2005年夏・SLあそBOYで行く、九州横断旅行

7月24日

2005年夏・SLあそBOYで行く、九州横断旅行・1日目

(この旅行記の計画は<こちら>へ。)

 旅行初日。午前6:30に起床するつもりだったが、うっかり20分寝坊し、6:50に起床。急いで朝食を食べ、準備をした後、7:15自宅を出発。自転車で佐賀駅へ向かう。駅前の駐輪場に自転車を止め、改札口を入る。今回使用するきっぷは、ただの学割乗車券。経路は佐賀→鹿児島本線経由・熊本→豊肥本線経由・大分→久大本線経由・南久留米という区間で、学割使用だと5800円。JRが採用している長距離逓減制の運賃を利用した方法である。乗車列車は、佐賀7:39発の各駅停車の小倉行き。

 この列車に乗り、鳥栖で熊本行きに乗り換えると、ちょうど「あそBOY」の見物ができる。811系4連が入線した。

車内は日曜日なので空いていて、余裕で座ることができた。鳥栖からは、先に到着していた811系と連結し、快速「スペースワールド号」となって小倉へ向かう。鳥栖駅にいったん停車した後、ゆっくりと進み、衝撃を伴って、前のスペースワールド専用811系と連結。ただ、私は5分で熊本行きの普通列車に乗り継がなくてはならないので、5・6番乗り場へ急ぐ。熊本行きは813系200番台の3両編成だった。

 小倉が始発の普通列車で熊本へ向かう。今春のダイヤ改正で、門司港や小倉、博多と熊本を結ぶ、比較的長距離の普通列車が上り下りともに登場。しかも運用が813系で、目的地へ直行する青春18きっぷ利用者にとっては少しよくなったかもしれない。また、この列車には、偶然にも同じ日の同じ区間を指定していた1年先輩の友人、豊之國男様が乗っているはずだったが、見当たらなかった。また途中の西牟田駅では、当サイトと相互リンクを結んでいただいているサイトの管理人Relayつばめ様も乗ってくるはずだ。Relayつばめ様は豊之國男様の友人で、私とは初対面である。また、私が取った赤水→宮地の「SLあそBOY号」の指定がどうやらスイッチバックで撮影のためにRelayつばめ様がキャンセルした指定席だった、という奇跡的な出来事もあった。そうとは知らず、私は電話で指定を取ったのだった。

   肥前旭を出ると、右手に九州新幹線の工事現場が見え始めた。

 さらに進むと筑後川の長い鉄橋を渡るが、そこにはすでに橋の橋脚が建設されていた。

 久留米では人がたくさん乗ってきて、車内では立ち席も出た。大牟田では特急待避のため、7分程度停車。せっかくなので、先頭車を撮影に前へ向かう。車内は混んでいたが、自分の席は放棄した。先頭車を撮影する。

先頭車付近では、私以外にもう一人撮影をしている方がいた。実はこの方がRelayつばめ様で、このことに気がつくのは熊本駅に到着してからだった。

 さて、自分が座っていた座席はすでに他の人に座られていたので、先頭車の運転室後ろを陣取った。しかし、発車間際に乗ってきた親子がすぐ後ろに来て、子供がギャーギャーわめいたり、狭い車内をドタバタ走り回ったりしていた。子供は電車に乗れたことが嬉しくて騒いでいるのだろうが、他の乗客の迷惑になっていることを、近くの人とのんきにしゃべっている親は認識して欲しかった。たまりかねたので、次の荒尾到着まで見届けると、最後尾に行き、立つことにした。

 乗客の数はいっこうに減らず、ローカル線区間になっても、まだ満席だった。どこからか「あそBOY」という言葉が聞こえてきた。そういや、親子連れの姿もいくつか見受けられる。「この電車は田原坂駅には停車しません」という放送が繰り返されていた。

 熊本には定刻の9:51に到着。「あそBOY」撮影の前に、当サイトの「九州の名駅集」に「熊本駅」を新設するため途中下車し、駅舎とたまたま来た熊本名物・熊本市電を撮影した。

 再び駅のホームに戻る。対岸のホームに、九州色の415系を2両編成にしたような電車が停まっているではないか。ドアは片側3ドアだが、両側2つは片開き、中央は両開きとなっていた。「もしや・・・」と思い、車両番号を見ると、「クモハ717」!717系が熊本に居たことを始めて知り、驚きつつもデジカメで撮影した。これで私が撮影していないJR九州の現役形式では、宮崎地区で「サンシャイン」の名で運用される713系のみとなった。

 さて、メインの「SLあそBOY号」は、0番A乗り場に到着するという。豊肥本線ホームは新しくなっていた。

熊本駅は、駅構内のあちこちで九州新幹線熊本駅建設など、いろいろな工事が行われているが、つい先日、特急を含む計3本の電車が関係する事故も起き、国土交通省から調査官が派遣された。原因は、最初の各駅停車が入線していたホームに、信号を見間違えた後続の各駅停車が入線。さらに後続の特急「有明」の運転士までもが、2番目の電車と同じく信号を見間違えて、同じホームに入線してしまった、ということだ。特に最初に入線していた各駅停車と、その次の各駅停車の間隔が100m以内だったというから恐ろしい。多くの信号を見て、さらに時刻も気にしながら判断しなければならない運転士の精神的な疲労や苦労も理解できるが、事故の防止にも努めて欲しいと思う。

 「SLあそBOY号」は9:58頃、DE10−1756に牽引されて入線した。50系の発電機は直っていたようで、24系電源車「カニ24」は連結されていなかった。なおDE10はもしもに備えて、連結されたまま走った。ホームに居た人たちは、老若男女問わず、カメラ付き携帯から高そうなビデオカメラを使い、機関車を撮影していた。私もその中に混じり撮影した。驚いたことに、中には機関士がいないのをいいことに、運転台にまであがって撮影する人もいた。あまりにもモラルを欠いた行為といえよう。

 私は熊本からの指定が取れなかったので、「SLあそBOY号」より10分早く、隣のホームから10:05に熊本駅を発車する815系に乗る。ロングシートの座席はすでに満席で、運転席後ろで立つことにした。機関車の撮影をしている人たちの様子を見ていると、誰かが肩を叩いた。鳥栖で合流するはずだった豊之國男様と、先ほど大牟田駅でニアミスしたRelayつばめ様だった。彼らは先に上熊本まで来て、その後私が乗っていた熊本行き813系に乗ってきたらしい。豊之國男様はきっぷの研究をされていて、常備券の赤い青春18きっぷで乗車していた。このきっぷについて話し合っていると、近くにいた年配の男性がやってきて「どこで購入されたんですか?」と聞いてきた。豊之國男様は購入した駅を教えると、その男性は「私は札幌です。どこで購入されたのか気になって聞いてみました。」と言い、車両の奥へと戻っていった。豊之國男様によれば、現在JR九州管内でこの常備券タイプの青春18きっぷはほぼ全滅状態にあるそうで、彼は四国のある駅に郵送で購入していた。数年前までは佐世保線の大町駅でも発売されていたそうだが、POS端末の普及で姿を消したそうだ。そういえば今から8年間に大町駅から乗ったときは駅員さんが棚からきっぷを出して発売していた記憶がある。

 いつの間にか電車は武蔵塚を過ぎ、終点肥後大津に到着。ここからは非電化となる。隣にホームにキハ47のエンジン換装版・キハ147・宮地行きの2両が停車していた。私とRelayつばめ様は乗り継ぎ列車の座席確保、豊之國男様は肥後大津の木造駅舎の撮影に行った。発車まで10分以上あるので、私も後に続いて撮影に行く。(下が肥後大津駅舎)

 キハ147は定刻の10:51に肥後大津を発車。同じボックスにはRelayつばめ様以外に、南阿蘇鉄道のトロッコ列車に乗るという年配のおばさん3人組(うち1人立ち席)がいた。そのうちの一人は「あそBOY」の写真を携帯電話の待ち受け画面にしていた。その方たちとは南阿蘇鉄道のトロッコ列車や「あそBOY」の話題などを話し合った。そのおばさんたちは立野で下車し、Relayつばめ様も「あそBOY」を立野〜赤水のスイッチバックで撮影するため、降りていった。立野駅のホームからは、南阿蘇鉄道のトロッコ列車が少し顔を出していた。(下の写真)

 私と豊之國男様はそのまま赤水へと先回りする。運転士が移動し、2分後に列車は立野を出発。エンジンが唸りをあげて坂を上る。阿蘇の大地から流れ出る白川が削った谷の崖とも言える場所を通る。わずかな平地に民家や田んぼがある。

 そして折り返し地点に到着すると再び運転士が移動し、出発。すでに沿線では多くのカメラマンがスタンバイしていた。中には危ない位置で撮影している人もいた。万が一の時の事を考えて欲しいと思った。これで機関車との事故でも起これば、もともと壊れそうな機関車を走らせているのだから、極端な例かもしれないが次回から廃止となってもおかしくはないのだ。坂を上りきり、そしてようやく赤水へ到着した。

 赤水駅も古い木造駅舎で、クモの巣が張っていた。窓口は閉鎖されていた。待合室は「あそBOY」の見物か乗車するものと思しき親子連れや夫婦がいた。時間があるので少し駅周辺を歩いてみることにした。阿蘇なので駅前に温泉の1つぐらいあってもいいはずだが、ここの近くには見当たらない。コンビニもない。少し行ったところにある踏切で折り返してきた。駅前にある商店で豊之國男様がおいしいからとすすめられてミネラルウォーターを購入。確かにおいしい。阿蘇の水かな、と思ったが「六甲の水」だったことに正直苦笑した。

 駅のホームに出て、「SLあそBOY号」を待つことにした。夏の日差しが照りつける日なたを避け、屋根のあるところで休んでいると、すーっと涼しい高原の風が吹き抜けた。遠くではなぜかアヒルたちが行列を作り、砂利道を歩いている。「SLあそBOY号」の入線10分前になると、ホームへぞろぞろと出てきたり、駅前の荒れ地でカメラを構える人が増えてきた。豊之國男様が「来た!」と叫んだ。近視である私はよく見えなかったが、一瞬白い煙が出たのが分かった。ゆっくりとこっちへ向かってくる。そして赤水駅へ入線した。

 機関士が半分身を乗り出し、手を動かしている。ホームにいる親子連れに注意を促しているのだった。ドアが開くと数人降りた。その後に乗車した。私の指定は2号車20番A席。車内を見ると、案外空席が多いようだ。ドタキャンが相次いだのか、それともすでに降りてしまったのか。赤水から先は案外座席予約の際の穴場なのかもしれない。豊之國男様は本来別の席だったが、隣のB席は誰も座りそうにないので、その席に座った。2分の停車の後、ゆっくりと動き始めた。ガタンタタンタタン、ガタンタタンタタンとロングレールでは味わえない音や、前の方から機関車の汽笛が聞こえてくる。窓を開けると、煙とともに石炭独特の臭いが鼻を突いた。さて、「SLあそBOY号」が廃止されることに合わせて、通常乗客に配布される記念乗車証の他に、「さよなら記念乗車証」も配布されるということで、豊之國男様が指定座席のすぐ後ろにあるカフェテリアのカウガール姿の乗務員に聞いた。するとすぐに棚から記念乗車証とさよなら記念乗車証を出してくれた。乗車証には乗車日や58654機関車の情報などが書いてあった。乗車証2枚をもらった後、3号車にあるスタンプを押した。その後は先ほどのカフェテリアで買い物をした。売られているのはグッズ中心で、私は本革製のキーホルダー(400円)とハンカチ(赤・200円)を購入した。(下の写真)

 内牧で客扱いは無いものの、先ほどのキハ147が宮地から折り返してくるため運転停車する。阿蘇到着まではまだ時間があるので、機関車後ろの展望室へ向かった。展望室は1人しかおらず、ビデオカメラでの撮影は簡単だった。ただ、前回乗った時は開いた特大窓は全て固定されていた。廃止前なので危険な撮影をする人が出てくる可能性があり固定されたか、危険な撮影をした人が居たので固定されたかのどちらかだろう。窓は煙で汚れていて、撮影は上手くできなかった。自分の座席に戻った後は車窓を撮影した。やがて列車は阿蘇駅に到着。ここでは列車行き違いや特急待避のためなんと20分以上も停車する。ここは撮影のチャンスとばかり、列車を降りて、跨線橋の上、反対側のホーム、最後尾、と様々な角度から列車を撮影した。駅にホームでは「SLあそBOY号」の記念弁当(800円)も発売されていたが、予算ギリギリなのでガマンした。

 列車は阿蘇駅を出発した。次の停車駅はいこいの村だが、こちらはすぐに発車してしまう。沿線からは多くのカメラがこちらを向いている。開けた窓からは石炭の臭いに混じって高原の風が吹き込んでくる。九州の気動車は窓を開閉できる車両が多く、もしかすると心地よい風を感じてもらうための配慮かもしれない。そして列車は終点の宮地に到着した。

 本当は構内留置線までの回送を見たかったが、私はここで豊之國男様とさっき阿蘇駅で追い越された特急で先回りしていたRelayつばめ様と別れ、一路大分を目指す。1分で隣の乗り場で発車を待っている豊後竹田行き・キハ125単行に乗り換え。私と同じく「SLあそBOY号」から乗り継いだ旅行者も数名いた。車内は空いていて1人でボックスを占領できた。九州で一番高いところにある駅・波野を過ぎると徐々に下り坂が多くなった。長いトンネルを抜けたり、森の中を抜けたりして、豊後竹田に到着。音楽の副教科書に載っていた通り、この豊後竹田の町ゆかりの滝廉太郎作曲の「荒城の月」が流れてきた。が、この名曲も現代のディーゼル音にかき消された。

 隣のホームに停車していた大分行き・キハ200に乗り換え。真っ昼間のローカル線なので、席の確保には苦労しなかった。2分の接続で発車。発車してすぐトンネルを通過した。この豊後竹田市は四方を山に囲まれ、「日本一トンネルの多い町」として知られている。大分方面へ向かうにつれ、次第に山も開けてきた。竹中では行き違いのため数分停車した。その際、駅舎やホームを撮影。

 次の中判田でも列車行き違いによる待避が行われた。この中判田は、大分まで約20分弱という場所で、日中でも30分間隔で運行されている。現状では難しいかもしれないが、いずれは電化される可能性が高い区間だろう。途中の大分大学前からは学生達も乗り込んできて車内は賑やかになった。そして滝尾を出ると進行方向左手に曲がり始め、日豊本線と合流。隣には高架橋が並行している。この高架橋は大分駅周辺の日豊本線が高架化によるもので、大分駅も高架駅となる。大きめの川を渡ると、今度は久大本線も合流。3線揃ったところで大分駅構内へ進入。豊肥・久大線専用の6・7番乗り場へ入線した。これから2時間に渡り、撮り鉄を実行した。列車を降りると目の前に457・475系の6両編成が留置されていた。大分まで顔を出した目的の一つがこの457・475系だった。しかも、「快速」幕を表示していた・・・。さらにその横には九州では少なくなったデカ目が。こちらは「急行」幕を表示していた。(デカ目の方は翌日撮影。)

 この大分駅は九州最大のターミナル・博多駅にひけを取らないくらい車種が多い。特急車両(客車含む)だけでも8種類だ。さらに列車の同時入線・同時発車は、回送列車を含め当たり前の光景だった。 さて、2時間も大分駅にいる理由はもう一つある。寝台特急「富士」だ。こちらはEF81が牽引する。その前には南延岡行きの457系も運用される。夕方の大分駅は「おいしい列車」のオンパレードなのだ。457系は早めに入線したので、車内の撮影に成功。いろいろと観察することができた。また近くには臨時幕を表示した485系レッドエクスプレス5連が停車していた。

 そうしている間、次の狙い目である「富士」は大分駅入線と東京への長旅へ向けて、着々と準備を進めていた。EF81が動きだし、客車と連結。そして、いったん別府寄りの踏切を通過したところで、バックで入線。牽引機はEF81−411。

 しかし、入線直後にEF81が多数の利用客がいるにも関わらず、機関士がホームで警笛を鳴らし、付近にいた高校生たちが「うるせーな」という顔でEF81をにらんでいた。しかも1回だけではなく、2回も3回も鳴らしたため、さすがに私も耳が痛くなり、嫌な気分になったのもまた事実。近くには危険な場所にいる人はおらず、また、2,3回鳴らしたことから、発車前に確認したものと思われる。その後は最後尾に回りテールマークを撮影したり、方向幕を撮影するなどして、機関車には近づかないようにした。

 車掌はどこかで見た白い制服を着ていた。JR九州ではない。JR西日本の車掌だった。JR九州の博多車掌区が担当している、という私の推測は大きく外れた。ちなみに、ある利用客がその車掌に「次の柳ヶ浦行きは何時ですか?」と聞いていたが、鞄からカラー刷りのチラシを取り出し教えていた。

 この日の利用客は多く、A寝台個室の「シングルDX」に乗り込む人も多かった。若者の姿も目立ち、嬉しかった。「富士」は汽笛とともに16:48、夕方の大分駅を発車していった。

 そういえば大分駅は駅の自動放送の一部に独自のチャイムを入れていた。メロディーと呼べるほどの長いものではなかったが、佐賀駅や博多駅など、九州の主要駅で使用されているような「ピンポーン」ただそれだけよりもこちらの方が断然よい。

 さて、私は今夜の宿を別府市内に取っている。17:18発の中山香行き815系に乗った。最後尾で立つことになったが、ほんの10分ちょっとなので苦にはならなかった。大分駅を発車し、ポイントを通過した。そのポイントを見るとレールが動き、ポイントが切り替わった。その動きが何とも面白く、忘れられない光景となった。

 別府駅では多くの乗客が下車した。別府駅は高架駅となっている。階段を降り、改札口を出て海側へ向かう。駅前のコンビニFで、今夜の夕食となる弁当と1g入りのお茶を買う。今夜の宿である「別府駅前高等温泉」は2500円という激安価格で個室に宿泊できる代わりに、食事が出ない。コンビニから出たとき、目の前をレトロな赤いボンネットバスが通り過ぎた。よく見ると私の地元を走る佐賀市営バスが所有する「さがんバス」とほぼ同じだった。そのコンビニからさらに1分程度歩いたところに、近代の鉄筋コンクリートのビルたちに囲まれて、木造の古い建物があった。これが「別府駅前高等温泉」である。この時、ちらっと映画「千と千尋の神隠し」に登場した湯殿の姿が頭をよぎった。夕暮れでしかも日陰なので、映画に登場するあの温泉街の薄暗さと湯殿がちょうど合ったのである。(建物は映画の湯殿の何十分の一サイズではあるが。)しかも、建物の前には小さな神社のようなお堂があったので、ますますそれらしく見えた。(写真は翌朝撮影したもの)

 さっそく建物の中に入る。番台には「兄役・父役」・・・ではなく、2人のおばさんがいた。「宿泊を予約していた者ですけどぉ・・・」と言うと眼鏡をかけたおばさんが「じゃあ、これに住所と名前を書いて」と言い、宿帳とボールペンを渡された。そのおばさんが、「どこから来たの?」と聞き、「佐賀県です。」と宿帳に書きながら答えた。書き終わると「2500円になります」と言われた。ここは料金前払いなのだ。お金を払った後、もう一人のおばさんがビニール袋を取り出してきて、「これに靴を入れて」と言われ、靴を入れた後部屋に案内された。階段も廊下もこれまた見るからに古い。でも、個人的にはこんな感じの建物は好みである。部屋は一番奥の部屋だった。畳敷きで、部屋の広さは1人泊まる程度ならちょうどよい広さだった。おばさんが親切に簡単な説明をしてくれた。冷房はすでに入っていて、テレビやお茶セット、テーブルもある。

 去年の夏、鹿児島へ行ったとき、山川という駅前にある旅館「くりや」は、ここよりも700円ぐらい安く、部屋や廊下からは港や指宿枕崎線の列車を見ることができた。が、冷房やテレビは100円を入れないと動かず、しかも時間制限があったので、結局宿泊料金以上の消費となった。だが、ここは駅前の一等地にしてしかも、宿泊者は24時間営業の温泉に入り放題である。実はこの「駅前高等温泉」を予約する前は、別府市内にある別のビジネスホテルを予約していた。ここは宿泊料金が3000円(素泊まり・割引券使用)だった。他にもいろいろ検索してみると、大分や別府のホテルや旅館は、他の街に比べて比較的安いところが多い。3000円台や4000円台のホテルや旅館がたくさんあった。いったんは予約していたものの、「別府だから温泉にも入りたいな」、と思い温泉を探していたら、この「駅前高等温泉」に宿泊でき、しかも宿泊する人は温泉に入り放題ということで、3000円のホテルをキャンセルし、こちらへ変更した。腹が減っていたのでまずは腹ごしらえ。今回の旅行は節約の旅行でもあるので、本来は駅弁でも頬張りたいのだが、ガマンをする。

 テレビを見て、少し休憩した後、さっそく温泉へ入る。ここは地元市民の利用も多いそうだ。番台でバスタオルを借りる。賃貸料として50円が必要だ。ちなみに、先ほどの部屋に案内したおばさんが、私が手から下げていた着替え入りのビニール袋を、靴を入れたビニール袋と見間違えて「靴はいらないよ」と言い、私が「これは服なんですけど・・・」と言ったら、ようやく間違いに気がついて番台にいた眼鏡のおばさんと大笑いしていた。その番台の斜め後ろに浴室と脱衣場がある。服を脱いで、さっそく浴室へはいる。浴室は階段を降りた所にあり、半地下室となっていた。風呂は空いていて、2人しかいなかった。体を洗い、風呂に入る。「あつい湯」と書かれていたことに気がつかず入ったが、全然熱くはなかった。色は無色透明だったが、温泉のお湯を入れる蛇口は長年使われているのを物語るかのように、茶色く汚れていた。浴室全体も古さが目立っている。後から知った話だが、この駅前高等温泉の古い建物は、建て替えられる計画があるそうだ。しかし、お金がなくて現状では難しいという。それにしても建て替えられるというのはちょっと残念ではある。

 湯はあまり熱いとは感じていなかったが、さすがに体がポカポカしてきた。小学生くらいの子供とその父親と思われる親子が入ってきた。それと入れ替わるかのように、先に入っていた2人があがっていった。もともと熱がりなので私もあがることにした。バスタオルを返却した後、部屋に戻った。長く入っていたつもりだったが、時間を見ると15分程度しか入浴していなかった。

 さて、今日の出費と今の残金を計算してみる。すると、すでに1000円を切っているではないか。どこで使いすぎたのか・・・記憶を辿れば「あそBOY」の車内で「最後だから」と購入したハンカチとキーホルダーだけで600円の出費。貯金を下ろしてでももう少し多く持ってくればよかった・・・。ケチな性格がたたったのだろう。やむを得ず、別府駅での上り「彗星」の撮影は断念した。こうなれば、明日は本当に午前6時起床だ。そう考えたので、午後10時までには床についた。(写真は窓からの様子。)

 

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