制服でGO!熊本大学オープンキャンパスの旅A

熊本大学のオープンキャンパスに行った時の旅行記です。当然ながら、高校の制服でした。

 13時前に熊本大学の構内を出て、バス停へ。熊本大学前バス停は、多くの人が並んでいたので、一つ手前のバス停まで行った。そこには、私と同じ考えの人が何人かいた。ここを通過するバスの本数は多く、市営バスと産交バスを合わせると1時間に10本は走っていた。まもなく、交通センター行きの市営バスがやってきた。車内はいくつかの座席が空いていて、そのうちの一つに座った。

 次の熊本大学前では、やはり多くの人が乗ってきて、車内はあっという間に満員に。荷物を置くスペースも無いくらいだった。私の座っている座席の半分が空いていたので、女子高生2人が「ここ良いですか?」と言って、そこに荷物を置いた。

 私が大学のパンフレットを読んでいると、その女子高生達が、

「どこから来たんですか?」

と私に質問をしてきた。

私:「佐賀ですけど。」

女子高生A:「何年生?どこ見に行ったの?」

私:「法学部に行きました。法学部は2年生からだったようですが、『しれーっと座っとけば分からんやろ。』ということで入れてもらいました。」

女子高生A:「へぇ、そうなんだ。B−1教室(※)だったの?」

※法学部の学部説明の教室は2部屋に分けて行われた。

私:「はい、あのゴジラが鳴った部屋です。」

女子高生A:「それなら私達と同じじゃん。私、あの時の質問に答えたの、覚えてる?」

 「あの時の質問」とは、模擬授業の時の小テストで答え合わせをする時に、教授が参加者に答えを聞くために当てていて、この女子高生の方も当てられたようだ。質問の中身は明かせないが、私は記憶に残っていた。

私:「あぁ、あの時の・・・。覚えてます。」

女子高生A:「ところで何高校?」

私:「○○○高校です。県立です。」

女子高生B:「私知らなーい。」

女子高生A:「知ってる、知ってる。めっちゃ頭良いよ。県立なんだぁ。」

女子高生B:「私立みたいな名前だね。」

 という風に、話は盛り上がっていった。「めっちゃ頭良いよ。」という発言には驚いたが、果たしてそうなのか・・・、私自身はそれほどのものではないが・・・と思いながら会話をしていた。話の内容から、その女子高生達は、熊本県内の歴史と伝統のある高校に通っているらしい。色々話していると、電車通りが見えてきた。交通センターは、電車通りから少し離れたところにあるので、私はここで降りることにした。

私:「私はここで・・・。」

女子高生A:「もう降りるの?」

私:「電車で行った方が早いから。」

女子高生A:「そう・・・。またいつか。」

私:「はい。それでは。」

 私は水道町バス停で下車した。信号待ちをしていると、今まで乗ったバスが猛スピードで右折していった。もしかすると、バスの方が早かったかもしれない。それ以上に、あの2人と、もう少し話をしていた方が、楽しめたかもしれない。

 いつ、誰と、どこで会うか分からない。相手のことをよく知っているのならば、また会えるだろう。女子高生は、「またいつか。」という言葉を別れ際に言ったが、それがまたできれば本当に良いと思う。しかし、現実はそう簡単なことではない。再開できるのは、物凄く低い確率である。そして、今回出会ったことも、物凄く低い確率から、たまたま出会えたに過ぎない。でも、「またいつか。」と言った女子高生のように、出会っていた時間の長さに関わらず、また会いたい、と人は思う。「またいつか。」が、彼女の本心かどうかは、私には分からないが、私もこの女子高生を含め、今まで旅先で出会った人、とりわけお世話になった人には、また会いたいと思う。お礼も言いたい。これから先、どれだけの人に再会できる機会があるかは分からないが、それは運命だけが決めることである。

 さて、水道町電停からは、熊本市電に乗って熊本駅へ向かう。遠くから、派手な装飾をした「火の国祭り」の花電車がやって来た。花電車を見たのは、初めてである。

   熊本駅・田崎橋行きの1200形1202号車がやって来た。しかし、車内は満員だったので、次の電車で行くことにした。次の電車も熊本駅・田崎橋行きの1200形で、こちらは1203号車だった。車内は空いていて、座席に座ることも出来た。

 床や窓枠は木製という古い車両だったが、個人的にこういう電車は好きである。電車は、熊本市内の大通りを停まったり曲がったりしながら進んで行く。

 13:40頃、熊本駅に到着した。駅舎に入ると、改札越しに青い車体の車両が停まっているのが見えた。「はやぶさ」だ!急いで改札に入り、「はやぶさ」が停まっているホームへ。車内では、清掃作業が行われていた。どうやら、2時間ぐらい遅れて到着したらしい。台風の影響か、それとも今朝の鹿児島本線の遅れが影響したのか。それは分からないが、それにしても運がよかった。

 早速先頭車の撮影を行った。

 工事現場の横で、幅が狭かったので、撮影後すぐに戻った。客車では、方向幕の変更作業が行われていた。すると、何と今は廃止になった「急行安芸」や「急行日南」などの方向幕が表示されたのだ。寝台特急全盛期の名残が、こうして残っているのである。下の写真は、全て「ソロ」の車両で表示されたものである。

 その後、「はやぶさ」は川尻の車両基地へ回送されていった。私も同じ方向に向かう後続に815系に乗って、八代駅へ。八代駅では、一旦JR改札口を出て、飲み物やおにぎり、新八代―鳥栖間の自由席特急券を買った後、肥薩おれんじ鉄道の駅舎へ。

 おそろいのシャツを着た肥薩おれんじ鉄道の駅員さんたちは、利用者一人一人に「こんにちは。」と挨拶をしていた。きっぷを買って、今さっき入線したばかりの隈之城行きのHSOR−100形に乗った。車内は空いていて、ボックスを独り占めできた。

 列車は、帰宅する高校生や主婦を乗せて、15:10に八代駅を発車。しばらくすると、肥薩線と分かれ、球磨川を渡った。

   15:23、日奈久温泉駅に到着した。時間の都合上、ここには7分だけ滞在し、そのまま折り返すことにしている。

   日奈久温泉駅は有人駅で、50代ぐらいの女性の方2人が出改札業務を行っていた。すぐに折り返さなくてはならないので、早速帰りのきっぷを買おうと、窓口に行った。

私:「すみません、八代までの片道乗車券をお願いします。」

駅員さんA:「あら、もうお帰りになられるのですか?」

私:「はい、次の新八代行きで戻ります。今日は熊本大学でオープンキャンパスがあったので、肥薩おれんじ鉄道に乗るために、少し足を延ばしてみました。ちょっと時間が無いので。」

 もう一人の駅員さんが、事務室に戻ってきた。

駅員さんB:「何だって?」

駅員さんA:「時間が無いからもう帰るんだって。乗りたかったから来たらしいのよ。」

駅員さんB:「あら〜、もっと居ればいいのに。」

駅員さんA:「それにしても凄い汗。ちょっと待っててね。梅ジュース持ってくるから。」

 事務室の奥のほうにいた、もう一人の駅員さんBが、ジュースを出す為に、奥の部屋に行った。その間、私は、

「ちょっと駅舎を撮影してきます。」

と言って、駅舎を撮影した後、

すぐに窓口の前に戻った。ちょうどジュースが運ばれてくるところだった。

駅員さんA:「はいどうぞ。」

私:「ありがとうございます。・・・甘くておいしいですね。」

 この梅ジュースは、氷が入っており、きゅっと冷えていて、とてもおいしかった。

駅員さんB:「どこから来たの?」

私:「佐賀です。」

駅員さんA:「佐賀!?実は私も佐賀の出身なのよ。小城(おぎ)というところ。」

私:「小城ですか!この前合併したところですよね。」

駅員さんA:「そうそう。」

駅員さんB:「どこの高校?何年生?」

私:「県立○○○高校の1年生です。」

駅員さんB:「高1で、オープンキャンパス!?偉いねぇ。何学部なの?」

私:「法学部です。」

駅員さんA:「へぇ、凄いねぇ。がんばってね。」

 そういう話をしていると、あっという間に時間が経ち、新八代行きがやって来た。

駅員さんA:「気をつけてね。」

私:「はい、ありがとうございました。」

 そう言うと、私は列車に乗り込んだ。ほんの7分間の滞在だったが、日奈久温泉駅での出来事は、今回の旅行でも忘れられない思い出の一つとなった。肥薩おれんじ鉄道の接客サービスは、九州一だと私は思う。それは、私がジュースを頂いたからだけではない。利用客への挨拶、綺麗に掃除された駅舎など、利用客が少しでも気持ちよく利用できるように、という社員の気持ちが表れていた。私の「凄い汗」を見て、すぐに飲み物を用意してくれた駅員さんには、大感謝である。現実問題としては、肥薩おれんじ鉄道の経営は厳しい。しかし、お金の行方だけを考えていては、どうしてもサービスの低下を招いてしまう。そういった点では、肥薩おれんじ鉄道は、鉄道会社の鑑とも言えると思う。確かな証拠は無いが、これだけの積極的なサービスを行っているのだから、地元の人々にも相当愛されているに違いない。肥薩おれんじ鉄道には、永遠に走り続けてもらいたいものである。

 八代駅では、十数分停車。その間、JRの運転士に乗務が引き継がれた。終点の新八代駅には、15:56に到着した。新八代駅では、新幹線の駅舎を撮影した後、

「リレーつばめ」に乗るために、新幹線・在来線特急乗り場へ。787系「リレーつばめ52号」は、既に入線していた。自由席は、禁煙席でもガラガラで、好きな座席に座ることが出来た。発車3分前に、800系「つばめ52号」が入線した。800系には、まだ1回しか乗ったことが無いので、いつかまた乗りたい列車の一つである。

 新幹線の乗客が乗り換えを始める前に、自由席車内に戻った。その後、自由席車内はあっという間に満席になり、私の隣にも大学生グループの一人が座った。自由席が9割ほど埋まったところで、16:06、列車は新八代駅を発車した。

 次の熊本では、多くの人が乗ってきたので、客室内まであふれた。ワゴンサービスを行っていた客室乗務員も、「ワゴンサービスを行いません。」という放送を行っていた。列車は、上熊本や玉名、瀬高などに停車するタイプで、速達タイプよりも長く列車に乗ることが出来た。

 17:33、列車は3分遅れて鳥栖駅に到着した。列車の遅れを詫びる放送は無かったが、次の乗り換え列車は定刻だと3分の接続なので、こういう時こそ列車が遅れているということを放送して欲しかった。

 最終的に、肥前山口行きの普通列車は、鳥栖駅を5分遅れで発車し、佐賀駅には4分遅れで到着した。大学の面白い講義も聞いたし、色々な人と会って話をし、素晴らしい鉄道に乗ることできた。来年はどこのオープンキャンパスに行くかは分からないが、来年もこのような旅ができれば、と思う。  

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