「あそ1962」で行く、夏の阿蘇旅行

青春18きっぷの残り1日分を使用して行った旅行です。  今年の夏は、様々な所に行った。宮地岳線やSLにも乗った。九州内と山口県内のJR路線を全線制覇するという記念すべき夏でもあった。

 これらの旅行は、大部分の行程で青春18きっぷのお世話になった。もし、このきっぷを使っていなかったら、旅費だけで軽く数万円は超えていただろう。青春18きっぷは本当に役に立つきっぷである。さて、今夏に使った青春18きっぷも、ついに「5回(日)」の欄に日付が押印される日がやって来た。この旅は、今年の夏の締めくくりとして実行した、私の、今夏最後の長距離旅行である。

 2006年(平成18年)8月20日(日)の朝、私は弟の声で目が覚めた。去年の大地震で机から落下して外側のプラスチックが歪んだままになっている時計を見ると、ちょうど午前6時30分を表示していた。

やばい!

 気がついたときには、ゼイゼイ言いながら佐賀駅のホームに居た。ちょうど下りの寝台特急「あかつき」が入線したところだった。察しの通り、寝坊したのである。言い訳になるが、前の日に模試があり、それを思い出さないように、とその日の夕方に寝て以降、なんとそのまま寝続けて、起きたのが午前6時30分だったのである。だから、前の日は夕食を食べていないし、今朝も朝食を食べずに出てきた。でも、2食も抜いて自転車でここまで来れた。いざという時は、腹が減っていても、力は存分に出るらしい。

 今日は、「あそBOY」の跡を引き継ぎ、今年7月に運行を開始した「あそ1962」の乗車がメインの目的である。この他、田原坂駅、肥後伊倉駅への訪問、立野橋梁での撮影、南阿蘇鉄道制覇を行う予定である。  旅の始まりは、この前の旅行でも利用した佐賀6:55発の415系8連博多行き。車内は空いていて、座席は好きなところを選ぶことが出来た。私は、前よりの1500番台に乗車した。

 電車は、中原駅まで順調に運行を続けた。中原駅では、特急先行のために数分間停車。しばらくすると、885系「かもめ」がやって来た。しかし、「かもめ」は中原駅を通過するはずなのに、減速してついに停車してしまった。何だろう、と思っていると、車内放送が流れてきた。

「ご乗車の皆様にお知らせ申し上げます。今朝、6時30分頃、原田―天拝山間で人身事故が発生し、鹿児島本線が混みあっております。そのため、この列車はしばらく停車いたします。お急ぎのところ、大変申し訳ございません。」

 予定では、鳥栖で2分間の接続で「リレーつばめ」に乗って久留米まで行き、そこで先行待ちを行っている各駅停車に乗ることにしていたが、鹿児島本線自体が遅れているので、この時点で計画が狂ってしまった。中原駅では、20分ほど停車し、15分遅れで発車した。次の肥前麓駅でも3分間停車し、結局鳥栖駅には18分程遅れて、7:43頃到着した。しかし、鳥栖発熊本方面行きの列車はほぼ定時運行だったらしく、鳥栖到着前に7:42発の八代行きが発車してゆくのが見えた。鹿児島本線下り列車が発着する5・6番乗り場へ。こちらの遅れ方はひどく、7:19発の熊本行きは、未だ到着していなかった。

 ホームの売店で、デジカメに使う単三電池と朝日新聞を購入。実は、この日の朝日新聞声欄に、私の投稿が掲載されいたのだ。この数日前に、朝日新聞の担当者の方から投稿内容の情報源の照会とともに、20日の「若い世代」に掲載するという連絡をいただいたので、実際に購入してみたら、本当に載っていたのである。ただし、今回の内容は長崎新幹線関連ではない。新聞を買った直後、定刻ならば7:19発だった熊本行きの415系1500番台が約30分遅れで入線した。

 車内の座席に座っていると、

「当列車は、次の特急列車を先行させてからの発車となります。」

という車内放送が流れてきた。この電車に乗っても、「あそ1962」の乗車には間に合うかもしれないが、田原坂駅と肥後伊倉駅の訪問ができない可能性がある。今回は夏休み最後。少なくとも、当分の間熊本方面に行く機会はないだろう。そう思って、特急「リレーつばめ」に乗り換えることにした。駅の放送では、久留米行きの各駅停車が運休することを伝えていた。

 入線したのは、有明編成4連2編成の8両で、通常の編成とはかなり違っていた。どうやら鹿児島本線のダイヤの乱れで、車両の運用にも影響が出たらしい。しかも、本当の編成だったら、グリーン個室やDXグリーン席が設置されているはずである。おそらく、それらの設備を利用するはずだった人には、払い戻しが行われたはずだ。ただ、列車のダイヤはほぼ定刻だった。

 車内は空いていた。

 車内販売のワゴンがやって来た。今回は資金に余裕があるので、携帯ストラップ(JR九州特急列車版・700円)を(携帯は持っていないけど)買った。私は、各停車駅で、先ほど見た7:42発の八代行きを探した。この電車に乗れば、少なくとも田原坂駅と肥後伊倉駅を訪問できる見込みがあったからである。そして、瀬高駅に停まっているのをついに発見。早速乗り換えた。

 大牟田駅では、5分停車するそうなので、途中下車した。ついでに、先ほど利用した特急の特急料金と運賃を払った。金額が1000円を超えてしまい、大きな痛手になった。次の荒尾駅でも、貨物列車先行のために5分程停車。飲み物を買うために途中下車し、用を済ませると、すぐに戻って貨物列車を撮影した。

 9:09、田原坂駅に到着した。田原坂駅は、肥後伊倉駅より熊本寄りにあるが、田原坂駅は一部の普通列車が通過してしまうため、一旦南下して田原坂駅まで行き、再び肥後伊倉駅まで戻って、再び南下することにしている。

 田原坂駅の駅舎は、お世辞にもきれいに整備されているとは言えず、くもの巣も張っていた。外観はレンガ風なのだが、内部にベンチはなく、ただコンクリートの大きな箱が置いてある、と言っても過言ではない駅舎だった。

 「田原坂」と言えば、西南戦争最大の激戦地で有名だが、駅がある場所は、戦闘が激しかった場所からは少し離れているそうだ。駅には案内板が設置されていた。

 肥後伊倉駅に戻る為に上りホームで電車を待っていると、鳥栖駅で1回乗って乗り換えた各駅停車の熊本行きがやって来た。つまり、時間的に特急列車に乗った意味は無かったということである。

 収穫があったのは、途中下車印2個だけ・・・。途中下車印2個と千数十円・・・。秤に載せるには、圧倒的に後者のほうが重たい。仕方ないと思えば仕方ないのだが、あの時の選択が間違っていなければ・・・と今でも悔やまれる。

 熊本行きが発車してから15分後、大牟田行きの815系が入線した。

 先頭車で、前方風景を“注視”する。次の熊本行きが行ってしまうと、玉名駅からまた特急で追いかけなければならないからだ。幸い、熊本行きとすれ違うことなく、肥後伊倉駅に到着した。

 駅舎の外観は古さが伺えたが、内部の天井の板は、新しいものに張り替えられていた。駅舎側のホームでは、花が栽培されていて、古い駅舎とよく合っていた。

 9:46、定刻より二十数分遅れて、熊本行きの811系三井グリーンランド編成が入線した。

 車内は大勢の立ち席者が出るほどの混雑で、私は立つことになった。

 ここである重大なことに気がついた。熊本駅における「あそ1962」との接続時間は、20分。20分以上遅れているということは、間に合わないということである。回ってきた車掌さんに質問してみたが、

車掌さん:「大変申し訳ございませんが、おそらく間に合わないと思います。次の植木駅でも待ち合わせを行いますので、接続は難しいと思われます。」

私:「指定券の払い戻しは大丈夫なのですか?」

車掌さん:「それはできます。列車が遅れていますので。」

 さあ困った。最大の目的が実行できないと言うことは、根本的に計画を練り直さなくてはならない。熊本で観光をするか、早めに佐賀に戻るか・・・。色々と考えてみたが、「もしかすると、あそ1962は数分の遅れならば待ってくれるかもしれない。」というかすかな望みに託すことにした。

 植木駅では、数分間停車するということで、一旦車外に出て、駅名表示板を撮影した。

   電車は植木駅を発車すると、西里、崇城大学前、上熊本と停車。上熊本駅発車後に、熊本駅からの乗り換え案内が行われた。すると、

「宮地行きの『あそ1962』は、発車時刻を過ぎて0番B乗り場にて停車中です。」

という放送が何よりも先に行われた。良かった、これで計画通りになる。指定券も無駄にならなくて良かった。もしかすると、蒸気機関車牽引の「あそBOY」のダイヤを引き継いでいるだけに、ある程度の遅れは許容範囲なのかもしれない。

 熊本駅に着くと、私は急ぎ足で0番B乗り場へ。キハ28・58形「あそ1962」は、ちゃんと待っていた。車掌さんは、列車から出たり入ったりしながら、乗り換え客の様子を伺っていた。

   指定された座席は、後ろ寄り2号車の一番最後部の片側ボックスの席だった。残念ながら、窓は戸袋窓のところで、開閉することはできなかった。

   発車を待っていると、

「只今、信号待ちを行っております。発車までしばらくお待ち下さい。」

という放送が流れてきた。どうやら、列車が待っていてくれた背景には、このこともあったようだ。

 10:25頃、列車は定刻より14分遅れて熊本駅を発車した。発車後、車内放送が開始された。客室乗務員からの放送では、始まるときにオルゴールの車内チャイムも鳴らされた。放送は、新水前寺駅までほぼ途切れることなく続いた。熊本市外を抜けると、車窓には田園風景が広がるようになった。

   「あそ1962」には、客室を改造して設置された駐輪スペースが1両ずつに設置してあり、特別なきっぷを購入すれば、熊本駅と宮地駅で自転車の積み込み、積み下ろしをすることが出来る。しかし、この日は天気がやや悪かった為、積み込まれていた自転車は、2両合わせて1台しかなかった。  この日は、全車満席という放送が行われていたが、ところどころに空席があった。ちなみに、私の席とは通路の挟んで反対側にある座席には、話していた言語から韓国人と思われる若い男性2人組が座っていた。「あそ1962」は、韓国でも有名なのだろうか。

 途中、木製の籠を持った客室乗務員さんが回ってきた。どうやら、飴玉のサービスらしい。  光の森駅発車後に車内販売が開始された。ワゴンサービスではなく、2号車(熊本寄り)の駐輪スペースの一角にある販売コーナーまで行かなければならない。販売コーナーとはいえ、カウンターがあるわけではなく、客室乗務員さんが手渡しでゴム入りのアイスクリームやラムネを販売していた。私は、ビン入りのラムネ1本(150円)と「あそ1962」マークのバッジ(300円)を購入した。座席に戻って、ラムネを飲もうと頭の部分を開封した。下の写真は、記念スタンプやバッジとともに写したもの。

 ビン入りのラムネを飲むのは、何年ぶりだろうか。口のところにはまっているビー玉を凸型の栓で強く押してビー玉が「カラン」という音を立てて落ちた。その瞬間、シュワーと泡が吹き出た。すぐに口をつけたが、少しこぼれてしまった。立野駅に着くまでに飲まなければならなかったので急いで飲み干し、立野橋梁撮影のための準備した。発車数分前にデッキへ。既に車掌さんが待っていた。私は、立野橋梁について車掌さんに質問をした。

私:「立野橋梁でトロッコ列車を撮影しても間に合いますか?」

車掌さん:「はい、間に合いますよ。熊本を発車した時は、十何分遅れてたけど、今はほぼ定刻に戻ったね。」

 時計を見ると、確かにほぼ定刻だった。その車掌さんは、私の右手に持っていた途中下車印で埋め尽くされた青春18きっぷを見た。

車掌さん:「この18きっぷ、すごいねぇ。途中下車印がいっぱい。このきっぷ、どこで買ったの?」

私:「北海道の稚内駅に郵送で頼みました。」

車掌さん:「なるほどね。」

 立野駅出て、急ぎ足で撮影ポイントへ向かう。立野橋梁の撮影ポイントは、JR九州発行のパンフレットによると2箇所紹介されており、一つは発電所入り口、もう一つは新バイパスの橋の上となっていた。私は、新バイパスの橋の上で撮影することにした。早歩きで3分ほどのところに撮影ポイントがあった。

 後ろからは、ゾロゾロと乗客たちが歩いて来た。先ほどの車掌さんもやって来た。多くの人は、発電所入り口の撮影ポイントに向かっていたが、何人かは橋の上に向かって来た。私の隣に来た優しそうな顔の男性が、

「トロッコ列車は何分ごろ来ますか?」

と尋ねてきた。

私:「確か、11:30か11:31頃発車だったので、そのすぐ後だと思います。車掌さんに聞いてみたら、トロッコを撮影した後に列車に戻っても大丈夫だそうです。」

男性:「そうですか。それは良かった。」

 初老の男性も話に入ってきて、

初老の男性:「餘部鉄橋はいつ架け替えでしたかね?」

男性:「確か来年の春だったと思います。私は間違えて今年の春に行ってしまったんですけどね。」

と鉄橋の話題で盛り上がっているうちに、近くの踏切の警報音が鳴った。皆一斉にカメラを構えた。ガタン、ゴトンという音がかすかに聞こえたかと思うと、小さな機関車に牽かれたトロッコ列車が顔を出した。

 鉄橋の上では、徐行運転が行われた。

 トロッコの車内では、乗客が総立ちで谷間の底を見ていた。先ほどの男性が、

「高所恐怖症の人は絶対に無理ですね。餘部はもっと凄いですけどね。」

 トロッコが行ってしまうと、急いで立野駅に戻る。

 男性は、

「大丈夫。元々『あそBOY』のダイヤだから、そう急ぐ必要は無いよ。」

と言っていたが、発車時間を過ぎて列車に乗り込むのはやはり気まずい。しかし、実際には発車の3分前に列車に乗ることが出来た。他の乗客も全員間に合ったようで、列車は定刻の11:40に立野駅を発車した。

  列車は、立野三段式スイッチバックの急坂を一気に上って行く。折り返し地点まで行くと、一旦停車した。しかし、このときの進行方向の運転席には、運転士の姿は無く、車掌さんしか居なかった。どうやら宮地寄り車両の運転席からの操作でバックしていたらしい。

 折り返し地点を発車してしばらく行くと、眼下に立野駅付近や上ってきた線路が見えた。その先には、谷があった。眺めは言うまでも無く最高だった。

   赤水駅付近まで来ると、今度は穏やかな地形の阿蘇らしい高原が広がるようになった。

 一方、カルデラの中心部の阿蘇五岳は、かすんでよく見えなかった。  阿蘇駅では10分間停車するそうなので、撮影の準備をしてデッキへ。デッキでは、先ほどの立野橋梁で案内役を務めた車掌さんと一人の男性乗客が会話をしていた。その車掌さんの話を聞いていると、

「九州新幹線時に何か考えているみたいですけどね。」

という気になる発言が飛び出した。これは「あそBOY」の復活を意味するのか、それとも別の列車を再び新設するのか。キハ28・58形の車両年齢を考えると、どちらも有り得る。しかし、九州新幹線(鹿児島ルート)開業まではあと5年あるが、わずか数年だけ使用して、これだけの改造を施したキハ28・58形を廃車にするのは、何だかもったいない気もする。未確認情報だが、アスベスト除去も実施しているそうだ。ここまで行うということは、九州新幹線開業以後も残存する可能性も否定できない。

   阿蘇駅に着くと、早速駅舎の撮影に向かった。高原の涼しい風がすーっと駆け抜けた。連絡橋では、上から列車を見下ろして列車全体を撮影した。去年も同じ構図で「あそBOY」を撮影したことを思い出した。

 阿蘇駅の駅舎は瓦屋根ながら、ヨーロッパの田舎の家(のイメージで・・・)を思わせる外観だった。

 阿蘇駅を発車すると、いこいの村のみに停車し、12:28、終点の宮地に到着した。

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