青春18きっぷで行く北海道旅行2003B

12月28日

ここの管理人(当時中学1年)が青春18きっぷを使い一人旅で北海道へ行ったときの旅行記です。

 青函トンネルには23:40頃に入ると車内放送で知らされた。「はまなす」は客車列車だが、青函トンネル内ではぐんぐんスピードを上げていった。途中、車窓がパーッと明るくなった。竜飛海底駅だった。普段は使用されていない。また、トンネル内では、LED表示で北海道の名所を紹介してあった。人間の目の残像を利用したもので、車内からはアニメのように見える仕組みである。

 トンネルを出ると、ついに北海道である。木古内で運転停車をした。車内は静まりかえっている。函館まで起きて機関車の付け替えを見たかったが、疲れでそのまま寝てしまい、起きたのは翌朝5:50頃、新札幌到着の車内放送が行われているときだった。新札幌を出ると、次は終点であり、私の目的地である札幌だ。客車のあのメロディーが流れてきて放送が始まり、終わって5分程度で札幌に6:07定着。約2日に及ぶ長旅だった。

あまりにも朝が早かったので、暇つぶしに、札沼線の篠路まで往復乗車した。元50系客車に動力と運転台をつけたのが、このキハ141である。(下の写真)車内は往復とも、朝早いのにほとんどの席が埋まり、帰りは立ち席となった。ここの沿線は、ベッドタウンから、札幌中心部へ通勤通学の足として利用されているのだ。

 時刻は7時を回った。計画では札幌市営地下鉄に乗ってすすきのまで行き、そこから日本最北端の路面電車、札幌市電に乗って西4丁目まで戻ってくることになっている。札幌市営地下鉄南北線のきっぷ売り場で「すすきの」までのきっぷを買った。きっぷを裏返して見てみると・・・。なんと、裏の磁気が茶色い!今まで磁気券は黒と友人から見せてもらった灰色のものしか見たことがなかったが、裏の茶色いきっぷは始めて見た。

 すすきの駅に着いてから記念にもう一枚買って地上に出た。道は積もった雪が半分溶けて、シャーベット状になり、さらには土と混じって、あのふわふわした感じの雪のイメージはなかった。少しはなれたところに札幌市電の電停があった。行ってしまったすぐらしく、広島や長崎のように頻繁に来るわけでもない。電光表示(あったと思う。)には「まもなく電車が来ます。」と出ていたが、いっこうに電車は来ない。10数分ぐらいしてやっと電車が来た。

 この札幌市電は、アルファベットの「C」のような経路になっていて、あと少しで環状運転が可能・・・というところで止まっている。そのため、私のような物好き以外は全線乗車をしようとする者はまずいない。環状運転する計画があるそうだが、年々利用客が減少しており、それに伴う運賃収入の減少で赤字が続き、市の交通局では廃止も検討しているのだという。もし、この市電を地下鉄に転換しようものならば、今でさえ道が狭い道を拡張しなければならないという大工事になる。できれば、地元住民の足としてもう少しふんばってもらいたいものである。

 札幌の町は碁盤の目のような都市なので、市電が通る電車道もほぼ直線であるが、それに伴いカーブがかなりきつい。立っている人は要注意である。やがて市電は終点・西4丁目に到着。下の写真は、西4丁目電停から撮影した市電の線路と札幌市電の3300形である。

 ここのすぐ北側には、大通り公園がある。大通り公園に行く前に、「二条市場」に寄った。「お土産はカニ」ということだったので、行ってみた。着くと、やはり市場らしく、威勢のよい声が響いている。かにを見ていたら「どちらから来たの?」と声をかけられ「九州の佐賀です」というと、「あの歌で有名な・・」といわれた。余談だが、はなわが歌うあの歌は、一部は事実である。2番にある「鍵をかけるという習慣が佐賀にはない」は、さすがに家族旅行のときはきちんとかけるが、近くまでの用事だったら、開け放したまま出かける。で、そのカニだが、市場で1匹5000円だったのが、おっちゃんから「2匹で8000円!」と言われ、買うことにしたが、鈍行なので佐賀まで今日を含めて3日かかる。なので、宅配してもらうことにした。ほかにも、そのあと、すぐ近くにある「札幌テレビ塔」へ。札幌へ来たなら、ここでしょうといえるくらいの名所である。さっそく展望室へ。展望室で真っ先に見たのが大通り公園である。遠くまでまっすぐのびる公園の横を豆粒以下の自動車が走っている。(下の写真)

 展望室のお土産売り場で、カラーペナント(旅の思い出に買う、あの三角形の旗)と、北海道の形をした金色のキーホルダーを購入。時間になったので下へ降りた。テレビ塔をでると、大学生の観光集団と思われる人たちから「ちょっとこのカメラで写してください」といわれ、テレビ塔をバックに撮影。やはり、札幌といえばここなのだろう。そのあと、少し離れた札幌時計台へ。こちらも、札幌の有名な観光名所のひとつである。到着して驚いたのは、時計台の赤い屋根から伸びるものすごく長いつらら。温暖な佐賀では絶対に見られない光景である。

 時計台は、何度もイメチェンしたらしく、屋根の色が緑っぽくなったこともあったという。札幌農学校の敷地内に建築された当初はすこし離れた場所にあったが、その後移転したそうだ。館内は木の床で、人が動くたびにぎしぎしと音がした。2階には、時計の動力があった。昔は、時計台の鐘がどこまでも響いていたという。

 時間が残り少なくなってきたので急いで目的地である「北海道庁旧本庁舎」へ。

 館内は、北海道の生物の模型(はく製?)やアイヌの人たちの文化が紹介してあった。ここが今回の旅行で一番北海道の文化に親しめた場所でもあった。名前の通り、明治時代に造られた当時は北海道の道庁が置かれていた。建築数年後、火事で屋根は焼け落ちたがレンガは崩れず、そのまま修理されて今に至っている。もちろん、現在は別の場所に道庁がある。

 時刻は11時をまわった。札幌11:44発の快速「エアポート」小樽行きに乗らなければならない。実はこの行程、南から北へと、札幌駅へ近づくように計画していたので、旧道庁舎からはすぐである。行くときは気がつかなかったが、札幌駅は、新しく「JRタワー」が駅ビルと併設されている。そういえばテレビ塔からもよく見えていた。

 札幌駅のホームには、札幌ラーメンの立ち食いぐらいあるだろうと思い、見てみると、なぜか「うどん屋」。九州の小倉でも「とんこつラーメン」がホームにあるのに・・・。仕方ないのでうどんを購入。快速「エアポート」車内で食べた。でも、冷えた体を温めることができ、かなりおいしかった。

 この快速「エアポート」に使用される721系は、JR北海道のカラーである黄緑色を帯に巻いており、その色は山手線の色と似ていた。片側3ドアとなっているが、室内温度保持のため、車内にはなんと3つもデッキが。そのためかなり狭く感じた。しかし、座席はというと、さすが新千歳空港に乗り入れるとあってゆったりとしており、快適だった。

 小樽に着くと、ここからは非電化区間に入る。ちなみに函館や本州から札幌に直通する列車は、あとに開業した室蘭本線と千歳線を経由している。平坦地で、線形もよいためであろう。逆に、この函館本線の小樽〜長万部(おしゃまんべ)間の山間部路線は勾配が連続し、線形も悪く、また過疎地域であるため乗客が少ないために列車本数も少ない。そのため、数少ない列車に大勢の客が乗り込む。大半はスキー客だった。スキー場が沿線に多いためであろう。あっというまに車内は満席になったらしく、私は立つハメに。やがて、キハ150形快速「ニセコライナー」長万部行きが発車した。快速と言っても、実はここから先は各駅に停車する。小樽市街はすぐに途切れ、山の中へ。後ろの運転席の前を取ったので、景色はよく見えた。真っ白な雪に二条の黒いレールが対照的で、カーブなどでは美しい曲線を描いていた。途中の倶知安(くっちゃん)で多くの人が下車した。

この倶知安の近くは、手塚治虫の明治時代初期から中期の北海道を描いた漫画「シュマリ」にも登場し、読んだことがある人は分かるが、漫画に登場する「余市」という地名(駅もあるが・・・)も出てくる。席が空いたので、1列シートのほうに座る。どんどん山奥に入っていくのが分かり、列車は渓谷沿いの川に沿って進む。途中開けたところには集落があり、列車はそれらの集落にある駅に止まる。どこがホームか分からないくらい雪が深く積もっていて、雪国の大変さがよく分かる。ニセコを出ると、ワンマン放送で「次は昆布、昆布です」と放送が。昆布駅の存在は計画時に見つけたもので、ほかにも面白い駅がないかなーと探してみると、京都府の山陰本線には「胡麻」、大阪府の片町線には「放出(はなてん)」という駅も見つけた。やがて列車は昆布駅に到着。いたって普通の駅だったが、駅名が昆布とあって周りの乗客のなかには昆布駅の表示板を記念撮影する人もいた。(私もその一人。ちょっと暗いですが、下の写真が昆布駅の表示板。)

 列車は、終点・長万部に到着。いったん途中下車をして、駅の待合室へ。理由はもちろん寒いから。でも何もすることがないので、そろそろ函館行きの列車が入ってくるだろうと思い、改札へ。駅員さんから「寒いけれども大丈夫ですか?」と言われ「いえ、列車を見ていたほうが楽しいですから。」と言い、再び入った。とは言うもののローカル線なので、構内に留置してあるキハ40形と除雪車以外見当たらず、隣のホームでは、黄色いヘルメットをした保線区の人らしき人たちが、ホームの除雪を行っていた。

 やがて、1両のキハ40・普通列車の函館行きが入線。一番乗りで乗った。酷寒地仕様になっていて、デッキと客室は、壁で仕切られていた。

 車内は国鉄時代からの青いモケットで、すべてクロスシート(ボックスシート)である。発車時刻に近づくにつれ、乗客が次々に乗ってくるが、やはりそれでも少ない。車内が閑散としたまま発車。しかし半分以上の座席に1人ずつ座っている。窓は、冬なので開けられないように固定されていた。北海道は夜明けが早い分、早く日が沈む。すでに発車して数十分でほぼ真っ暗になった。途中の森駅では21分停車した。駅弁の「いかめし」を買おうとしたが、すでにシャッターが下りていた。

 寝台特急「トワイライトエクスプレス」が通過するというので、早速ホームで通過を待った。数分後、緑の車体があっというまに通過していった。森を発車して約1時間30分。ようやく終点の函館に到着した。

 函館といえば夜景である。函館駅を出て、電停へ向かう。途中の歩道で滑りそうになった。注意せねば。私は函館市電に乗り、函館駅前〜十字街まで乗車した。そこから徒歩でロープウェイの山麓駅まで向かう。しかし、その山麓駅までの道が大変だった。急な坂道に、シャーベット状に凍った道。一回滑って、そばのガードレールにつかまって、なんとか体勢を立て直し、前進。数十メートル前を歩いていた男性2人も、途中滑りそうになったり、ガードレールにつかまったりして前進していた。やっとのことで、山麓駅に到着。観光客がたくさん並んでいて、きっぷはすぐに買えたが、ロープウェイに乗るまでに15分くらいかかった。やがて、ロープウェイが山頂から降りてきて、乗客を降ろした後、反対側から乗車。(ロープウェイも鉄道の一種なのでここ「乗車」などの言葉も使用します。)どんどんあがっていくうちに、函館の街が小さくなり、遠くの海では、イカ釣り漁船であろう白いライトがいくつも光っていた。約3分で山頂に到着すると、さっそく屋上の展望台へ向かう。ここにもたくさんの観光客がいて、記念撮影を行っていたが、大変苦労しているようで、私も撮影を試みたが、寒さで手が震えて、足が今にも滑りそうなくらい凍っていた。それにしても、夜景は圧倒されるほどきれいで、さっき降りた十字街電停が小さく見える。しかし、これもすべて電気の明かりによるもの。ここに来て気付いたが、過剰に電灯をつけているところもあり、電気の無駄使いをしているのを、自分たちは見ているということを観光客は心の片隅にでも置いておくことが必要だと思う。

後ろがつかえていたので、いったん降りて、土産店へ。ここでは、蛍光灯に当てると光るハガキだけを購入。降りるときのことを考えて、早めにロープウェイ乗り場に並んだ。3分で山麓に到着。そこからは、さっきの坂道は、もう二度とごめんなので、別の広い道を通り、坂道を下った。電車通りに出て宝来町電停を発見。しかしなかなか電車は来ない。函館の街を通ってみて思ったが、車もまだ21:00ぐらいだというのにほとんど通らず、居酒屋も閉まっているところが多かった。意外と寂れた街だな、と思った。やがて、函館駅方面行きの電車がやって来た。かなり古そうな電車で、後で調べたら710形という昭和37年製の電車だった。

 函館駅に到着すると、五稜郭まで1区間だけだが乗車した。今日の宿は、東日本フェリーの青森行き「びいな」で、船の乗り場はさらに1つ先の七重浜駅が最寄り駅である。だが、駅と港は少し離れており、七重浜にタクシーが常駐しているかも不明なので、タクシーが常駐しているという情報が確認できた五稜郭までJRで行き、そこからタクシーに乗った。これ以上料金メーターが上がりませんように・・・とせつに願いながら、東日本フェリーのフェリーターミナルに22:00頃到着。料金は、思ったより安い1000円ちょっと。料金を払い、かなり広い待合室に入る。(下の写真。奥に窓口が見える。)

窓口へ行って予約していた、函館0:30発の青森行き「びいな」2等船室のきっぷを受け取る。並行する青函フェリーのほうが安いが、青森到着の時間が3:20と、あまりにも早いので、少しの増し料金で青森4:20到着の東日本フェリーを選択した。待合室は広く、テレビもあるので、快適に入船時刻まで待つことができた。写真は乗船券。

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