少なくなっていった。大牟田駅で、813・811系赤間行きに乗り換えた。クロスシートの座席に座ったとき、あまりの気持ちの良さに驚いてしまった。

   813系は各駅停車で、途中の瀬高駅と荒木駅では特急待避を行った。その間、私は途中下車して、駅舎の撮影へ。クリスマス前ということもあり、どちらの駅でもイルミネーションに彩られていた。  

   鳥栖駅で一旦途中下車した後、すぐに入場し、817系の肥前山口行きに乗った。車内のクロスシートには座ることができたが、やはり813系の方が良い。吉野ヶ里駅で特急待避を行い、佐賀駅には21:17に到着した。すると、ホームで待っていた人の中に、何と私の祖母と伯父伯母が・・・。これには驚いた。しかも、乗る電車だけでなく、乗るドア、降りるドアまで一緒だったという偶然・・・。当然ながら、向こうも驚いていた。しかも、後ほど判明したことであるが、先ほど追い越された特急に乗っていたというのである。

 旅の最後に訪れた偶然の出来事。多くの時間を閉ざされた空間で過ごす新幹線や飛行機とは違い、一駅ごとに出会いがあり、別れがある鈍行列車では、こうした出来事がいくらでもある。“一週間後の今頃”は、私は誰と時を共にしているのだろうか。

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