有田陶器市&佐世保撮影旅行
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有田陶器市&佐世保旅行A

2006年のゴールデンウィークに実行した撮影旅行です。

 キハ58形から出て、多くの人で混みあう駅舎を後にし、陶器市の出店が出ている通りに向かう。佐世保線のレンガ造りの橋の下を通り、

 いよいよ陶器市ゾーンに入った。私はしょうゆさしを買ってくるように頼まれていたので、いくつかの店に入って柄や値段で500円のものを1つ選んだ。やはり、近所のデパートで買うよりも安い。その後、50円の湯飲みを見つけると即購入したり、ラーメンのスープを飲む際に使う大きな蓮華を少し迷って買ったりした。メインストリートから少し入ると、かつて焼き物を焼く窯で使っていたレンガを崩して塀として再利用したトンバイ塀がところどころにあった。

 私達は、途中の店に立ち寄ったり、何十万もする甕に驚いたりしながら、有田駅方面へ歩みを進めた。

 途中から左に折れて、豊之國男様が予め調べられていた列車の撮影地へ向かう。地図を見ると、陶山神社という神社の近くから行けそうである。陶山神社は石段と鳥居の前に踏切があるという珍しい神社だが、その踏切が危険だという理由で石段と踏切は閉鎖されていた。

 別の道から迂回して境内に行く。先ほどの踏切のそばでは電車を撮影することができるようになっていて、私達以外に親子連れが撮影に来ていた。

 境内で小休止した後、神社の裏手に道があるのを発見。ここから撮影地に通じる道路に出られるかもしれないと、小高い山の中に入ってゆく。

 何かおかしい。行き止まりなんじゃないか、と2人とも思い始め、豊之國男様が近くで除草作業をしていた男性に、「この先に道はありますか。」と聞いた。すると、「ここから5分歩くと、国道に出られるよ。」という返事だったので、さらに進んでみたが、

道のようなものはあるものの、本当に国道に繋がっているのか不安になり、結局引き返した。別の道を探していると、今度こそ国道に出られそうな道を発見。案の定、その先には国道35号線があり、階段を昇って道路に出た。道路は陶器市に向かう車で渋滞しており、その車と車の間を通って道路を横断。やっと目的地に到着出来た。ここでは撮影を1時間程度行った。背後には窯元の煙突がいくつか立っていて、とても有田らしい風景だった。撮影している途中、ヘッドマークを掲げた415系快速「有田陶器市号」も通った(上から4枚目)。

 その後、国道を歩いて有田駅方面へ。右に折れて、再び陶器市のメインストリートへ。有田駅まではあと少しだ。買うわけではないが、ちょっと値札を見てみると、先ほど上有田駅の近くで買ったしょうゆさしと同じくらいの商品が、ここでは600円や800円になっていた。なぜだろう。ちょうど近くにいたおばさんも同じ疑問を持ったらしく、その店の店主に「なぜ上有田駅近くに比べてこの辺りの焼き物は高いのですか?」と質問していた。店主は「このあたりは土地が高くて、そういった関係で高いんですよ。」と言っていた。なるほど、と思ってその店主の話を聞いていた。

 有田駅周辺は多くの人々が歩いていた。時刻は午後3時を過ぎ、多くの人々は列車に乗るために有田駅に来ていたのだった。

 豊之國男様とはここで別れ、私だけ佐世保に行くことにしていたが、上有田駅で下車した際に上有田駅舎の撮影を忘れていたので、813系快速「有田陶器市号」に乗って再び上有田駅へ。

 乗車券は別の目的で三間坂駅の窓口で購入していたので、新規購入はしなくてよかった。なお、豊之國男様とは別々の車両に乗ってしまったので、別れのあいさつもなく別れることになってしまった。

 上有田駅舎は、6月3日より全国ロードショーが始まった映画「佐賀のがばいばあちゃん」では、ほんのわずかなシーンだが「佐賀駅」として登場している。上有田駅周辺は、午前中と変わらないくらい賑わっていた。

 駅の近くで、300円のしょうゆさしをもう一つ買って、ホームに入場。私は快速「有田陶器市21号」の座席指定券を持っていたので、先に到着した817系を見送った。だが、「有田陶器市21号」の指定席車両はキハ66・67形の2両で、キハ28・58形の2両は自由席車両となっていたので、最後まで迷ったが、せっかくなのでキハ28形のボックス席に座ることにした。到着時刻が近づくにつれて、ホームの人数も増えてきた。やがて、三間坂駅方面からキハ66−3以下4連が入線した。

 キハ28形のボックスに座る。発車時刻まであと2、3分だが、自由席の座席はところどころでボックスごと空いていた。発車時刻になったが、やはり全ての座席が埋まることなく、列車は長崎に向けて発車した。

 次の有田駅でも乗車客が何人かいたが、それでも4人用のボックスが完全に埋まることは無かった。有田駅を発車してしばらく行くと、松浦鉄道と分岐。

 途中にある有名な撮影地では、鉄道カメラマンが列を作って撮影していた。

 その後、車内の撮影に出かけた。まず、私が座っていた座席の番号を撮影。ペンキの塗り重ねと文字の字体が歴史を物語っている。

 続いて洗面台へ。左上の小窓の蓋は、どうやら木製のようだった。

 デッキの計器類。デジタルなんて無縁の存在である。

 なお、デッキの小窓から確認した車両銘板によれば、このキハ28−2444とキハ58−716は、共に1966年(昭和41年)に名古屋の日本車輛で製造されたものだった。つまり、今年で何と40歳。人間に置き換えると働き盛りの年代だが、彼らは今、終焉の時を迎えようとしている。それでも、40年間走り続けたのは立派だと思う。

 早岐駅に着いた。私はここで乗り換えとなった。列車はわずかの停車の後、グォーンというエンジン音と煙を残して発車していった。

 早岐駅で途中下車し、みどりの窓口に並んだ。この後、私は佐世保に行くことにしているが、その帰りは佐賀まで特急を使おうと思っている。休日の夕方だから、特急も相当な混雑が予想される。しかし、窓口の駅員さんは、「普通車もグリーンも満席ですねぇ。」と返答した。仕方なくホームに戻り、佐世保行きの各駅停車を待った。 数分後、ハウステンボス方面から列車がやってきた。放送によれば佐世保行きの各駅停車に間違いないのだが・・・ん?やって来たのは国鉄色のキハ66系だった。

 8分ほど停車して、列車は早岐駅を発車した。ちょうど2人掛けの座席が空いていたので、早速座った。次の日宇駅では、「ちょっとごめんなさいよ。」と、初老の男性が座った。その後5分ぐらいうとうとしていたが、佐世保駅到着のアナウンスで目が覚めた。

 佐世保に来たのは3年ぶりである。その時もゴールデンウィークだった。列車を降りて、国鉄色のキハ66系を撮影した。

 改札を出た後、みどりの窓口に直行。理由は、先ほど早岐駅のみどりの窓口に並んだ理由と同じである。「どこでもいいので空いていますように。」というかすかな希望を抱いて、窓口の部屋に入る。ここには空席状況が一目で分かるモニターが設置されていた。モニターで乗る予定の特急「みどり」の空席状況を探す。だが、普通車指定席、グリーン席ともに「×(満席)」。こうなったら、用事を済ませて早めに並ぶしかない。まず、駅舎前の「佐世保バーガー」の店舗へ。佐世保まで来た理由の一つはこれなのだが、「30分ほどお待ちいただくことになりますが・・・。」と店員さん。仕方なく諦めて、駅舎の撮影へ。駅舎は数年前に改築されたもので、特徴的な外観だった。

 続いて改札口横のキヨスクへ。ここではおにぎりやジュース、それに「佐世保」の文字が入ったキーホルダーを購入。一応全ての用事が終わると、すぐに入場してホームへ。

 既に783系特急「みどり」は入線していて、乗車口の前には10人前後の人々が並んでいた(下の写真は乗車開始後に撮影したもの)。

 ドアが開いて乗車が開始されたが、自由席は満席にならず、簡単に窓際の席に座ることが出来た。その後、再び車外に出て松浦鉄道の気動車・MR−300形を撮影した。

 自由席が満席にならないまま、電車は17:17に佐世保駅を発車。ところが、座っているとあちらこちらから煙草くさい臭いが。喫煙車に乗ってしまったのである。次の早岐駅停車中に、ハウステンボス発の特急「ハウステンボス」併結作業見物を兼ねて禁煙車に移動した。喫煙車よりも、なぜか禁煙車の方が空いていて、先ほどと同様に簡単に窓側の座席をゲットできた。

 次の有田駅とその次の臨時停車駅・上有田駅では、案の定多くの人々が乗ってきて、最終的に立ち席となった人々がデッキに収まりきれず、客室内に立っている人もいた。一方、幸運なことに座席にありつけた人もいて、私の隣の座席(通路側)にはアラブ系と思われる外国人が座った。だが、身なりはビジネス姿で、とても有田陶器市に来たとは思えなかったが、スーツケース以外にも大きな紙袋を持っていたので、やはり陶器市に来ていたようだ。その人は、座席の網かごに興味を持ったのか、ビョーンビョーンと伸ばしていた。

 右手にネコの耳のような「御船山」が見えてくると、まもなく武雄温泉駅に到着。

   武雄温泉駅は、高架化工事の真っ最中だった。

 武雄温泉駅を発車すると、山がちだった車窓が田園風景に変わった。

 肥前山口駅までは単線だったので、やや低速気味だったが、同駅発車後は複線区間となったので、電車は一気に加速した。

 やがて、電車は嘉瀬川鉄橋を渡り、佐賀市内に入った。

 高架を走るようになった。以前はビルが少なかった佐賀駅周辺も、新たなマンションや商業ビルの建設が進んでいる。

 そして佐賀駅に到着。有田陶器市来場客も含めて、多くの人々が下車した。その中に混じって私も電車を降りる。人の波には乗らず、編成の先頭まで行って先頭車を撮影した。夕陽は既に西に傾き、空全体が薄い黄色に染まっていた。それにしてもよく晴れた一日だった。おかげで様々な写真を撮ることが出来た。来年も晴れればいいなと思い、旅行日和の一日は幕を閉じた。

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