福岡一周!福岡近郊区間250kmの旅・後編

春休みを利用して近郊区間の特例を使い、友人たちと福岡近郊区間を一周した時の旅行記です。  さて、どうしようかと連絡通路で話していると、窓から運転台の飛び出た列車が入ってきた。車体は赤い・・・。485系!?急いで階段を下りる。N君は485系に特別な思い入れがあるようで、「これは撮らなければ!」と一緒に下りた。方向幕は「特急にちりん 南宮崎」、ヘッドマークも「にちりん」表示だったが、臨時列車ではないようで、どうやら小倉工場からやって来たようだ。早速撮影を開始する。

 よく考えてみれば、5両編成の小倉乗り入れはあるようだが、通常3両編成は別府以南での限定運用だ。その5両編成でさえ日中の北九州でお目にかかることはできない。その点でも非常に珍しい。この485系は13:35〜13:51までの16分間、西小倉駅3番乗り場に停車していた。その後、西小倉駅を小倉工場方面へ向けて発車し、ゆっくりと去っていった。

 その後、私達は日豊本線の上り列車と鹿児島本線の下り列車を中心に撮影した。

 次に乗る列車の5分前にその場を離れ、日田彦山線直通田川後藤寺行きが到着する1番乗り場に行った。まもなく列車は14:20到着し、最初は立ち席となったが城野から座ることが出来た。城野で日豊本線と分かれて単線となり、ジョイント音のリズムが変わった。やがて車窓に石灰石を産出している山が見えるようになり、中には採掘で大きく山が削られた山もあった。

 田川後藤寺には15:12に到着。

 続いて後藤寺線列車に乗り換え。だが、連絡通路途中で残念なモノを見てしまった。何者かによる掲示物への放火である。当然犯人は利用者だ。事件が発生したのは今年3月10日(金)で、心当たりの方は田川後藤寺駅か警察署に連絡して欲しい、というものだった。駅は最も公共性が高い施設であり、利用者も多い。しかもこの連絡橋は古く、発見が遅ければあっという間に焼け落ちていたに違いない。場合によっては駅舎や停車中の車両にまで被害が及んだ可能性がある。つい最近の話では、やはり放火でJR下関駅の古い木造駅舎が焼け落ちた。駅は人々の生活に無くてはならないものであり、それなりに愛着もある。そのような人々の気持ちを踏みにじる犯人を許すことはできないし、絶対にしてはならない行為だ。

 後藤寺線のキハ40形は、切り欠きホームで発車を待っていた。車内は半分ぐらいの席に必ず誰かが座っていたが、4人で1つのボックス席を確保することは簡単だった。発車まで少し時間があるので、車両や車内を撮影した。中でもサボの傷み具合がローカル線らしさを表しており、なかなか良い雰囲気だった。

 ついでに田川後藤寺駅構内も撮影。かつては石炭の輸送で賑わっていたそうだが、今は全てが旅客列車による輸送のみとなり、広い構内が余計に寂しさを感じさせる。

 後藤寺線列車は定刻の15:19に田川後藤寺を発車。途中の列車交換可能駅である下鴨生駅では有名な右側通行をした(写真は進行方向を向いている)。

 通常、列車は自動車と同じく左側通行だが、ここは右側通行となっている。その背景には、かつてこの駅から分岐していた路線があったからだと、何かの本に書いてあった。列車はやがて新飯塚駅に到着した。

   せっかくなので筑豊本線(福北ゆたか線)の電車を1本遅らせて新飯塚駅を見て回ることにした。私はちょっと改札口横のトイレへ・・・。その直後、私はトイレ内の貼り紙に笑えない間違いを見つけてしまった。

煙り探知機作動中

 「煙り」?「り」はいらないんじゃないか?そう思ってよく見ると、「り」のところには薄い色のボールペンで「×」が書いてあった。が、遠くから見れば、明らかに「煙り探知機作動中」と見えてしまう。「煙り」と書くのは間違いではないと思うが、一般的な使用方法では「煙探知機作動中」ではないだろうか。それに木の看板ではなく、普通のコピー用紙に印刷しているのだから、書き直しも容易であるはずだ。どうせならば、誤解が無いようきちんと書き直して欲しい。

 私達は15:55発の快速博多行きに乗って桂川に到着。桂川からは筑豊本線のうち、愛称では原田線と呼ばれる非電化路線に乗車する予定だ。しかし、この区間は非常に列車本数が少なく、1本逃せば日中ずっと待たなくてはならない場合があり、私達と同じく原田経由の福岡近郊区間一周を計画している人々にとっては非常に乗りづらい区間だ。

 到着まで時間があるので、私達は駅舎に併設されている駄菓子屋兼駅売店に行った。他のメンバーは何かしら購入していたようだが、私はあまり腹が減っていなかったので何も買わなかった。

 発車時刻が近づくと、早速原田線の列車が入線する2番乗り場に移動した。そういえばさっきから「変なおじさん」が私達の周りをうろうろしている。新飯塚でも駅ホームの自販機の前で挙動不審な行動をしていた。N君も「変な人だな。」とつぶやいていた。やがてキハ40形単行の折り返し原田行きが入線した。

 この原田行きの前に、博多行き電車が反対側の3番乗り場から発車する。私は福北ゆたか線の銀色の813系を撮影したことが無かったので、それを期待して列車から降りた。その博多行き電車は、希望通り銀色の813系だった。

 撮影後、すぐ車内に戻った。列車は定刻に発車し、しばらく行って篠栗線と分岐した。通学の高校生がたくさん乗ってもいい時間帯だが、車内は閑散としていて、一日数往復という本数の少なさもうなずける。

 乗客たちは駅ごとに降りて行き、変なおじさんは筑前内野駅で下車した。筑前山家駅には有名な元西鉄北九州線の路面電車が展示してあった。

 17:02、原田に到着。時間があるので、原田駅の外に出て駅舎を撮影したり、持ち帰り自由のチラシをもらったりした。

 時刻表を見ると、上り「はやぶさ」を撮影できるようだ。せっかくなので上り「はやぶさ」を撮影することにした。上り「はやぶさ」はちょうど私が予想していた時刻に原田駅を通過していった。

 この後は羽犬塚行きの快速に乗り、17:58発の早岐行きの813系300番台に乗車して佐賀に帰った。

 佐賀駅では、ちょうどNHK佐賀放送局の夕方の情報番組「さがん情報市」の一コーナーである「聞かせて駅マイク」の収録が始まろうとしていたところで、スタッフが「今から収録を始めますのでよろしくお願いしまーす。」と利用者に呼びかけていた。いつの間にか、柱には「NHK佐賀 ロボットカメラ」なるものが設置されていた。

 時々テレビで見るこのコーナーはこんな裏舞台があったのか。なるほど。ちなみに私は「みどりの窓口」に用があったので、その際に映ったかもしれない。

 そしてその日の夜、I君は寝台特急「あかつき」のB寝台に乗って、兵庫県へ帰っていった。

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